第3話 確認いたします
窓口の忘れ物は、持ち主に返すか、見つからない場合、警察行か、規定により処分します。
最終話です。
膝は、つかなかった。
カードの音で、足に力が戻った。
立ったまま、頭だけを下げて、その日を終えた。
下げながら、喉の奥まで、謝罪じゃない言葉がせり上がっていた。
かくにん、いたします。
まだ、声にはならなかった。
それでも、床は遠いままだった。
おじいさんが帰ったあと、わたしは事務所の電話から、教わった番号にかけた。
決まりました、と言うと、慈恩さんは「はい」とだけ言った。
それだけの電話なのに、切ったあと、少しだけ息がしやすくなっていた。
翌日の閉店後、慈恩さんは来た。
手順は、拍子抜けするほど簡単だった。
「開けてください。窓口は、開けるところからです」
夜は半分下ろしている窓口のシャッターを、全部上げた。
がらがらと音がして、誰もいない売場の空気が、窓口の中まで通った。
次に、小さな瓶から粗塩をわたしの掌に出して、汗で溶かしながら、カウンターの縁と受話器を、ゆっくり一周撫でさせられた。
じゃり、と指の下で鳴った。
夜の窓口を、こんなにゆっくり触ったのは初めてだった。
天板の縁の塗装は、お客さまの立つ側だけ、うっすら剝げていた。
十一年ぶん、誰かの手が置かれてきた場所だ。
最後に、あのカード。
「書くのは、あなたです。謝罪以外で」
ペンを持ったわたしの手は、最初に「申し訳」まで書いた。
書こうと思ったわけじゃない。
手が、勝手に書いた。
ぞっとして、カードを破った。
慈恩さんは何も言わなかった。
二枚目に、今度はゆっくり、書いた。
——確認いたします。
慈恩さんはそれを読んで、はじめて少しだけ笑った。
「はい。いい窓口です」
カードを受話器の下に敷かせて、慈恩さんは言った。
「最後に、預かり主から一言。事務的に、はっきりと。この窓口は、もうあなたの持ち場です」
わたしは、誰もいない売場に向かって、窓口の中から、声に出して言った。
「お預かりしていたお忘れ物は、規定により、本日処分いたしました。——もう、謝らなくていいです」
受話器を、と目で促された。
耳に当てると、あの声の層が、ひとつ、またひとつ、黙っていった。
いちばん新しいほうから順に、灯りを消すみたいに。
リボンの結び方を教えた、あの子の声も、消えた。
ただ、二つだけ残った。
いちばん古い、倉田さんの声。
それから、いちばん下の、わたしの声。
「古いほうは、持ち主にお返しできます」
と、慈恩さんは言った。
「新しいほうは、ぼくには処分できません。置いた本人が、明日からの窓口で持ち帰るんです。——書いたでしょう。確認いたします、と」
週明け、あのおじいさんが来た。
レシートが窓口に叩きつけられて、いつもの一時間が始まる——はずだった。
わたしは、頭を下げる前に、カードの言葉を言った。
「確認いたします」
自分の声が、震えていなかった。
窓口の中の空気が、いつもより一度だけ低く、澄んでいた。
伝票とレシートを、目の前で一枚ずつ照合した。
値札の貼り間違いがひとつ。
五十円、お返しした。
残りは、息を吸って、初めて言った。
「こちらは、お間違いです」
おじいさんは怒鳴りかけて、口を開けたまま、窓口を見た。
何かを探すみたいに、わたしの後ろの、誰もいない空気を見た。
それから、レシートを引ったくって、帰っていった。
自動ドアを出ていく背中は、開店前のベンチで待っていた背中と同じで、少しだけ、小さかった。
その日の苦情は、十五分で終わった。
おじいさんは、次の週も来た。
鰺と、値札と、床の汚れ。
確認いたします。
照合。
間違っていた分だけ、返す。
一時間は、来るたびに少しずつ短くなった。
わたしは対応のたびに、日付と時間と用件を記録に起こして、店長の机に置いた。
読まれているかは、分からない。
それでも、記録は残る。
静かになった時間で、忘れ物の帳簿も整理した。
三カ月を過ぎた傘を七本、規定どおり処分した。
備考欄が、初めて今日に追いついた。
その週の終わり、閉店後の窓口で、受話器を取ってみた。
層は、もうなかった。
わたしの声も、しなかった。
最後に残っていた倉田さんの声が、長い息を吐いて、それから言った。
——ありがとうございました。
ぷつり、と切れた。
わたしは受話器の輪ゴムを外して、コードを電話機に繋ぎ直した。
窓口の電話は、繋がっているのが正しい形だと思ったから。
翌朝から、その電話は、忘れ物の問い合わせにだけ鳴っている。
週末、パート名簿の住所を頼りに、倉田さんを訪ねた。
古いアパートの一階で、倉田さんは、春に見たときより、ずいぶん痩せていた。
玄関先で、お茶も出せなくて申し訳——と言いかけて、自分の口を手で押さえた。
いまでも夢の中で謝りつづけているんです、と倉田さんは笑った。
笑い方が、謝り方に似ていた。
部屋の奥に、ハローワークの封筒が見えた。
次の仕事は、まだらしい。
朝起きても頭を下げる相手がいないのは、変な感じです、とも言った。
荒れた手の甲には、あの安いハンドクリームの匂いだけが残っていた。
わたしは、規定どおりの顔で言った。
窓口に、倉田さんのお忘れ物が残っていました。
十一年ぶんの「申し訳ございません」です。
規定により、処分いたしました。
それから、これは処分できなかったので、お返しします——最後にひとつだけ残った声は、「ありがとうございました」でした。
窓口は、倉田さんの謝り方だけじゃなくて、締めの一言まで覚えていました。
倉田さんは、しばらく黙っていた。
それから、上がり框に座り込んで泣いた。
ごめんなさい、じゃなくて、ありがとう、と言って泣いた。
帰りぎわ、ドアを押さえながら、倉田さんはひとりごとみたいに言った。
「あの人、ちゃんとご飯、食べてるかしらね」
十一年というのは、そういう年月なのだと思う。
慈恩さんには、電話で報告した。
そうですか、とだけ返ってきて、切りぎわに一つ。
「窓口は、店の耳ですよ。——大事にしてあげてください」
窓口のカードは、いまも受話器の下に敷いてある。
おじいさんは、いまも週に三度来る。
十五分ぶんの「確認いたします」は、毎晩、わたしが持って帰る。
ただ、ときどき考える。
うちの窓口で言えなくなった四十五分を、あの人は、どこで言っているんだろう。
どこかの窓口が、今夜も「申し訳ございません」を置いて、帰ってはいないだろうか。
——隣町の電話が、鳴らなければいいと思う。
お読みいただき、ありがとうございました。





