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神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
しまい湯

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第四話 先に、呼びます


 二〇〇六年の一月に、おれは北陸の海沿いの町にいた。


 雪は前の晩から降りつづけていて、朝には駅前の縁石が消えていた。


 仕事は一人で受けた。


 堂島開錠の名刺には、暮れから肩書きの行が入っている。


 おれはその裏に、自分の携帯の番号を油性のペンで書き足すようになった。


 会社の番号だけでは、夜に困る人がいる。


 現場は、坂を一つ越えた先の湯の町だった。


 宿が七つばかり並んでいて、そのうちの一軒が二年前に畳んでいる。


 売る前に中を空にしたい、というのが今度の依頼だった。


 玄関で待っていたのは不動産の担当だった。


 コートの肩に雪を載せたまま名刺を出した。


 四十くらいの男で、話しはじめる前に腕時計を見る癖があった。


 「三階の奥です。板が打ってあって、開かない。中身が分からないと、値段が出せません」


 案内された部屋の入口には、板が横に四枚打ってあった。


 釘は新しくはないが、錆びてもいない。


 上の欄間に、布団部屋、と読める札が残っていた。


 「塞いだ理由は、聞いていますか」


 「前の持ち主に訊いても、要らないから、としか言わないんですよ。ネズミでも出たんでしょう」


 おれは工具袋を下ろして、床に道具を並べた。


 手袋をはめて、それから言った。


 「開けます。ただし、閉じ込められている物の責任は負いません」


 噛まなかった。


 後半で声も落ちなかった。


 それから、板に手を当てた。


 外す前に板の面と、わきの壁と、下の床に手を当てる。


 何かを測っているわけではない。


 手癖だ。


 冷たかった。


 板も壁も、手袋ごしに冷たさを返してきた。


 乾いてもいた。


 押すと埃が手袋の指について、白くなる乾き方だった。


 おれは手を止めた。


 「先に、呼びます」


 担当が顔を上げた。


 腕時計ではなく、おれの顔を見た。


 「呼ぶというのは、誰をですか」


 「見立て屋です。この町の名簿に一人います。半日でも、来てもらいます」


 「……いくらかかるんですか」


 おれは相場を言った。


 担当は息を吐いた。


 板を外すのが今日の午後で、そのあと清掃の業者を入れて、来週には写真を撮る段取りになっているという。


 一日ずれると、全部ずれる。


 それは分かった。


 「たいした物は入ってませんよ。座布団か、古い布団です」


 「たぶん、そうです」


 「じゃあ——」


 「先に、呼びます」


 二度、同じことを言った。


 理由は言わなかった。


 言おうとすれば、去年の十一月の話をすることになる。


 山の上の宿と、五枚の板と、まっすぐ並べて置かれていた四つの道具。


 あれを人に話して、通じたためしがない。


 「費用はうちが持ちます」


 担当はもう一度腕時計を見て、好きにしてくれ、という顔をした。


 男は車へ戻って、暖房を入れたまま座っていた。


 おれは玄関の三和土で待った。


 宿の中は外より寒い。


 息が白くなって、止まった柱時計の文字盤のあたりで消えた。


 帳場の窓口には板が一枚渡してあって、その板にも埃が積もっていた。


 寺尾さんは一時間半で来た。


 名簿の欄の番号へかけると本人が出て、雪だから遅くなるとだけ言った。


 六十を過ぎた小柄な人で、軽トラの荷台に長い棒を積んでいた。


 道具は少なかった。


 棒と、懐中電灯と、湿度計と、手帳。


 二時間、見ていた。


 板の面を手のひらで押して、わきの壁を指の背で叩き、床に膝をついて板の下の隙間へ光を入れた。


 廊下の突き当たりまで行って、配管の立ち上がりを叩いた。


 ボイラー室の扉を開けて、しばらく戻ってこなかった。


 窓は一つずつ開け閉てして、桟の滑りを見ていた。


 途中で一度、おれの顔を見た。


 「なんで呼んだ」


 「板が打ってあったので」


 寺尾さんは、ふん、と言った。


 それきり何も訊かなかった。


 二時間経って、手帳を閉じた。


 「何もありません」


 担当が後ろで肩を落とすのが分かった。


 おれは頭を下げた。


 「ありがとうございます。助かります」


 寺尾さんは手帳を一枚破って、金額を書いて担当に渡した。


 何も出なかった日も、出た日も、同じ額だった。


 担当は口を開きかけて、やめた。


 寺尾さんは少し黙ってから、積もる前に帰りますと言って、玄関を出ていった。


 おれは軽トラが坂を下りていくのを見てから、廊下へ戻った。


 釘は素直に出た。


 錆びが浅い。


 四枚を十分で外して、廊下の壁へ立てかけた。


 最後の一枚を外すとき、おれは半歩下がった。


 下がる必要は、どこにもなかった。


 中は空だった。


 六畳ほどの板の間に、天井まで棚が組んである。


 下の段に座布団が積んであった。


 二十枚ずつ紐でくくって、三つ。


 埃が指の厚みで載っていて、光を入れると、舞った埃が筋になった。


 奥の隅にネズミの糞が散っている。


 それだけだった。


 冷たい空気が廊下へ出てきた。


 閉めきった部屋の、ただの冷たさだった。


 何も起きなかった。


 「ほらな」と担当が言った。


 おれは手袋を外して、板の間へ上がった。


 膝をついて、床に手のひらを当てた。


 板の間は乾いていた。


 手のひらが白くなった。


 棚の柱も、座布団の紐も、触ると同じだけ乾いていた。


 外へ出て、庇の下で携帯を出した。


 名簿の怪異相談の欄は、いまも一行しかない。


 名前と番号だけだ。


 押すと、三回で出た。


 「はい」


 「堂島開錠の郷原です。北陸の宿の件です。板を外しました。何も無かったです」


 「はい。それでいいです」


 それだけだった。


 おれはあとを続けた。


 先に見立て屋を入れたこと。


 二時間見てもらったこと。


 費用はこちらで持ったこと。


 慈恩さんは相づちも打たなかった。


 行くとも、行かないとも言われなかった。


 電話の向こうで、低い音が同じ間隔で寄せて、引いていた。


 海だろうと思ったが、訊かなかった。


 「無駄でしたね」


 責める色はなかった。


 おれが何か返す前に、続きが来た。


 「……ぼくは、無駄なほうが好きです」


 電話は切れた。


 雪が画面に落ちて、すぐ水になった。


 事務所へ戻ったのは次の日の昼だった。


 堂島は机で伝票を書いていた。


 おれは経費の紙を出して、見立て屋の分をそこへ足した理由を言った。


 堂島は紙を受け取っただけだった。


 鞄から名簿を出して、伝票の横へ置いた。


 もらったときは二つ折りの薄い冊子で、上着の内ポケットに入った。


 いまは輪ゴムで留めないと閉じない。


 県ごとの欄の余白に、番号を書き足してある。


 半分は見立て屋で、残りは名前だけ聞いて、まだ会っていない人だ。


 挟んだ紙も増えた。


 まだ開けていない現場のメモ。


 板の枚数、釘の頭の錆び方、行った日付。


 開ける前に誰かを呼んだかどうかを、いちいち書くようになった。


 いちばん奥に、写しが一枚挟んである。


 年の暮れに新開見立事務所の所長から封書で届いたものだ。


 こちらで持っていても仕方がないので、とだけ添えてあった。


 野帳の、最後の頁だけの写しだった。


 一五時一〇分/湯船 四一・二/桶 四一・二


 一五時四〇分/湯船 四一・二/桶 二六・〇 ※直接検温済


 何度読んでも、分かることは増えない。


 分からないまま、月に一度くらい開いている。


 堂島は輪ゴムを外して、二、三枚めくった。


 「増えたな」


 それだけ言って名簿を戻し、また伝票に目を落とした。


 夕方、次の現場の住所を渡された。


 県内で、明日の朝いちばんだという。


 外へ出ると、まだ降っていた。


 庇の下で工具袋を提げ直して、ポケットから手袋を出した。


 はめる前に、手のひらを見た。


 乾いていた。


 おれは、手袋をポケットに入れた。


『しまい湯』は、この第四話で完結です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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