第一話 担当:水野
月曜の朝、金曜に空欄のまま保存した議事録に、私の名前が三つ増えていた。
東央サービス営業推進部、週次定例会議。
画面のいちばん下にある「次回までの対応事項」の欄だ。
取引先への納期確認。
新商品の説明資料修正。
来月の会議日程調整。
どれも金曜の会議では担当者が決まらなかった。
だから私は、担当者欄を空白のまま保存した。
それが今は、三件とも同じになっている。
『担当:水野』
「……あれ」
マウスを止めた。
自分で入れたのだろうか。
金曜は忙しかった。会議のあと、営業部長に頼まれた資料を直した。新人の見積書も確認した。退勤したのは午後九時近くだった。
疲れていた。
無意識に自分の名前を入れた可能性はある。
そう思って、変更履歴を開いた。
金曜、午後五時四十二分。
最終更新者、水野紗季。
その時刻は、私が議事録を保存した時間だった。
それ以降の履歴はない。
「水野さん」
後ろから呼ばれた。
振り返ると、営業の吉岡君が紙コップを持って立っていた。
「A社の納期確認、今日中で大丈夫ですか?」
「納期?」
「議事録の件です」
画面を見る。
『担当:水野』
「これ、私になってる?」
「なってますね」
「金曜、決めたっけ」
「どうでしたっけ」
吉岡君は首を傾げた。
「でも、水野さんが一番分かってる案件ですよね」
悪気はない。
本当に、ない。
「そうだね。確認しとく」
「助かります」
吉岡君は自分の席へ戻った。
私は三十四歳で、この部署に来て七年になる。
役職はない。
営業でもない。
営業支援。
案件の進み具合を確認する。資料の抜けを直す。会議の日程を合わせる。取引先への確認が漏れていれば拾う。新人が止まっていれば、どこで止まったかを見る。
誰かの仕事を奪いたいわけではない。
頼られたいわけでもない。
ただ、宙に浮いた仕事が嫌いだった。
誰も持っていない仕事は、あとで必ず誰かを困らせる。
だから見つけると拾った。
「これ、誰がやります?」
返事がなければ、私がやる。
「担当、決まってません」
誰も手を挙げなければ、私が引き取る。
「期限、明日です」
忘れられていれば、先に終わらせる。
七年続けた。
そのうち、誰の仕事か分からないものは、私の机へ来るようになった。
私は画面の三つの名前を消した。
『担当:』
『担当:』
『担当:』
保存する。
十秒待った。
変わらない。
「やっぱり、私が入れたのかな」
仕事を始めた。
A社へ電話をかける前に、もう一度議事録を開いた。
『担当:水野』
さっき消した一件目に、名前が戻っていた。
変更履歴は増えていない。
私は残り二件も確認した。
『担当:水野』
『担当:水野』
三つともだった。
背中が冷えた。
今度は触らなかった。
画面をスマートフォンで撮った。
午前中、三件の仕事は結局私が処理した。
納期を確認し、資料を直し、候補日を送った。
完了欄にチェックを入れる。
担当者欄の「水野」は、そのまま残った。
それ以上、増えもしなかった。
午後、野上課長のところへ行った。
「共有議事録って、担当者が自動入力される機能ありますか」
「自動?」
「空欄に名前が入るとか」
「ないだろ」
「ですよね」
「何かあった?」
スマートフォンの写真を見せた。
課長は数秒見て、眉を寄せた。
「水野さんが入れたんじゃなくて?」
「消したあと、また入りました」
「履歴は?」
「ありません」
「……情報システムに聞いてみるか」
その日の夕方、情報システム部から返事が来た。
自動入力機能なし。
該当時刻の更新ログなし。
データ破損も確認できない。
理由は分からない。
そのメールを読んでいるところへ、全社通知が届いた。
『業務属人化防止月間について』
今月は、一人に仕事が集中しない体制を作るらしい。
各部署で業務を洗い出し、担当者を複数化する。
営業推進部の取りまとめ担当は、水野紗季。
私は通知を二度読んでから、野上課長を見た。
「これ、誰が私を担当にしたんですか」
「俺」
即答だった。
「水野さんが一番、誰が何やってるか分かってるから」
「属人化をなくす仕事を、ですか」
「うん。適任だろ」
課長は本気だった。
私は通知を閉じた。
こっちは怪異ではなかった。
◆
水曜の定例会議で、私は試すことにした。
会議の最後に、三つの作業が残った。
「この三つ、担当どうします?」
誰も答えない。
営業部長が資料を閉じた。
「その辺はあとで調整しよう」
「担当者、空欄でいいですか」
「いいんじゃない」
野上課長が頷いた。
「必要ならあとで入れれば」
「分かりました」
私は三つとも空欄にした。
その場で保存する。
午後四時五十一分。
会議室を出た。
自席へ戻り、すぐに議事録を開く。
空欄だった。
一時間後も空欄。
午後七時も空欄。
少し安心した。
月曜の件は、やはり何かの不具合だったのかもしれない。
退勤前、もう一度確認した。
空欄。
翌朝。
席へ着くなり議事録を開いた。
『担当:水野』
『担当:水野』
『担当:水野』
変更履歴を開く。
『最終更新 水曜日 16:51 水野紗季』
それ以降、誰も触っていない。
社内チャットが鳴った。
吉岡君だった。
『昨日の三件、水野さん担当なんですね。助かります』
返信欄を開いた。
指が止まった。
誰も決めていない。
私も引き受けていない。
それなのに、朝になると私の仕事になっている。
空欄が、私の名前を覚えていた。





