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神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
一分、早い

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前編 四時五十九分

町の夕方五時を鳴らすのが仕事の人の話。


 北三丁目のスピーカーだけが、夕方五時のチャイムを一分早く鳴らす。


 四時五十九分ちょうどに鳴りはじめて、五時には黙っている。


 今年の春に市の補助でおれが取り替えた、まだ塗装の匂いの残る新品だ。


 六十二にもなって、拝み屋の戸を叩くことになるとは思わなかった。


 最初に電話をよこしたのは町内会長の佐々木さんだった。


 受話器の向こうで、紙をめくる音がしていた。


 「田上さん。北三の子どもが五時前に帰ってくるんだよ。親が言うんだ。チャイムが鳴ったら家に入れって」


 「一分です」


 「一分でも、ずれてるのはずれてるだろう。直ったのか、直らないのか、どっちなんだ」


 それはそのとおりだった。


 おれは受話器を持ったまま頭を下げた。


 設備はもともと三ツ輪製作所が町に寄付したもので、工場が閉まったあとを町内会と商店街が引き継いだ。


 うちが保守を請け負うようになったのも、そこからだ。


 区画は四つ。


 今年の春、市の補助で四つとも新しくした。


 図面を引いて、電柱に登って線をつないだのもおれだ。


 看板を出している以上、一分のずれでも、うちの仕事の粗になる。


 北三丁目で気にしていないのは、めっき屋の沖田さんだけだった。


 三ツ輪の下請けだった作業場をひとりで回している七十一の親父さんだ。


 挨拶に行くと、蛍光灯が二本しか点いていない土間の奥で、槽の水面だけが白く光っていた。


 換気扇の音の底に、ラジオが小さく鳴っている。


 「昔からああだよ」


 「昔から、ですか。春に取り替えたばかりですよ」


 「なら気のせいだ。おれがガキの時分は鐘だったしな」


 沖田さんは笑って、また槽に向き直った。


 おれはそれを、耳の遠くなった年寄りの言うことだと思った。


 五時の少し前、沖田さんは何も言わずに手を止めた。


 ゴム手袋を外して、蛇口の水で腕を洗う。


 チャイムが鳴りはじめたときには、もうシャッターの前まで来ていた。


 翌日、おれは工具箱を積んだ軽トラで四時前から町内を回った。


 まず一一七に電話をかけて、腕時計の竜頭を引く。


 短い音が三つ来て、四つ目に長い音が来る。


 その頭に合わせて指を放した。


 親父から譲られた、蓋の内側に傷のある古い時計だ。


 それから北三丁目の電柱の下に立ち、ストップウォッチを握って待った。


 四時五十八分五十九秒。


 針が上に来る。


 その瞬間、頭の上のスピーカーが咳をするような音を立てて、チャイムが鳴りはじめた。


 四時五十九分〇秒。


 誤差はない。


 おれは親指でストップウォッチを止めて、手帳に数字を書いた。


 道の向こうからランドセルが二つ小走りに来て、音が鳴りきる前に路地へ消えた。


 そのまま残りの三区画を回った。


 南一丁目も東二丁目も駅前も、同じ手順で測った。


 三つとも五時ちょうどだった。


 ずれているのは北三丁目だけだ。


 その晩、商店街の会合があった。


 帰りに電器屋仲間の越智が言った。


 「拝み屋の人がいるよ。駅の裏の、レンガのやつ」


 「機械の話だぞ」


 「だから、機械で直らなかったらの話だ」


 おれは笑った。


 故障に憑くも祟るもない。


 四十年以上、線と端子と焼けた接点だけを相手にしてきた男の言い分だ。


 答えは次の日のうちに出た。


 子局の制御盤の扉を開けると、タイマーの接点が黒く焼けている。


 摩耗した接点が早く落ちることはある。


 新品にも初期不良は出る。


 部品を頼んで、二日後に替えた。


 その日の夕方、電柱の下で待った。


 四時五十九分、鳴らない。


 五時ちょうど、鳴った。


 会長の家に寄って報告すると、佐々木さんは湯呑みを持ったまま「そうかそうか」と言って、二度うなずいた。


 おれは笑って玄関で靴を履いた。


 直したのだから、笑ってよかった。


 帰り道、北三丁目を軽トラで抜けた。


 田んぼだったところが今は更地で、砂利の上に草が腰まで伸びている。


 三ツ輪製作所の敷地だ。


 おれは十八でそこへ入った。


 電気係で、配線の引き直しと、焼けたモーターを巻き直すのが仕事だった。


 もうひとつ受け持ちがあって、それが終業のサイレンだった。


 事務所の壁に、赤い押しボタンが一つ付いていた。


 おれは毎日それを押した。


 押すと工場じゅうの人間が手を止めて、油の匂いのする廊下に足音が溢れた。


 押す時刻は入った日に一度教わったきりで、理由は聞かなかった。


 そういうものだと思っていた。


 十八から三十二年、おれの指がこの町の夕方を鳴らしていた。


 一九九一年に工場が閉まって、おれは家業に戻った。


 親父はそのころもう店の奥から出てこなくなっていて、几帳面な台帳の字だけが残っていた。


 おれが有線放送の設定をやり直したときも、親父は何も言わなかった。


 翌日の夕方、店の電話が鳴った。


 「田上さん。鳴ってるよ」


 時計を見た。


 四時五十九分だった。


 軽トラを飛ばして北三丁目に着き、制御盤の扉を開けて、テスターの棒を出力端子に当てた。


 針は動かない。


 四時五十九分、動かない。


 針が振れたのは五時ちょうどだった。


 つまり制御盤は正しい。


 五時になってから信号を出している。


 それなのにスピーカーは、その一分前に鳴っていた。


 おれは棒を当てたまましばらく動けなかった。


 信号より先に音が出る。


 そんな回路はこの世に無い。


 うちの保守台帳には、十二年ぶん同じ字が並んでいる。


 異常なし。


 異常なし。


 最初の一年だけ親父の字で、あとは全部おれの字だ。


 おれはそこに「原因不明」と書けなかった。


 一度書けば、その四文字がこれから毎月続く。


 越智に電話をかけた。


 越智は先に向こうへ話を通しておくと言った。


 レンガビルの一階に、その借家はあった。


 ガラス戸には何も書いていない。


 上がると畳で、細い線香が一本立っていた。


 机の上には灰皿と、無地のメモカードの束が置いてある。


 座っていたのはずいぶん若い男だった。


 三十にも見えない。


 糸みたいに細い目をしている。


 「田上電機さん。話は伺ってます。まあ、占いみたいなもんです」


 男は慈恩と名乗った。


 湯呑みも出さずに、おれの手元を見ている。


 正確には、袖から出た古い腕時計を見ていた。


 おれは鞄から手帳を出した。


 接点の型番も、テスターの数字も、全部書いてある。


 慈恩さんは手帳を見なかった。


 「一つだけ、いいですか」


 「はい」


 「その時刻、そこで仕事を終える人は、いまも居ますか」


 線香の煙がまっすぐ上がって、途中で横に折れた。


 おれは口を開けたまま言葉を探した。


 機械の話は一つも訊かれなかった。


 「……めっき屋の沖田さんが、五時で上がります」


 「では、行きますよ」


 次の日の夕方、慈恩さんは北三丁目の道の真ん中に立った。


 細い煙草を出して、火を点けないままポケット灰皿の縁で転がしている。


 風がなかった。


 更地の草も電線も動いていない。


 おれは電柱の下でスピーカーを見上げていた。


 四時五十九分〇秒。


 鳴った。


 慈恩さんはスピーカーを見なかった。


 顔を上げもしない。


 北の、更地の向こうを見ていた。


 昔は田んぼで、そのもっと先に町の端があった。


 誰も歩いていない砂利道を、細い目だけがまっすぐ辿っていく。


 チャイムの四つの音が、順に薄くなって消えた。


 「——遠いですね」


 慈恩さんはそう言って、それから、おれのほうを向いた。


 「明日、ここの電気を一日だけ落としてください」


 「落としたら鳴りませんよ」


 「鳴りますよ。どこかで」


 おれは電柱を見上げた。


 落とした電気が、どこで鳴るというのか。


 機械は何も間違っていない。


 間違っているのは、この町の五時のほうだ。


新品に替えても直らないものが、たまにあります。

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