後編 ならいます
紐は、切れてはいなかった。結び目のかたちのまま、畳に落ちていた。わたしはそれを拾って、手のひらに乗せて、しばらく座っていた。怖いという気持ちは、やっぱり湧いてこなかった。かわりに、腹の底が重くなった。仕舞えば開かない、と娘は言った。仕舞ったのだ。仕舞ったのに、出てきた。
昼過ぎに、わたしはまたレンガのビルの戸を引いた。慈恩さんは前の日と同じ黒いスーツで、同じところに座っていた。細い線香が、また一本立っていた。
「茶箱の上に、出ていました。紐はほどけて、脇に落ちていました」
慈恩さんは湯呑みを畳に置いた。
「ゆうべ、拓也さんは来ましたか」
「来ていません。ゆうべは誰も」
「二月はどうでした」
わたしは指を折って数えた。
「二月のはじめの一週間は、あの子は来ませんでした。たちの悪い風邪で寝込んで、学校も休んでいたそうです。その間も毎朝、開いていましたよ。心細かったから、よけいに覚えています」
言ってしまってから、自分の言葉に、遅れて追いついた。あの子がいないあいだも、開いていた。
慈恩さんは畳のへりのあたりを見たまま、少しのあいだ黙っていた。
「夕方、もう一度おじゃまします」
その日の夕方、慈恩さんはうちの仏間で、辞書を膝に置いた。開いたり閉じたりはせずに、まず横から小口を見た。それから親指で、紙をゆっくり送っていった。角の折れた紙を拾っているのだと、しばらくして分かった。
「折ってあるのが、二十四あります」
慈恩さんはそのうちの何枚かを開いて、声に出した。あじ。みりん。はかり。つりせん。したごしらえ。
わたしは膝の上で、手を握った。
「これは全部、あなたの仕事の言葉です」
台所と店の言葉だった。手で覚えてきたほうの言葉だった。
「開きはじめたのは、納骨のあとからでしたね」
「そうです」
「折ったのは、ご主人ですか」
「……たぶん。爪で押す癖のある人でした。新聞でも、あとで読むところをああやって折るんです」
そこへ玄関が鳴って、拓也が入ってきた。娘もいた。母親に連れられて謝りに来たらしいのに、仏間の様子を見て、拓也は立ったままになった。
「じいちゃんの道具箱、まだ物置にあるよ」拓也が言った。「おれ、去年ヤスリ借りた。字の書いた紙が入ってたけど、触ってない」
工場をやめてからも、夫は道具箱を離さなかった。物置の奥から出すと、蝶番が錆びていて、開けるのに拓也の力がいった。中には、ノギスと、油差しと、短くなった鉛筆と、封筒が入っていた。
封筒の中の紙を、拓也が畳に広げた。広げてすぐ、口をつぐんだ。
紙には字が並んでいた。上から下へ、一行に一つずつ。行の頭に、数のようなものがついていた。何枚かあって、いちばん上の紙の角には、辞書と同じ、爪で押した細い折り目があった。
娘が紙を取り上げて、目で追った。途中で指が止まった。それから顔を上げて、わたしを見て、また紙に目を落として、もう一度わたしを見た。口が半分開いていたが、声にならなかった。
「これ、さっきの……」
拓也が言いかけて、机の上の辞書を見た。娘に袖を引かれて、そのまま黙った。
わたしには、その紙が読めない。読めないのに、分かってしまった。
若いころに、一度だけ、夫が言ったことがある。夜勤明けの台所で、湯呑みを持ったまま、ふみ、字は習えばいい、と。わたしは鍋をひっくり返しそうな声で怒鳴った。人にできないことを言うな、と言った。夫はそれきり、二度と言わなかった。四十年、言わなかった。定年の年に買ってきたのが、あの辞書一冊だった。
わたしは畳に手をついて、娘のほうを向いた。
「あんたに、言ってなかったことがある。お母さんはね、字が読めないんだよ」
娘は泣かなかった。ずいぶん長いこと黙って、それから、手が痛いって、あれ、と言った。わたしはうなずいた。娘は自分の膝を見て、ごめん、と言った。謝られる筋合いなんかないのに、そう言った。
慈恩さんは、そのあいだずっと辞書を膝に置いて黙っていた。娘の息が落ち着いてから、口を開いた。
「閉じさせることはできます。難しくありません」
「……閉じさせると、どうなりますか」
「開かなくなります。それだけです」
慈恩さんは辞書を机に戻した。
「でも、閉じたいんですか」
わたしは答えられなかった。
「ご主人が残したのは、たぶん、教える途中です」
「……主人は、もういません」
「はい。だから、続きをどうするかは、米倉さんが決めてください」
慈恩さんは、畳の上の夫の紙を封筒に戻して、わたしの手に載せた。
「これを、辞書に挟んでください。どこでもいいです。あなたの手で」
「終わらせるんですか」
「受け取りました、という印です」
わたしは封筒を、角の折れた紙のあいだに挟んだ。表紙を閉じると、辞書は少しだけ厚くなった。
それから慈恩さんは、内ポケットからあの日のと同じ無地のカードを一枚出して、鉛筆といっしょに、こちらへ滑らせた。
膝の上の手が、また布をさがしかけた。わたしはその手を、鉛筆のほうへ持っていった。
「読めなくていいです。書くだけでいいんです」
「……なんて書けばいいんですか」
「あなたが決めてください」
仏壇の写真が目に入った。夫は写真の中でも、まっすぐこちらを見ていない。少し横を向いて、困ったような顔をしている。
「ならいます」
声は、思っていたより小さかった。
慈恩さんはカードの隅に小さく手本を書いて、それから一つずつ、線の向きを口で言った。ここから右へ。ここで曲げて、下へ。最後は丸く。わたしは鉛筆を持ち直した。包丁より重たかった。
書き終えるのに、ずいぶんかかった。線は曲がって、大きさもばらばらで、しまいの字だけ紙の端からはみ出した。それでも、五つ並んだ。人の見ている前で字を書いたのは、生まれてはじめてだった。
「上等です」慈恩さんは言った。「曲がっていていいんです。書いた人の字ですから」
わたしはそのカードを、辞書の上に置いた。
翌朝、目が覚めて仏間へ行くと、カードは置いたところにあった。辞書は閉じたままだった。次の朝も、その次の朝も、閉じていた。
三月に入って何日かして、娘が紙を持ってきた。隣の市に、夜にやっている中学があるのだという。電話で聞いてきたらしく、二枚の紙をこたつに広げて、ここが名前、ここが住所、と指で押さえて教えた。わたしはその指の先を見ていた。
「書いといてあげようか」
娘が鉛筆を持った。わたしは首を振った。
「そこは、いい」
その晩、折り込み広告の裏を使って、自分の名前を練習した。拓也に一度書いてもらって、それを見ながら書いた。米は田んぼみたいな形だと拓也が言った。倉は屋根がついている、と。夫の紙を横に置いておいた。何十枚も書いて、いちばんましなのを見ながら、願書の欄に写した。ますからはみ出したが、消さなかった。
願書を出した帰り、バスを一本見送って、停留所のベンチに座っていた。春から、学校へ行く。教わる相手は、もういない。
次の朝、仏間の机で、辞書は閉じたままだった。わたしはお茶をあげて、線香に火を点けて、それから両手で表紙を起こした。紙のにおいがした。字は、やっぱり読めなかった。上の角に、小さな折り目があった。
辞書は、もう勝手には開かない。
開いているなら、それは、わたしが開けたのだ。





