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神宝町怪異相談 ~働く人の怪異をほどく、神宝町の拝み屋~  作者: K3/KASANE
お客様の声

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第1話 コードの抜けた電話

閉店後のスーパーで、コードの抜けた電話が鳴ります。出ると、誰かが、ずっと謝っています。


サービスカウンターの、忘れ物のお話です。全三話。


 閉店後のサービスカウンターで、電話が鳴った。


 コードは、先月からずっと抜いてある。


 受話器を取ると、女の人が謝っていた。


「申し訳ございません。申し訳ございません」


 その声を、わたしは知っていた。


 わたしは香坂由紀。


 二十六歳。


 郊外のスーパー「あけぼの」のサービスカウンター——あの電話が鳴った窓口に、この春から立っている。


 仕事は忘れ物の管理と、贈答品の包装と、返金と、苦情の受付。


 窓口はレジと違って、お客さまの「困った」だけが集まってくる場所だ。


 忘れ物棚には、傘が九本と、老眼鏡が三つと、名前の刺繍が入った子供の帽子が一つ入っている。


 規定では、三カ月保管して、引き取りがなければ処分する。


 傘は増える。


 帽子は、たぶんもう取りに来ない。


 数えたことがある。


 「申し訳ございません」を、一日に何回言うか。


 昼までで八十を超えて、数えるのをやめた。


 朝はまだいい。


 忘れ物が持ち主に返る日もある。


 先々週は、置き忘れの老眼鏡を取りに来たおばあさんが、よかったよかったと三回言って帰った。


 ありがとうございました、と言える日は、いい日だ。


 窓口の一日は、そこから、謝るほうへゆっくり傾いていく。


 週に三度来る常連のおじいさんがいる。


 開店の三十分前から、入口のベンチにひとりで座って待っている。


 売場を一周して、レシートを片手に窓口へ来る。


 そこから一時間、怒鳴る。


 この鰺は昨日より小さい、同じ値段で小さいのは詐欺だろう。


 半分は本当で、半分は本当じゃない。


 連れの人を、わたしは一度も見たことがない。


 謝りながら、わたしは窓口の下の時計をちらりと見る。


 四十分。


 経験上、あと二十分で帰る。


 謝罪は、回数を重ねるほど意味が抜けて、ただの相槌になっていく。


 それでも窓口は謝る。


 謝る以外の手を、わたしは教わっていない。


 一度だけ店長に、ああいうお客さまへの決まりはないんですかと訊いたことがある。


 お客様あっての商売だろ、うまくやってくれ、で終わった。


 うまく、の中身は、教えてもらえなかった。


 教えてくれるはずだった人は、この春、突然辞めた。


 倉田さん。


 パート歴十一年、窓口の主だった人だ。


 いなくなった理由の半分は、わたしが見ていながら動けなかったことだと、いまでも思っている。


 倉田さんの頭の下げ方は、わたしたちのとは違った。


 腰から折って、三秒止めて、ゆっくり上げる。


 どんな怒鳴り声も、それでなぜか鎮まった。


 あのおじいさんでさえ、最後には「うん」と言って帰った。


 うん、って何なんですか、と休憩室で訊いたことがある。


 倉田さんは笑って、さあ、うちに帰るまでの燃料じゃないかしら、と言った。


 窓口は店の顔だから、とも言っていた。


 顔が下がっているあいだは、店の中の誰も怒鳴られずに済むのよ、と。


 冗談みたいに言いながら、倉田さんは荒れた手の甲に、安いハンドクリームを塗っていた。


 わたしが最後に見たのは、春の土曜日だ。


 特売の売場じゅうに響く怒鳴り声の中で、倉田さんは窓口を出て、床に膝をついた。


 買い物客が遠巻きに見ていた。


 わたしはバックヤードの陰にいて、出て行けなかった。


 足が動かなかった、と言えば聞こえはいいけれど、本当は、隣に並んで膝をつくのが怖かったのだと思う。


 倉田さんは、その週のうちに辞めた。


 理由は「一身上の都合」。


 残ったのは、客あしらいの手順を書き溜めた引き継ぎノートだけだった。


 あのおじいさんのページにだけ、付箋がびっしり貼ってあった。


 そのページを開くたび、出て行けなかった自分の足を思い出す。


 夜の声を最初に聞いたのは、わたしじゃない。


 閉め作業を任せたばかりの新人の子だ。


 高校を出たばかりで、包装リボンの結び方をわたしが教えた。


 その子が青い顔で事務所に駆け込んできて、「カウンターの電話が」とだけ言った。


 それ以上は、何度訊いても言わなかった。


 三日後、お母さんから欠勤の電話があって、そのまま辞めた。


 ロッカーに残った荷物を段ボールに詰めて送ったのは、わたしだ。


 詰めながら、あの子の「申し訳ございません」を思い出していた。


 教えたのは、リボンの結び方だけじゃなかったのだ。


 店長に話すと、疲れてたんだよ、で終わった。


 電話のコードを抜いたのは、その店長だ。


 抜いたコードの先を輪ゴムで束ねて、店長は誰よりも早く帰った。


 それでも、鳴る。


 月末の棚卸しの夜、わたしは一人で残っていた。


 十時過ぎ。


 売場の照明は半分落ちて、床磨き機の音も止んでいた。


 窓口の前を通ったとき、鳴った。


 低い、こもった呼び出し音。


 コードの先は、輪ゴムで束ねられたまま台の下にぶら下がっている。


 それが見えているのに、電話は鳴りつづけた。


 逃げればよかったのだと思う。


 でも、わたしの手は受話器を取っていた。


 窓口の人間の癖だ。


 三コール以内に取れと、そう躾けられてきた手だ。


 受話器は、氷みたいに冷たかった。


 耳に当てると、声は遠かった。


 電話の声というより、深い井戸の底から聞こえてくるような距離があった。


「申し訳ございません。申し訳ございません」


 倉田さんの声だった。


 間違えようがない。


 十一年、この窓口で頭を下げつづけた人の、あの少し湿った声。


 腰から折って、三秒止める、あの角度が聞こえるような声だった。


 受話器を置こうとして、置けなくなった。


 声は、一人ぶんじゃなかった。


 倉田さんの声の下に、薄く、別の声が重なっている。


 若い声。


 リボンの結び方を教えた、あの子の声だ。


 それから、もう一つ。


 いちばん下から、いちばん新しくて、いちばん掠れた声が聞こえた。


 わたしの声だった。


 いつのまに、と思う間もなく、思い当たった。


 わたしは、あの言葉の一つも、持って帰った覚えがない。



窓口の電話は、誰の声で鳴るのか。

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