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神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
日に、焼ける

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前編 濃くなる

葬儀の会館で、納棺の見習いをしています。


安置室の引き戸は、開けるときに下のほうで一度だけ鳴る。


三日目の朝も、わたしはその音を聞いてから、冷えた空気のなかへ入った。


荻野ハツさんの顔は、昨日より濃くなっていた。


見まちがいではなかった。


額も頬も、鼻の頭も一段だけ深く日に焼けていた。


白いのは首の下からだった。


開いた襟の形に三角に色が落ちて、その先はもう白い。


手は手首から先だけが濃い。


胸の上で組ませた指の甲と、顔と、首の三角。


焼けているのは、その三つだけだった。


冷房は二十度に入れてある。


窓は雨戸まで閉め、遮光のカーテンを引いてある。


この部屋には日が一筋も入らない。


二日目の朝にも、わたしは同じことを思った。


そのときは照明のせいだと自分に言った。


三日目は言えなかった。


昨日から今日までの濃さの差は、一昨日から昨日までの差と、同じだけに見えた。


わたしは宇津木千尋という。


神宝典礼で納棺の見習いをして、二年目になる。


安置室は一階のいちばん奥で、窓の外はすぐ隣家の壁だ。


ここだけは夏でも冬でも冷やしている。


手を消毒するたび、指の先から冷たくなっていく。


初日にすることは決まっている。


清拭をして、顔を剃る。


口を閉じて含み綿を入れる。


爪を切り、髪をとかす。


それから顔をつくる。


下地を薄く、ファンデーションを二度に分けて、頬にほんの少し色を置く。


唇は最後だ。


顔をつくるのは、わたしの得意なほうの仕事だった。


遺族はよく、生きてるみたい、と言う。


言われるたびに、わたしは手順のほうを思い出す。


どこに何をどれだけ置いたか。


その順番だけを思い出す。


情は入れない。


入れると続かないからだ。


二年やって一度も泣いていないことを、わたしは自分の腕だと思うようにしている。


ときどき、それが少し怖い。


若林さんは、この会館の葬祭ディレクターで、四十六になる。


わたしの指導役だ。


入ってすぐのころ、故人の顔を見たまま手を止めていたら、後ろから言われた。


「持たせるか、持たないかだ。それ以外は考えるな」


持たせるというのは、火葬の日まで状態を保つという意味だった。


夏はとくに、それだけを考える。


九時前に、長男の荻野修さんが来た。


五十四だと聞いている。


喪主だった。


汗を吸った喪服のまま、修さんは棺の小窓を開けて、そのまま動かなくなった。


「母は、こんな顔じゃない」


わたしは頭を下げた。


「昨日より、濃くなっているように見えます」


言ってから、余計なことを言ったと思った。


若林さんが横から出てきて、失礼しました、と静かに言った。


「白くしてくれ」


修さんはそれだけ言った。


理由も言わなかったし、こちらの説明も待たなかった。


廊下へ出て、携帯電話を耳に当てながら、親族の誰かに何度も同じことを話していた。


修さんが控室へ移ってから、若林さんは棺の蓋を開け、白い布団を胸まで下ろした。


「ドライアイスだな」


胸と腹に一枚ずつ、新聞紙で巻いたものが入っている。


若林さんはそれを持ち上げ、当たっていた場所を手のひらで確かめた。


「当て方が偏ると、皮膚の色が変わる。よくあることだ」


顔は濃く、体は白い。


冷たいものを当てた場所と当てていない場所で差が出る、と若林さんは言った。


夏の安置は乾く。


乾けば色は濃く見える。


そこへ蛍光灯の白い光が落ちれば、なおさら見え方が変わる。


それに、と若林さんはわたしのほうを見た。


「昨日、色を足したか」


足しました、とわたしは答えた。


初日より顔色が抜けて見えたので、二度目に薄く重ねた。


「たぶん、それも乗っている」


筋は通っていた。


ドライアイスを置き直して、わたしは乳液を含ませた脱脂綿で化粧を落とし、下地からやり直した。


今度は色を足さなかった。


若林さんは棺の縁に手を掛けたまま、しばらく見ていた。


「明日の朝、九時に出す。それまで持てばいい」


昼過ぎに、修さんはもう一度小窓を覗いて、何も言わずに控室へ戻った。


わたしはその日の残りを、受付の座敷で伝票を書いて過ごした。


最後の見回りは十時半と決めている。


通夜を終えた会館は静かで、廊下は非常口の緑だけが光っていた。


安置室の引き戸を開けて、わたしは足を止めた。


においがした。


線香でも、花でもない。


冷房の風にまじって、うすく乾いたにおいがした。


何のにおいか、はじめは分からなかった。


分かってしまうと、それ以外に思いつかなくなった。


布団だ。


よく晴れた日に半日干して、夕方に取り込んだ布団のにおいだった。


わたしは冷房の吹き出し口を見上げ、除湿機のタンクを引き出し、供物の下まで覗いた。


祭壇の花にも、線香の箱にも、それらしいものはなかった。


窓は閉まっている。


日は入っていない。


壁の温度計は二十度を指していた。


においは、棺のそばがいちばん濃かった。


わたしは小窓ではなく、蓋そのものを開けた。


顔は朝と同じだった。


夜のあいだに動くものではないのだと、そのときのわたしは思っていた。


手を合わせて、白い布団を胸まで下ろす。


それから、白装束の袖に指を掛けた。


肘の少し下に、線があった。


そこまでは白く、そこから先が濃い。


ぼやけてもいないし、斜めにもなっていない。


腕をぐるりと一周して、まっすぐに回っている。


半袖の袖口の高さだった。


手首には細い白い帯が一本あった。


時計の幅だった。


その少し上を、もう一本、うすい線が回っていた。


指先へ向かうほど濃く、肘のほうへ向かうと白い。


ゴムの口が締まる高さだ。


軍手だ、と思った。


もう片方の腕も見た。


同じ場所に、同じ線があった。


ドライアイスは胸と腹に置いてある。


腕には当たらない。


乾燥なら、線はここまでまっすぐにはならない。


化粧は顔にしかしていない。


服の形をしていた。


この人はいま、白い装束を着ている。


わたしが着せたものだ。


焼けているのは、その下だった。


袖を戻す指が、うまく動かなかった。


冷房の音と、自分の息の音しかしなかった。


控室の座卓に、茶色いアルバムが置きっぱなしになっていた。


遺影を選ぶために修さんが持ってきて、そのまま置いていったものだ。


片づけるつもりで手に取って、途中のページで指が止まった。


色のあせた一枚だった。


日付は入っていない。


白い帽子をかぶった女の人が、道の角に立って、黄色い旗を横に伸ばしている。


旗の下を、ランドセルの子どもが二人、走らずに渡っていた。


女の人の手には白い軍手がはまっている。


顔が焼けていた。


首は襟の形に三角で、その先は白い。


袖の下も白い。


棺のなかと、同じ色だった。


写真の角には見覚えがあった。


ガードレールの切れ目と、その向こうのブロック塀。


小学校の正門へ上がる、あの角だ。


わたしは六年間、あそこを渡って通った。


旗を持っていた人の顔は、思い出せなかった。


廊下で足音がして、若林さんが顔を出した。


「まだいたのか」


わたしはアルバムを閉じて、腕の線のことを話した。


袖の高さと、時計の跡と、軍手の口のこと。


若林さんは黙って聞いてから安置室へ入り、白装束の袖を自分でめくった。


しばらく、そのままだった。


それから袖を丁寧に戻して、布団を掛け直した。


「知り合いに、こういうのを見る人がいる」


レンガの古いビルの十階に事務所がある、と若林さんは言った。


慈恩さん、という人らしい。


拝み屋だ、とも言った。


若林さんの口から出るには、いちばん似合わない言葉だった。


「明日の朝、九時に出す」


時計は十一時を回っていた。


あと十時間で、荻野ハツさんは三日ぶりに屋根の下を出る。


その顔は明日の朝、もう一段だけ濃くなっている。


わたしにはもう、そうならない理由のほうが思いつかなかった。

後編。

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