前編 毎朝、開いている
仏間の辞書が、毎朝、ちがうところで開いている。
開いている紙は、いつも上の角が小さく折ってある。爪で押したような、細い折り目だ。折ったのは、去年の秋に死んだ夫だ。
閉じて、机の端にきちんと置いておく。それでも朝、仏壇にお茶をあげにいくと、また開いている。
はじめて気がついたのは、夫の納骨がすんだ次の日だった。
夫の正一は、町の工場で長いこと旋盤を回していた人だった。無口で、物を捨てない人だった。その人が、定年になった年に、国語の辞書を一冊だけ買ってきた。ほかに何も欲しがらない人が、それだけ買った。箱に入って、帯もついたままの、新しい本だった。仏間の机の隅に置いて、思い出したように開いては、また閉じていた。何を調べているのか、わたしは訊かなかった。訊けば、こちらが返せなくなるからだ。
その夫が、去年の秋に、寝床で息をしなくなった。六十八だった。
開き方は、毎朝ちがった。右のかたまりが厚い朝もあれば、左が厚い朝もある。真ん中でぱっくり分かれている朝もあった。厚みを目で測るくせがついてしまって、お茶をあげるより先に、まずそこを見るようになった。折り目は、どれも新しいものではなかった。
風かと思って、窓を確かめた。仏間の窓は建てつけが悪くて、寒い時分はいっそう動かない。開けた覚えもない。夜のうちに家へ入る者もいない。それでも朝になると、開いている。
わたしは駅の裏の惣菜屋で、朝の下ごしらえをしている。六十五になるが、まだ使ってもらえている。里芋の皮を剥いて、ひじきを戻して、鍋の番をする。
わたしは、字が読めない。
店の壁には、その日の品書きの札が並ぶ。わたしはその札を、色と場所で覚えている。いちばん左の白いのが煮物、その隣の黄色いのが揚げ物、赤いのが炒め物。並びが入れ替わる日は、朝いちばんに奥さんが声に出して読み上げるので、それを頭に入れる。奥さんは親切のつもりではなく、忙しくて口が先に動くだけだ。わたしはそれに助けられて、ここまで来た。
戦争が終わったあと、うちには子を学校へやる余裕がなかった。下に弟が三人いて、母は寝ていた。行かないうちに歳だけが上がった。あとは働いた。工場の賄い、旅館の洗い場、いまの惣菜屋。手で覚えることなら、たいてい覚えられた。味も火加減も、誰にも負けない自信がある。
困るのは、紙が来たときだけだ。役所の紙、保険の紙、葬式のあとに束で来た紙。そういうときは、手が痛くて字が震えるから、と言って娘に渡す。娘はもう四十を過ぎていて、母親の手はずっと痛いものだと思っている。そうやって、通してきた。夫にその話をしたのも、若いころに一度きりだった。
娘は近所に住んでいる。孫の拓也は中学二年で、学校の帰りにときどき寄っては、台所でやかんの茶を飲んで帰る。
暮れに、辞書のことを娘に話してみた。娘は洗い物の手を止めもしなかった。
「本なんて反るものでしょ。古い家だし」
そんなに古い本ではないと言いかけて、やめた。
それから、いろいろ試した。閉じたうえに醤油の一升瓶を寝かせた朝は、瓶が机の端まで転がっていて、辞書は開いていた。机ごと押し入れの前へ寄せた朝も、開いていた。閉じたときが何ページ目だったのか、わたしには言えない。紙の厚みしか、覚えていられない。
怖くはなかった。夫がいた家で、夫の本が開いているだけだ。こたえたのは、誰にも言えないことだった。言えば、どこが開いていたのかと訊かれる。訊かれれば、読めないと言うほかない。
二月の終わりごろ、鍋の前で、つい口に出した。
「うちの仏間の本が、毎朝、勝手に開くんですよ」
店主は五十がらみの男で、包丁を置いてこちらを向いた。
「米倉さん。駅の裏の、レンガのビルがあるだろう。あの一階だよ」
「なんですか」
「拝み屋。祓うほうじゃなくて、見てくれるほうだって聞いた」
三月の最初の休みの日に、わたしはそのビルの前に立った。ガラス戸には何も書いていない。書いてあっても読めないのだから同じことだと思いながら、戸を引いた。
上がると畳で、細い線香が一本立っていた。机の上に、無地のカードの束が置いてある。座っていたのは黒いスーツの男で、三十にも見えない若さだった。糸のように細い目をしていた。
「拝み屋の慈恩です。まあ、占いみたいなもんです」
わたしは、駅裏の惣菜屋で朝の下ごしらえをしている者だと名乗ってから、辞書のことを話した。納骨のあくる日から開いていること、閉じても重しを載せても、朝には開いていること。話すうちに、自分の声が言い訳のように聞こえてきた。
慈恩さんはカードの束から一枚を抜いて、鉛筆といっしょに、こちらへ滑らせた。
「開いてたところ、書けますか」
わたしの手が、動かなかった。
膝の上で、指が勝手に服の布をつまんでいた。四十年、この一瞬をよけて生きてきた。手が痛い、老眼で見えない、家に置いてきた。逃げる言い方は、いくらでも口の先にある。それが、この日は出てこなかった。
「……読めないんです」
言ってしまってから、耳の奥がしんとした。人に言ったのは四十年ぶりだった。娘も、孫も、知らない。
慈恩さんはカードを引き戻して、束の上に重ねた。それだけだった。眉も動かなかったし、声の高さも同じままだった。
「はい。それで、辞書は毎朝、どのへんが開いてるんですか」
わたしは、息を吐いた。
「……右が厚い朝と、左が厚い朝があります。真ん中のこともあります」
「なるほど。角は」
「折ってあります。小さく」
「わかりました。あしたの朝は、そのままにしておいてください。ぼくが見ます」
帰りぎわに家の場所を訊かれて、番地と、角の酒屋を目印に伝えた。翌朝、慈恩さんは黒いスーツのまま、手ぶらで来た。玄関で靴をそろえて、仏壇に手を合わせて、それから机の前にしゃがんだ。
辞書は、いつものように開いていた。その朝は左が厚かった。
慈恩さんは、開いた紙をしばらく見ていた。字を追うというより、紙の並びを見ている目つきだった。それから上の角の折り目に指先をあてて、少しのあいだ、そのまま止めていた。
「この部屋、朝は日が入りますね」
「入ります。冬でも、七時には仏壇まで来ます」
慈恩さんは立って、窓の桟を指で押した。桟は少し動いて、冷たい空気がすっと入ってきた。それから机に戻り、辞書を閉じて、背を目の高さまで持ち上げた。
「背が、緩んでます」
そう言っただけで、直るとも直らないとも言わなかった。
昼を回っても、慈恩さんは帰らなかった。仏間の窓と敷居を順に見て、ときどき机の前に戻った。
そこへ、玄関が鳴った。
拓也だった。学校の帰りらしく、かばんを提げたまま上がり口に立って、知らない男がいるのを見て固まった。娘もあとから入ってきた。
「拓也」
娘が呼ぶと、拓也は下を向いた。
「……おれ、何回か開けた」
畳の縁を見たまま、拓也は言った。線香をあげに寄ったとき、机の辞書をぱらぱらめくって、そのまま置いて帰った。じいちゃんがよくああやってたから、真似した、と。
「怒られると思って、言わなかった」
わたしは、そうかい、とだけ言った。娘は大きなため息をついて、わたしを見た。
「ほら。日が当たって、背が緩んで、拓也が開けてただけじゃない。お母さん、もう仕舞いなよ。しまっとけば開かないでしょ」
わたしは慈恩さんを見た。慈恩さんは湯呑みの縁を見ていて、こちらを見なかった。何も言わなかった。
「……そうするよ」
わたしは、そう言った。理屈がついてしまえば、そういうものだった。日と、緩んだ背と、十四の子のいたずら。それで全部だ。閉じたのを見たあとで開ける者はいない、と思っていたのが、はじめから間違っていた。
その日の夕方、わたしは辞書を布巾で拭いて、荷造り用の紐で十字に縛った。結び目を二度きつく引いて、押し入れの茶箱のいちばん下に入れた。上から夫の作業着を重ねて、蓋をした。
床につく前に、もう一度、襖を開けて確かめた。茶箱の蓋は、閉まっていた。
翌朝、いつもの時間に目が覚めた。仏間へ行くと、机の上には何もなかった。わたしはほっとして、湯呑みにお茶を注ぎ、線香に火を点けた。煙がまっすぐ上がった。
立ち上がったとき、押し入れの襖が、半分だけ開いているのが見えた。
茶箱の蓋の上に、辞書が置いてあった。
紐は解けて、脇に落ちていた。結び目はほどけたままの形で、切られてはいなかった。
そして、開いていた。右のほうが、少し厚かった。





