前編 三年ぶんの山
十月の農家は、朝がいちばん静かだ。
そのころ、裏の堆肥場には、三年前の小松菜がまだ青いまま埋まっていた。
わたしは、まだ知らなかった。
六時半に鍵を開けて、両側の巻き上げ窓を順に上げていくと、夜のあいだこもっていた土のにおいが動きだす。わたしはそれを一度、深く吸う。前にいた職場では、朝に息を吸っている暇がなかった。
七時に人が来る。八人。
柴原くんはいつも三番目だ。自転車を決まった場所に置いて、長靴に履き替えて、手袋をはめる前に両手をこすり合わせる。それから、おはようございます、と言う。声が大きい。
「都築さん、今日は小松菜ですか」
小松菜だよ、と答えると、うれしそうにコンテナを取りに行く。
柴原くんは小松菜が好きだ。正確には、小松菜を採るのが好きだ。根元を左手で押さえて、刃を寝かせて、一株ずつ切る。三十本ならべて、揃っているかどうかを自分で確かめる。揃っていないと、並べ直す。
勤めて二年で、彼の纏めた束がいちばんきれいになった。
八時に蓑輪さんが来る。この区画の責任者で、五十四歳。軽トラックから降りるなり、通路のまん中に立って、おはようございます、と言う。それから毎朝おなじことを言う。
「今日もよく育ってます」
みんなが笑う。柴原くんがいちばん大きく笑う。
蓑輪さんは本気で言っている。それがこの人のいいところだ。作業が遅れても怒らないし、誰かが休んでも、体が第一ですよ、と言う。去年、通勤の道で自転車がパンクした人がいたときは、自分の車で迎えに行った。
わたしはコンテナを保管庫へ運びながら、三年前のことを少し思い出した。
その前は介護の現場にいた。人が足りなくて、終わりが来ない仕事だった。最後の半年のことは、あまり覚えていない。覚えているのは、朝、駐車場で車から降りられなくなった日のことだけだ。
ここへ来て、わたしは残業をしなくなった。腰も痛めなくなった。人に感謝されるようになった。給料は前より少ないけれど、毎月きちんと出る。
だからわたしは、この仕事のことを、あまり深く考えないようにしている。
入江さんが来たのは、その週の金曜だった。
年に二回、春と秋に来る。東京の神宝町から電車で一時間ほどの町に本社がある会社の、人事の人だ。
四十くらいで、いつも紺色のジャケットを着ている。
入江さんはビニールハウスを一周して、写真を撮った。柴原くんたちが小松菜を採っているところ、洗い場、コンテナの並び。人の顔が写るものは、あとで確認しますね、と毎回きちんと言う。
休憩所でお茶を出したとき、入江さんはノートを閉じて、こう言った。
「おかげさまで、今期もうちの数字が足りていて、助かっています」
わたしは湯呑みを置いた。
入江さんは悪い人ではない。写真の許可を取るし、名前を覚えているし、去年は柴原くんの誕生日の月にお菓子を持ってきた。
それでも、その一言の間だけ、わたしは自分の手のやり場が分からなくなる。
柴原くんの雇い主は、入江さんの会社だ。
給与明細に入っている社名も、雇用契約書に書いてある社名も、そこだ。
柴原くんは、その会社へ行ったことがない。
入江さんが帰った翌週、うちの本社からわたしに電話があった。
わたしが勤めているのは、この農園を持っている会社のほうだ。場所と設備と苗と、人の世話をする人間を用意して、それを企業に使ってもらう。柴原くんたちとは、雇い主が違う。だからわたしは、この人たちの上司ではない。
電話は、その柴原くんの話だった。
「勤続二年ですよね。就業場所も、やってる仕事も変わらないので、同じ区画を使ってる別の会社さんのほうへ移ってもらうという形も取れますよ」
どうしてですか、と訊いた。
「いや、選択肢としてです」
選択肢としてです、ともう一度言われた。それ以上の理由は、電話の向こうの人も言わなかった。言わないのではなく、その人も知らないのだと思う。わたしはあとでご連絡します、と答えて切った。
その日から、わたしは折り返さなかった。
採れた野菜は、まず入江さんの会社へ送る。月に二回、社内で配るぶんだ。次に、うちの本社が別の区画のぶんとまとめて何かに使う。何に使うのかを、わたしは訊いたことがない。
残りは堆肥場へ行く。
量でいうと、残りがいちばん多い。
十月の終わりに、柴原くんがわたしのところへ来た。手袋を外して、両手をこすり合わせてから訊いた。
「都築さん。ここは、なんの会社ですか」
わたしは束ねかけた小松菜を持ったまま、彼の顔を見た。
「ぼくの会社の名前、書いてあるやつ、ここにないですよね」
柴原くんは、洗い場の壁を指した。そこには農園の看板と、作業手順と、蓑輪さんが貼った標語がある。彼の会社の名前は、どこにもない。
わたしは、そうだね、と言った。それから、寒くなってきたね、と言った。
柴原くんは、寒いです、と答えて、洗い場へ戻っていった。
その日から、採った野菜がどこへ行くのかを、前より見るようになった。
堆肥場のことに気がついたのは、その次の週だ。
ハウスの裏に、囲いをした場所がある。出せなかった野菜を運び込むところで、わたしが来る前から使っている。積み上がったら切り返して、下に落ちたぶんを土へ戻す。そういうものだと聞いていた。
その日、わたしは長い温度計を持って行った。二年目の秋に一度、堆肥が熱くなりすぎると火が出ることがあると聞いて、それから月に一度は測っている。高すぎないかを見るためだから、低いぶんには、これまで何も思わなかった。
刺した。上げた。目盛りは外の気温と、ほとんど同じだった。
三年ぶん積んで、外気と同じ。
わたしは手袋を外して、山に手を入れた。冷たかった。においもしなかった。
掘りながら、妙だと思ったことがある。
三年ぶん積んだものなら、下へ行くほど黒くなっていていいはずだ。層になって、去年の秋と今年の夏の区別がつくはずだ。
この山は、どこまで掘っても同じ色だった。
半分ほど掘って、手が止まった。
小松菜が出てきた。
葉がひらいたままで、色が落ちていない。切り口も乾いていない。根元を押さえて刃を寝かせた跡が、そのまま残っている。
わたしはそれを持って立ち上がった。持ち上げたときの重さが、朝に採ったものと同じだった。
蓑輪さんに見せた。蓑輪さんは大きな声で笑った。
「うちのは出来がいいから」
本気で言っている顔だった。
資材屋さんにも訊いた。軽トラックから肥料を下ろしながら、いろいろ言ってくれた。
貯蔵性の高い晩生の品種を使っていること。十月から先はこの辺りは冷えること。ハウスと保管庫の湿度が低めなこと。堆肥場の切り返しが足りていないと、そもそも発酵が始まらないこと。それに、野菜が思ったより長持ちするのは珍しくないこと。
「都築さん、野菜って、意外と粘り強いですよ」
わたしは笑って、そうですよね、と答えた。
筋は通っていた。わたしは納得した。その晩はよく眠れた。
十一月に入って、わたしは試しに十袋だけ、駅の裏の直売所へ出してみた。
小松菜を三束ずつ、袋に詰めた。同じ日の朝、同じ畝から、同じ籠に採ったものだ。値札はいちばん安い値段にした。売れなければ売れないで構わなかった。
七袋が売れた。三袋が、夕方に戻ってきた。
戻ってきた三袋は、事務所の棚に置いた。
一週間して、商店街の食堂の人がハウスの前を通りかかったとき、この前の小松菜おいしかった、と言われた。もう使いましたか、と訊くと、三日で使い切りましたよ、四日目には端がしなびてたから、と笑われた。
わたしはその日、同じ畝から採ったぶんを一袋だけ、自分の家へ持って帰った。冷蔵庫に入れて、四日目に開けた。しなびていた。葉の縁が茶色くなって、においも変わっていた。ふつうだった。
棚の三袋は、二週間経っても、採った日のままだった。
わたしは事務所の椅子に座って、その三袋をしばらく見ていた。
同じ日の、同じ畝の、同じ籠だ。
違うのは、食べる人のところまで届いたかどうかだけだった。
届いたものだけが、腐っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。





