第三話 しまい湯
この宿は母から継いだ。
継いだのは母が死んだ年で、その六年前から、わたしは同じことを言われつづけていた。
湯だけは落とすな。
理由は訊かなかった。
母は理由を言う人ではなかったし、わたしも訊く娘ではなかった。
言われたとおりに、三十年、落とさなかった。
落とそうとしたのは、三年前、この宿を畳むと決めた日が最初だった。
開錠屋さんが板を外した次の朝、坂を上がってくると、玄関の前に見たことのない車が停まっていた。
近づくと運転席が倒してあって、人がひとり寝ていた。
声をかけようか迷っているうちに、戸が開いた。
黒いスーツの若い男が降りてきて、襟を直した。
細い目をしていて、開いているのか閉じているのか、分からなかった。
「怪異相談の慈恩です」
男はそう名乗って、依頼人を助けるのが仕事ですと続けた。
宿の前で寝ていたことについては、何も言わなかった。
昼前に、新開見立事務所の所長が来た。
三和土で頭を下げて、なかなか上げなかった。
「うちはもう、この現場を触れません」
所長は鞄から契約の紙を出して、日付に線を引いた。
次の者を入れるわけにはいかない、と言った。
声が途中で細くなった。
わたしは判を押した。
所長が紙を持って帰ってしまうと、この宿に残っているのは、わたしひとりの頼みごとだけになった。
「そのほうが、こちらも早いです」
慈恩さんは、それだけ言った。
わたしは、お願いします、と言った。
旧館へ案内した。
板は外されて、廊下の壁に立てかけてある。
内湯の窓も戸も閉まったままで、中は湯気で白かった。
石の湯船に、縁の際まで湯が満ちている。
慈恩さんはしゃがんで、しばらく見ていた。
手は膝に置いたままで、柄杓にも縁にも触らなかった。
立ち上がって、わたしの顔の少し上のあたりを見た。
それから、わたしを見た。
目は開かなかった。
「いつから落ちないんですか」
「三年前です。畳むと決めて、下の板を一枚剥がして、栓を抜こうとしたときに」
「そのときが、最初ですか」
わたしは口を開いて、そのまま閉じた。
最初ではなかった。
抜こうとしたのが三年前だというだけだ。
それより前、わたしは一度も抜いていない。
落とすなと言われていたから、落とさなかった。
落ちるか落ちないかを、試したことがない。
言われはじめた年なら、はっきりしている。
わたしが三十七で、まだ帳場の隅に座っていたころだ。
母が女将で、この宿にいちばん人が入っていた時分だった。
三十年になる。
配管の話でも、廃業の話でも、いなくなった人の話でもなかった。
どれも、三十年には届かなかった。
「三十年、理由を知らないまま守ってきました」
わたしは、そう言った。
言ってしまうと、あとが続いた。
母は寝たきりになってから半年生きて、頭のほうは最後まではっきりしていた。
訊く時間なら、いくらでもあった。
わたしは訊かなかった。
訊けば、その理由を引き受けることになる。
母の葬式のときも、湯は落とさなかった。
喪中の札を出して、内湯の入口に板を五枚打っただけだった。
使わないことにしてしまえば、落とさずに済む。
二十四年、そうやって通した。
三年前に下の一枚を剥がしたときも、落ちないと分かると、その日のうちに打ち直した。
釘は半分しか入らなかった。
「宿帳は、残っていますか」
「帳場の奥に、全部あります。捨てられませんでした」
「宇野さん、探してください。昭和五十年です」
慈恩さんは帳場の板の間に腰を下ろして、それきり動かなかった。
棚から出すのも、埃を払うのも、頁をめくるのも、わたしの手だった。
昭和五十年の帳面は、下から三冊目にあった。
十月の頁に、二十四人の団体が入っている。
名前が縦に並んで、その横に着と発の欄がある。
発の欄が、一つだけ空いていた。
梅木三郎。
住所は北のほうの県だった。
書いたのは宿の者の字で、着の日付だけが入っていた。
思い出したというより、思い出さないようにしていたものが戻ってきた。
あの朝、湯殿で人が倒れた。
番頭が廊下を走ってきて、母は帳場から動かなかった。
裏の通用口へ戸板が回されるあいだも、母は机の前に座って、その日の午後に入る次の団体の名前を書いていた。
玄関では、誰も見送らなかった。
あの人だけが、この宿の玄関を出ていない。
わたしは帳面を閉じた。
手が冷たくなっていた。
「いちばん新しいのは、どれですか」
慈恩さんが訊いた。
わたしは廃業の年で終わっている一冊を出して、机に置いた。
最後の客の名前のあとは、白いはずだった。
白くなかった。
次の頁の一行目に、知らない字で名前と住所が書いてあった。
細くて、まっすぐな字だった。
部屋の欄に、二階の角、とある。
二階の角の部屋には、布団が敷いてあった。
敷いてあって、その上に人がいた。
わたしは廊下から名前を呼んだ。
返事はなかった。
あとのことは、順番がよく分からない。
坂の下から救急車が上がってきて、そのあとに警察の車が来た。
人が出入りして、写真を撮って、また出ていった。
慈恩さんはずっと廊下の端に立っていて、誰にも何も説明しなかった。
わたしにもだ。
日が傾いてから、慈恩さんは旧館の入口のところへ戻ってきた。
「この宿は、まだ一件、済んでいません」
それだけだった。
済んでいないというのは梅木さんのことですか、と訊いた。
慈恩さんは答えなかった。
「落とすのは、ぼくの仕事じゃありません」
「……わたしの、ですか」
「閉じたままにもできます。板を打ち直せば、明日も同じです。……そうしますか」
わたしは、いいえ、と言った。
まず、窓を開けた。
桟が動かなくて、腰を入れて押した。
三十年、閉めるほうにしか力を入れてこなかった窓だった。
戸も、脱衣所の高窓も、廊下の突き当たりの引き戸も、開くところは全部開けた。
白い湯気が廊下へ流れ出して、外の冷たい空気とぶつかって、消えた。
慈恩さんは小瓶を出して、わたしの手のひらに粗塩をあけた。
「額に汗が出ていますよ」
言われて触ると、湯気で生え際が濡れていた。
指につけて、手のひらの塩へ移した。
塩は溶けきらずに、ざらざらしたまま濡れた。
それを持って、湯船の縁を一周した。
石は温かかった。
角のところで一度、指が止まった。
ここは母が雑巾を当てていた場所だ。
慈恩さんは上着から無地のカードを一枚出して、差し出した。
書く言葉については、何も言わなかった。
帳場から鉛筆を取ってきて、書いた。
またのお越しを。
女将になってから、口では何千回も言った。
書いたのは初めてだった。
慈恩さんはそれを見て、何も言わなかった。
置く場所を訊こうとして、やめた。
わたしはカードを帳面のあいだに挟んだ。
栓には鎖がついている。
湯船の底の隅にあって、腕を肩まで入れないと届かない。
わたしは袖に手をかけて、止まった。
「開錠屋さんは、湯に触るなと言われたと聞きました」
「宇野さんは、この宿の人です。帰る人ではありません」
わたしは袖をまくって、帳面を左手に持ち直した。
「梅木三郎さま」
声が思ったより通った。
湯気の立つ内湯は、よく響く。
「お発ちでございます。長らくお世話になりました。……お気をつけて」
右手を湯に沈めた。
指が鎖に触れて、輪をつかんだ。
引くのに、思っていたよりも力が要った。
三十年ぶんの重さがあるのだと思ったが、たぶん、錆びていただけだ。
音がした。
底のほうで、水がひとつところへ集まっていく音だった。
渦の中心に湯気の筋が寄って、面がゆっくり下がりはじめた。
しゃがんだまま、最後まで見ていた。
石の底が出て、洗い場の桶が倒れた。
それきり、何の音もしなくなった。
帳面からカードを取って、乾きはじめた石の底に置いた。
湯のあったところに、字が一枚だけ残った。
慈恩さんは、いつのまにか廊下にいなかった。
夕方、玄関に車が着いた。
早川さんを運ぶ車だった。
所長さんが一緒に乗って、わたしに頭を下げた。
わたしは草履をつっかけて、外へ出た。
十一月の坂は、日が落ちるのが早い。
車は音を立てずに向きを変えて、坂を下りていった。
その人は、戻ってこなかった。
あの日ここへ来て、鍵を開けてくれてありがとうと言った人だ。
わたしは、何も返していない。
車が坂を曲がって見えなくなるまで、わたしは頭を下げていた。
母が、しなかったことだった。





