↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
よく育ちます

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/100

後編 まだ、渡していません


 わたしは、出荷先を探すことにした。


 三袋を棚に置いたまま、休みの日に神宝町の商店街を歩いた。八百屋は、大手スーパーに客足を取られてもうない。惣菜屋は仕入れ先が決まっていた。子ども食堂をやっているという公民館は、その日は閉まっていた。


 昼を過ぎて、古いビルの一階に喫茶店があったので、入った。


 カウンターに、若い店員さんがいた。名札に中野とあった。


 コーヒーを頼んで、つい愚痴のように言ってしまった。野菜が余っていて、出す先を探しているのだけれど、うまくいかない。それに、うちの野菜は変な日の持ち方をする。


 中野さんは、そうですか、と言って、それから真顔になった。


 「うちのオーナーに聞いてみたらどうですか」


 この店の。


 「このビルの、十階です。拝み屋さんなので」


 わたしは、コーヒーの湯気ごしにその人の顔を見た。冗談を言っている顔ではなかった。


 十階には、事務所がひとつしかなかった。


 黒いスーツの人が、窓を開けてたばこを吸っていた。五十くらいだろうか。目が細くて、開いているのか閉じているのか分からない。ポケット灰皿を持っていた。


 わたしが用件を話すと、その人は長いあいだ黙っていた。


 「めんどくせぇ」


 小さい声だったけれど、聞こえた。


 わたしが立ち上がりかけると、その人は片手を上げた。


 「あー、いや。行きますよ。ぼく、慈恩といいます」


 拝み屋さんですか、と訊いた。


 「そんなようなもんです」


 慈恩さんが農園へ来たのは、次の水曜だった。


 ビニールハウスは見なかった。洗い場も見なかった。長靴も断って、革靴のまま、まっすぐ裏へ回った。堆肥場の前で立ち止まって、囲いに手をかけて、しばらく山を見ていた。


 わたしは温度計の話をした。三年ぶん積んで、外気と同じであること。掘ると採った日のままの小松菜が出てくること。


 慈恩さんは、山から目を離さずに言った。


 「ここのは、まだ終わってないんですよ」


 それから、少しだけ間があった。


 「終わってないものは、腐れません」


 どういう意味ですか、と訊いた。


 慈恩さんは答えなかった。かわりに、囲いの木の縁を指でなぞって、指先を見た。土がついていなかった。


 わたしは、返事を待ったが、この人はもう説明しないのだと、そのとき分かった。


 休憩所でお茶を出した。


 慈恩さんは湯呑みを両手で持って、都築さんはここへ来て何年ですか、と訊いた。三年です、と答えた。


 その前は、と訊かれた。


 わたしは話した。介護の現場にいたこと。人が足りなくて、終わりが来なかったこと。最後の半年をあまり覚えていないこと。駐車場で車から降りられなくなった日のこと。


 ここへ来て、残業がなくなったこと。腰が痛くなくなったこと。人に、ありがとうと言われるようになったこと。


 「いい職場ですよ」


 わたしは言った。言いながら、自分の声が固いのが分かった。


 慈恩さんは、そうですか、とだけ言った。


 わたしはそれで、言ってしまった。


 柴原くんの雇い主が、ここにない会社であること。柴原くんがその会社へ行ったことがないこと。年に二回、写真を撮りに来る人がいて、数字が足りていて助かっていますと言うこと。採れたものが、社内で配るぶんを除けば、ほとんどが、裏の山に捨てに行くこと。


 そして、柴原くんに、ここはなんの会社ですかと訊かれて、寒くなってきたね、と胡麻化して答えたこと。


 「わたしは、この仕事に救われたんです」


 湯呑みを持つ手が震えていた。


 「だから、この仕事のことを、悪く言えないんです」


 慈恩さんは、しばらく黙っていた。それから、窓の外の山のほうを見て、こう言った。


 「悪く言えって、誰か言いましたか」


 わたしは顔を上げた。


 「ぼくが読めるのは、あそこに何が残ってるかまでです。続きをどうするかは、あなたが決めてください」


 答えを出してくれるのだと思っていた。この人は出さなかった。


 帰り際、慈恩さんは上着から小瓶を出しかけて、やめた。かわりに、無地のカードを一枚くれた。


 何を書くんですか。


 「あなたの言葉で、ひとつだけ」


 わたしは事務所で二時間考えて、一行だけ書いた。


 ——まだ、渡していません。


 その日の夕方、わたしは手袋をしないで堆肥場へ行った。


 素手で掘った。冷たかった。においがしなかった。手首まで入れて、腕まで入れて、肩が痛くなるまで掘って、底のあたりにカードを差し込んだ。それから、掘った土を自分の手で戻した。


 爪のあいだに、黒い土が残った。


 次の週から、わたしは野菜を出す卸先を作った。


 駅の裏の直売所に、週二回。商店街の食堂に、火曜と金曜。公民館の子ども食堂に、月の初めと終わり。全部で、採れる量の三割にもならない。それでも、行き先の名前が三つ増えた。


 最初の出荷の朝、わたしは直売所の戸を自分で開けた。


 開店の一時間前で、鍵は前の日に店の人から預かっていた。引き戸が重くて、二度、力を入れた。開いたところへ朝の光が入って、棚の板が白く見えた。


 わたしはそこに、袋を並べた。


 拝み屋さんに教わったことは、カードを書くことと、それを埋めることの二つだけだった。戸を開けたのは、誰かに言われたからではない。開けたら並べるものがあった、というだけのことだ。


 それから、蓑輪さんに立ち会ってもらって、柴原くんを休憩所へ呼んだ。


 柴原くんは、怒られると思ったらしくて、手袋を外して、両手をこすり合わせてから座った。


 わたしは、この前の質問に答えます、と言った。


 「あなたが作ったものは、いまはどこにも届いていません」


 柴原くんは、まばたきをした。


 「届くようにします」


 柴原くんは、しばらく何も言わなかった。それから、小さい声で訊いた。


 「ぼくの、小松菜も、ですか」


 あなたの小松菜も、と答えた。


 蓑輪さんが、横で洟をすすった。この人はこの日まで、本当に何も知らなかったのだと思う。


 わたしは、本社からの話も柴原くんに伝えた。同じ区画を使っている別の会社へ移るという形も取れる、という話です、と。


 柴原くんは首を横に振った。


 「ここがいいです」


 どうして、と訊いた。


 柴原くんは少し考えた。


 「小松菜、ここで採りたいんです」


 わたしはその日のうちに本社へ折り返して、本人の希望ではないので移動のお話は進めません、と伝えた。電話の向こうの人は、分かりました、とだけ言った。それきり何の連絡も来なかった。


 入江さんには、電話をかけて頼んだ。次の視察が春だから、それまで待てなかったからだ。


 写真ではなく、そちらの会社の仕事を、ひとつでいいからこの現場へ回してもらえませんか。と。


 入江さんは、電話の向こうでしばらく黙っていた。それから、持ち帰ります、と言った。


 三週間程経って、封入と仕分けの軽い作業がひとつ来た。案内状を折って、封筒に入れて、数を数える仕事だ。


 柴原くんは、小松菜の時と同じ手つきをした。三十通並べて、揃っているかどうかを自分で確かめる。揃っていないと、並べ直す。


 箱に詰めて送り返す日、伝票の宛先を柴原くんに書いてもらった。彼が自分の会社の名前を書いたのは、それが初めてだった。


 同じ区画を使っている会社は、ほかにもある。同じことを頼んだ手紙を、わたしは四通出した。返事は一通も来なかった。契約はそのまま更新された。


 入江さんも、次に来るときはまた写真を撮るのだと思う。数字が足りていて助かっています、とも言うのだと思う。


 変わったのは、そのあとに封筒の話が続くようになった、それだけだ。


 わたしはそれを、一つ進んだと思うことにしている。


 裏の山は、消えなかった。


 三年ぶんは、三年ぶんのまま、冷たいまま小松菜の山がそこにある。掘れば、たぶん今も採った日の色をしている。わたしはもう温度計を刺していない。


 変わったのは、これから採るぶんの行き先だけだ。


 暮れの、いちだんと寒くなった朝、直売所から電話があった。


 昨日の分、傷んでいました、と言われた。


 「よかった」


 わたしは、そう答えた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。