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神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
お客様の声

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第2話 窓口の主

神宝町の拝み屋が、店に来ます。


 神宝町の拝み屋のことは、酒屋の配達のお兄さんが、バックヤードで缶コーヒーを飲みながら教えてくれた。


 看板を出さない拝み屋がいて、得意先の女将さんが店の妙な障りを片づけてもらったらしい。


 坊さんとも霊媒とも違うんだよなあ、と、お兄さんは言った。


 「なんというか——役所の窓口みたいなんだよ」。


 役所の窓口。


 その一言で行く気になったのだから、我ながらどうかしている。


 半日の有給を取って、電車を乗り継いで行った。


 窓口を空ける後ろめたさが、切符を買う手を二度、止めた。


 神宝町のはずれ、確かに看板のないビルだった。


 十階の一室で、糸みたいに細い目の男の人が、よれたアロハシャツで茶を啜っていた。


 机の上には、灰皿の代わりの携帯灰皿と、小さな瓶が一つ。


 慈恩と名乗った。


 わたしの話を最後まで聞いて、驚きもせず、メモも取らず、湯呑みを置いて訊いたのはひとつだけだった。


「その窓口、店のどのあたりにあります?」


 入口のすぐ横です、と答えると、「なるほど」と言った。


 それだけで、この人の中では何かが決まったらしかった。


 帰りぎわに、怖くないんですかと訊いた。


 愚問だったと思う。


 慈恩さんは湯呑みを片づけながら、事務的に答えた。


「謝りつづける電話より、謝らせつづけた店のほうが、よほど怖いですよ」


 三日後の閉店後、慈恩さんは店に来た。


 カウンターの中には入らず、客の立つ側に立って、暗い窓口をしばらく眺めていた。


 かと思うと、断りもなくコードの抜けた受話器を持ち上げて、耳に当てた。


 長いこと、黙って聞いていた。


 窓口の下の時計だけが回った。


 それから、この人は、こう応対した。


「はい、忘れ物窓口です。——お預かりしますよ。持ち主が見つかるまで」


 受話器を戻して、こちらを見ないまま言った。


「まず、霊を抜きにして、筋を通しますよ。一日に二百回、同じ言葉を口に出す人の耳は、静かになると、その言葉を勝手に流します。工場勤めの人が、休みの日にも機械の音を聞くのと同じです。新人さんも、同じ窓口で、同じ回数謝った。あなたもです。——ここまでは、耳鼻科と労務の話です」


「通らないのは、いまの電話です」


 窓口の天板を、指の背でこつんと叩いた。


「謝ってるのは、電話じゃありません。窓口です」


 言葉は、言った本人が持ち帰らないと、場所に残ることがあるんだそうだ。


 この窓口には、それが十一年ぶん、毎晩、置かれてきた。


「妖でも、霊でもありません。染みです。声の染み。——忘れ物窓口に、いちばん大きな忘れ物が、帳簿に載らないまま置きっぱなしになってる。それだけの話です」


 わたしは、倉田さんの引き継ぎノートを持ってきて、台に置いた。


 慈恩さんは、拝借します、と断ってからページをめくった。


 あのおじいさんのページで、手が止まった。


 値札の指摘は本人の目の前で照合すること。


 魚の苦情は火曜に多い。


 声が大きくなったら、まず椅子を勧める。


 几帳面な、練習したみたいに整った字。


 付箋が層になって、そのページだけ厚くなっていた。


 めくっていくと、付箋の色が途中で変わっていた。


 古いものは対処の手順で、新しいものは、日付と天気だけの短いメモになっていた。


 雨。


 膝が痛そうだった。


 晴れ。


 今日は三十分で帰った。


 ——手順というより、看病の記録に近かった。


「丁寧な人です。……最後だけ、字が違う」


 最後のページの隅に、走り書きがあった。


 ボールペンの線が薄くて、途中でかすれていた。


 ——わたしがやめたら、あの人は、だれにあやまってもらうんだろう。


 慈恩さんは、そこを二度読んで、ノートを閉じた。


「十一年は、義務じゃ続きません。この人は、謝ることを自分の持ち場だと思ってた。窓口が覚えたのは、その謝り方です」


「覚えた場所は、律儀ですよ。夜になると、その日の分を、誰もいない売場に向かって復習してる。聞いてしまった人から、順番に、ここに立てなくなる」


「それで」


 と、慈恩さんはわたしを見た。


 糸みたいな目のまま、まっすぐに。


「新しいのが、もう一枚増えてるのは、分かってますか。——あなたの声です」


 わたしは平気です、と言った。


 倉田さんとは違います、まだ半年ですし、そこまで思い詰めてもいません。


 言いながら、視界が少し下がった。


 頭が、勝手に下がっていた。


 謝るときの、あの角度に。


 慈恩さんはそれを指摘しなかった。


 めんどくさそうに首の後ろを掻いて、帰り支度を始めただけだった。


「はい。じゃ、平気なうちに来てください」


 帰りぎわ、無地のカードを一枚、窓口の台に置いた。


「宿題です。この窓口が、次の十一年、覚えていい言葉を一つ。決まったら、電話をください。——コードの、繋がってるほうで」


 その夜、家の風呂で、湯に顎まで沈んだとき、自分の口が動いているのに気づいた。


 声は出ていない。


 ただ、唇だけが、申し訳ございません、の形を繰り返していた。


 慌てて手で塞いだ。


 塞いだ手が、震えていた。


 平気です、と言った昼間の自分を、湯の中で少しずつ撤回した。


 週明け、あのおじいさんが来た。


 鰺と、値札と、レジの男の目つき。


 いつもの四十分が過ぎても、その日は終わらなかった。


 声が一段大きくなって、杖の先が床を、だん、と突いた。


 謝れ。


 ちゃんと、心から謝れ。


 レジの列から、視線がこちらへ流れてくるのが分かった。


 誰も来ない。


 誰も止めない。


 窓口のことは、窓口が謝って収める。


 この店は、ずっとそうやってきたのだ。


 頭の中が白くなって、膝から力が抜けた。


 床の冷たさが、近づいてくる。


 倉田さんが見ていた床は、この高さだったのかと思った、その瞬間——


 エプロンのポケットの中で、かさり、と鳴った。


 無地のカードだった。


宿題は、無地のカード一枚。


最終話「確認いたします」に続きます。

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