後編 まだ、渡していません
わたしは、出荷先を探すことにした。
三袋を棚に置いたまま、休みの日に神宝町の商店街を歩いた。八百屋は、大手スーパーに客足を取られてもうない。惣菜屋は仕入れ先が決まっていた。子ども食堂をやっているという公民館は、その日は閉まっていた。
昼を過ぎて、古いビルの一階に喫茶店があったので、入った。
カウンターに、若い店員さんがいた。名札に中野とあった。
コーヒーを頼んで、つい愚痴のように言ってしまった。野菜が余っていて、出す先を探しているのだけれど、うまくいかない。それに、うちの野菜は変な日の持ち方をする。
中野さんは、そうですか、と言って、それから真顔になった。
「うちのオーナーに聞いてみたらどうですか」
この店の。
「このビルの、十階です。拝み屋さんなので」
わたしは、コーヒーの湯気ごしにその人の顔を見た。冗談を言っている顔ではなかった。
十階には、事務所がひとつしかなかった。
黒いスーツの人が、窓を開けてたばこを吸っていた。五十くらいだろうか。目が細くて、開いているのか閉じているのか分からない。ポケット灰皿を持っていた。
わたしが用件を話すと、その人は長いあいだ黙っていた。
「めんどくせぇ」
小さい声だったけれど、聞こえた。
わたしが立ち上がりかけると、その人は片手を上げた。
「あー、いや。行きますよ。ぼく、慈恩といいます」
拝み屋さんですか、と訊いた。
「そんなようなもんです」
慈恩さんが農園へ来たのは、次の水曜だった。
ビニールハウスは見なかった。洗い場も見なかった。長靴も断って、革靴のまま、まっすぐ裏へ回った。堆肥場の前で立ち止まって、囲いに手をかけて、しばらく山を見ていた。
わたしは温度計の話をした。三年ぶん積んで、外気と同じであること。掘ると採った日のままの小松菜が出てくること。
慈恩さんは、山から目を離さずに言った。
「ここのは、まだ終わってないんですよ」
それから、少しだけ間があった。
「終わってないものは、腐れません」
どういう意味ですか、と訊いた。
慈恩さんは答えなかった。かわりに、囲いの木の縁を指でなぞって、指先を見た。土がついていなかった。
わたしは、返事を待ったが、この人はもう説明しないのだと、そのとき分かった。
休憩所でお茶を出した。
慈恩さんは湯呑みを両手で持って、都築さんはここへ来て何年ですか、と訊いた。三年です、と答えた。
その前は、と訊かれた。
わたしは話した。介護の現場にいたこと。人が足りなくて、終わりが来なかったこと。最後の半年をあまり覚えていないこと。駐車場で車から降りられなくなった日のこと。
ここへ来て、残業がなくなったこと。腰が痛くなくなったこと。人に、ありがとうと言われるようになったこと。
「いい職場ですよ」
わたしは言った。言いながら、自分の声が固いのが分かった。
慈恩さんは、そうですか、とだけ言った。
わたしはそれで、言ってしまった。
柴原くんの雇い主が、ここにない会社であること。柴原くんがその会社へ行ったことがないこと。年に二回、写真を撮りに来る人がいて、数字が足りていて助かっていますと言うこと。採れたものが、社内で配るぶんを除けば、ほとんどが、裏の山に捨てに行くこと。
そして、柴原くんに、ここはなんの会社ですかと訊かれて、寒くなってきたね、と胡麻化して答えたこと。
「わたしは、この仕事に救われたんです」
湯呑みを持つ手が震えていた。
「だから、この仕事のことを、悪く言えないんです」
慈恩さんは、しばらく黙っていた。それから、窓の外の山のほうを見て、こう言った。
「悪く言えって、誰か言いましたか」
わたしは顔を上げた。
「ぼくが読めるのは、あそこに何が残ってるかまでです。続きをどうするかは、あなたが決めてください」
答えを出してくれるのだと思っていた。この人は出さなかった。
帰り際、慈恩さんは上着から小瓶を出しかけて、やめた。かわりに、無地のカードを一枚くれた。
何を書くんですか。
「あなたの言葉で、ひとつだけ」
わたしは事務所で二時間考えて、一行だけ書いた。
——まだ、渡していません。
その日の夕方、わたしは手袋をしないで堆肥場へ行った。
素手で掘った。冷たかった。においがしなかった。手首まで入れて、腕まで入れて、肩が痛くなるまで掘って、底のあたりにカードを差し込んだ。それから、掘った土を自分の手で戻した。
爪のあいだに、黒い土が残った。
次の週から、わたしは野菜を出す卸先を作った。
駅の裏の直売所に、週二回。商店街の食堂に、火曜と金曜。公民館の子ども食堂に、月の初めと終わり。全部で、採れる量の三割にもならない。それでも、行き先の名前が三つ増えた。
最初の出荷の朝、わたしは直売所の戸を自分で開けた。
開店の一時間前で、鍵は前の日に店の人から預かっていた。引き戸が重くて、二度、力を入れた。開いたところへ朝の光が入って、棚の板が白く見えた。
わたしはそこに、袋を並べた。
拝み屋さんに教わったことは、カードを書くことと、それを埋めることの二つだけだった。戸を開けたのは、誰かに言われたからではない。開けたら並べるものがあった、というだけのことだ。
それから、蓑輪さんに立ち会ってもらって、柴原くんを休憩所へ呼んだ。
柴原くんは、怒られると思ったらしくて、手袋を外して、両手をこすり合わせてから座った。
わたしは、この前の質問に答えます、と言った。
「あなたが作ったものは、いまはどこにも届いていません」
柴原くんは、まばたきをした。
「届くようにします」
柴原くんは、しばらく何も言わなかった。それから、小さい声で訊いた。
「ぼくの、小松菜も、ですか」
あなたの小松菜も、と答えた。
蓑輪さんが、横で洟をすすった。この人はこの日まで、本当に何も知らなかったのだと思う。
わたしは、本社からの話も柴原くんに伝えた。同じ区画を使っている別の会社へ移るという形も取れる、という話です、と。
柴原くんは首を横に振った。
「ここがいいです」
どうして、と訊いた。
柴原くんは少し考えた。
「小松菜、ここで採りたいんです」
わたしはその日のうちに本社へ折り返して、本人の希望ではないので移動のお話は進めません、と伝えた。電話の向こうの人は、分かりました、とだけ言った。それきり何の連絡も来なかった。
入江さんには、電話をかけて頼んだ。次の視察が春だから、それまで待てなかったからだ。
写真ではなく、そちらの会社の仕事を、ひとつでいいからこの現場へ回してもらえませんか。と。
入江さんは、電話の向こうでしばらく黙っていた。それから、持ち帰ります、と言った。
三週間程経って、封入と仕分けの軽い作業がひとつ来た。案内状を折って、封筒に入れて、数を数える仕事だ。
柴原くんは、小松菜の時と同じ手つきをした。三十通並べて、揃っているかどうかを自分で確かめる。揃っていないと、並べ直す。
箱に詰めて送り返す日、伝票の宛先を柴原くんに書いてもらった。彼が自分の会社の名前を書いたのは、それが初めてだった。
同じ区画を使っている会社は、ほかにもある。同じことを頼んだ手紙を、わたしは四通出した。返事は一通も来なかった。契約はそのまま更新された。
入江さんも、次に来るときはまた写真を撮るのだと思う。数字が足りていて助かっています、とも言うのだと思う。
変わったのは、そのあとに封筒の話が続くようになった、それだけだ。
わたしはそれを、一つ進んだと思うことにしている。
裏の山は、消えなかった。
三年ぶんは、三年ぶんのまま、冷たいまま小松菜の山がそこにある。掘れば、たぶん今も採った日の色をしている。わたしはもう温度計を刺していない。
変わったのは、これから採るぶんの行き先だけだ。
暮れの、いちだんと寒くなった朝、直売所から電話があった。
昨日の分、傷んでいました、と言われた。
「よかった」
わたしは、そう答えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。





