↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
お客様の声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/100

第3話 確認いたします

窓口の忘れ物は、持ち主に返すか、見つからない場合、警察行か、規定により処分します。


最終話です。


 膝は、つかなかった。


 カードの音で、足に力が戻った。


 立ったまま、頭だけを下げて、その日を終えた。


 下げながら、喉の奥まで、謝罪じゃない言葉がせり上がっていた。


 かくにん、いたします。


 まだ、声にはならなかった。


 それでも、床は遠いままだった。


 おじいさんが帰ったあと、わたしは事務所の電話から、教わった番号にかけた。


 決まりました、と言うと、慈恩さんは「はい」とだけ言った。


 それだけの電話なのに、切ったあと、少しだけ息がしやすくなっていた。


 翌日の閉店後、慈恩さんは来た。


 手順は、拍子抜けするほど簡単だった。


「開けてください。窓口は、開けるところからです」


 夜は半分下ろしている窓口のシャッターを、全部上げた。


 がらがらと音がして、誰もいない売場の空気が、窓口の中まで通った。


 次に、小さな瓶から粗塩をわたしの掌に出して、汗で溶かしながら、カウンターの縁と受話器を、ゆっくり一周撫でさせられた。


 じゃり、と指の下で鳴った。


 夜の窓口を、こんなにゆっくり触ったのは初めてだった。


 天板の縁の塗装は、お客さまの立つ側だけ、うっすら剝げていた。


 十一年ぶん、誰かの手が置かれてきた場所だ。


 最後に、あのカード。


「書くのは、あなたです。謝罪以外で」


 ペンを持ったわたしの手は、最初に「申し訳」まで書いた。


 書こうと思ったわけじゃない。


 手が、勝手に書いた。


 ぞっとして、カードを破った。


 慈恩さんは何も言わなかった。


 二枚目に、今度はゆっくり、書いた。


 ——確認いたします。


 慈恩さんはそれを読んで、はじめて少しだけ笑った。


「はい。いい窓口です」


 カードを受話器の下に敷かせて、慈恩さんは言った。


「最後に、預かり主から一言。事務的に、はっきりと。この窓口は、もうあなたの持ち場です」


 わたしは、誰もいない売場に向かって、窓口の中から、声に出して言った。


「お預かりしていたお忘れ物は、規定により、本日処分いたしました。——もう、謝らなくていいです」


 受話器を、と目で促された。


 耳に当てると、あの声の層が、ひとつ、またひとつ、黙っていった。


 いちばん新しいほうから順に、灯りを消すみたいに。


 リボンの結び方を教えた、あの子の声も、消えた。


 ただ、二つだけ残った。


 いちばん古い、倉田さんの声。


 それから、いちばん下の、わたしの声。


「古いほうは、持ち主にお返しできます」


 と、慈恩さんは言った。


「新しいほうは、ぼくには処分できません。置いた本人が、明日からの窓口で持ち帰るんです。——書いたでしょう。確認いたします、と」


 週明け、あのおじいさんが来た。


 レシートが窓口に叩きつけられて、いつもの一時間が始まる——はずだった。


 わたしは、頭を下げる前に、カードの言葉を言った。


「確認いたします」


 自分の声が、震えていなかった。


 窓口の中の空気が、いつもより一度だけ低く、澄んでいた。


 伝票とレシートを、目の前で一枚ずつ照合した。


 値札の貼り間違いがひとつ。


 五十円、お返しした。


 残りは、息を吸って、初めて言った。


「こちらは、お間違いです」


 おじいさんは怒鳴りかけて、口を開けたまま、窓口を見た。


 何かを探すみたいに、わたしの後ろの、誰もいない空気を見た。


 それから、レシートを引ったくって、帰っていった。


 自動ドアを出ていく背中は、開店前のベンチで待っていた背中と同じで、少しだけ、小さかった。


 その日の苦情は、十五分で終わった。


 おじいさんは、次の週も来た。


 鰺と、値札と、床の汚れ。


 確認いたします。


 照合。


 間違っていた分だけ、返す。


 一時間は、来るたびに少しずつ短くなった。


 わたしは対応のたびに、日付と時間と用件を記録に起こして、店長の机に置いた。


 読まれているかは、分からない。


 それでも、記録は残る。


 静かになった時間で、忘れ物の帳簿も整理した。


 三カ月を過ぎた傘を七本、規定どおり処分した。


 備考欄が、初めて今日に追いついた。


 その週の終わり、閉店後の窓口で、受話器を取ってみた。


 層は、もうなかった。


 わたしの声も、しなかった。


 最後に残っていた倉田さんの声が、長い息を吐いて、それから言った。


 ——ありがとうございました。


 ぷつり、と切れた。


 わたしは受話器の輪ゴムを外して、コードを電話機に繋ぎ直した。


 窓口の電話は、繋がっているのが正しい形だと思ったから。


 翌朝から、その電話は、忘れ物の問い合わせにだけ鳴っている。


 週末、パート名簿の住所を頼りに、倉田さんを訪ねた。


 古いアパートの一階で、倉田さんは、春に見たときより、ずいぶん痩せていた。


 玄関先で、お茶も出せなくて申し訳——と言いかけて、自分の口を手で押さえた。


 いまでも夢の中で謝りつづけているんです、と倉田さんは笑った。


 笑い方が、謝り方に似ていた。


 部屋の奥に、ハローワークの封筒が見えた。


 次の仕事は、まだらしい。


 朝起きても頭を下げる相手がいないのは、変な感じです、とも言った。


 荒れた手の甲には、あの安いハンドクリームの匂いだけが残っていた。


 わたしは、規定どおりの顔で言った。


 窓口に、倉田さんのお忘れ物が残っていました。


 十一年ぶんの「申し訳ございません」です。


 規定により、処分いたしました。


 それから、これは処分できなかったので、お返しします——最後にひとつだけ残った声は、「ありがとうございました」でした。


 窓口は、倉田さんの謝り方だけじゃなくて、締めの一言まで覚えていました。


 倉田さんは、しばらく黙っていた。


 それから、上がり框に座り込んで泣いた。


 ごめんなさい、じゃなくて、ありがとう、と言って泣いた。


 帰りぎわ、ドアを押さえながら、倉田さんはひとりごとみたいに言った。


「あの人、ちゃんとご飯、食べてるかしらね」


 十一年というのは、そういう年月なのだと思う。


 慈恩さんには、電話で報告した。


 そうですか、とだけ返ってきて、切りぎわに一つ。


「窓口は、店の耳ですよ。——大事にしてあげてください」


 窓口のカードは、いまも受話器の下に敷いてある。


 おじいさんは、いまも週に三度来る。


 十五分ぶんの「確認いたします」は、毎晩、わたしが持って帰る。


 ただ、ときどき考える。


 うちの窓口で言えなくなった四十五分を、あの人は、どこで言っているんだろう。


 どこかの窓口が、今夜も「申し訳ございません」を置いて、帰ってはいないだろうか。


 ——隣町の電話が、鳴らなければいいと思う。

お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。