後編 閉村の一打
父は、新遠瀬の家の縁側で、慈恩さんの顔を長いこと見てから、茶も出さずに、話しはじめた。
七十八になる父が村の話をするのを、私は生まれて初めて聞いた。
移転の年、閉村式をやるはずだった、と父は言った。
円通寺の境内に村じゅうが集まって、住職の経のあと、鐘を撞く。
ひとり一打ずつでも撞いて、それから鍵を役場に渡す。
世話役だった父が、段取りをぜんぶ組んでいた。
だが、式は流れた。
補償の交渉が最後までもつれて、判を押さない家が三軒残ったまま、湛水の日程だけが先に決まった。
役場は言った。
式は、水位の下がった年に改めて。
鐘の引き上げは、予算がつき次第——。
「わしはな」父は、湖のほうを見たまま言った。
「言って回っただよ。また戻れる。また、鐘を撞ける。そう言わんと、荷物をまとめん家があっただでな。……それきりだ。予算は、つかなんだ。改めての式も、なかった。わしが言って回った『また』を、みんな、持ったまんま散っただ」
慈恩さんは、口を挟まずに聞いていた。
父が話し終えると、一つだけ言った。
「妖でも、幽霊でもありませんよ。祟りでもない。——約束です。百二十戸ぶんの『また戻れる』が、行き場がないんで、いちばん大きな器に溜まったんです。あの鐘に。鐘ってのは、もともと、村の時間を仕切る道具でしょう。始まりも、終わりも、あれが鳴らして決めてきた。だから、待ってるんです。この村を閉める、最後の一打を。——この村は、まだ閉まってません。誰も、閉めてやらなかったので」
そのころ、本省では別の話が進んでいた。
渇水のいまなら陸からクレーンが届く、世間が騒ぐ前に鐘を撤去して終わりにしろ——という話だ。
戸倉さんの班は、反対していた。
器だけを引き上げれば、溜まったものが行き場を失って、湖ぜんたいに散る。
散ったあと、次に何を器にするかは、観測のしようがない。
じゃあお前たちの手で祓えるのか、と本省は言う。
戸倉さんは、正直に答えたそうだ。
うちにできるのは、閉鎖だけです、と。
会議は、湖畔の管理事務所で開かれた。
本省の課長と、県と、うちの所長と、戸倉さんの班と、末席に拝み屋がひとり。
撤去か、封鎖して水位の回復を待つか。
声の大きい順に話が決まりかけたとき、慈恩さんが、湯呑みを置いて言った。
「約束を果たせば、勝手に鳴りやみますよ」
閉村式をやり直す。
渇水で旧道が歩けるいまのうちに、元村民を集めて、湖底の寺で経をあげて、鐘に最後の一打を撞かせる。
それだけです、と。
本省の課長は、鼻で笑いかけて、笑いきれなかった。
前例がない、誰が責任を取る、と課長は言った。
戸倉さんが、静かに言った。
「前例なら、去年、ありました。——詳細は、私の職位からは申し上げられませんが」。
課長は、戸倉さんの顔を見て、それから、書類を閉じた。
段取りは、二週間かかった。
私は、有給を三日使って、元村民の名簿を作った。
役場の移転台帳は二十四年前で止まっていて、その先は、足で埋めるしかなかった。
新遠瀬で八十軒。
隣町で二十軒。
県外へ散った家には、電話をかけた。
電話口で、私は毎回、同じ名乗りをした。
旧遠瀬村の、湯浅の倅です——。
その名乗りを、私は二十四年、一度も使ったことがなかった。
使ってみると、思ったより、口になじんだ。
円通寺の倉も、開けた。
移転先に再建された寺の、いちばん奥の棚に、それは、白い布にくるまれて寝ていた。
撞木だ。
移転の日、鐘は残して、撞木だけが引き上げられていた。
俊道住職——当時の住職の息子さんだ——は、布を解いて、少し笑った。
「親父が、これだけは、と言いましてね。いつか要る日が来る、と」
式は、十月半ばの、月のない晩にやった。
戸倉さんの、あの名前のない役所の封鎖が、その晩だけ、旧道を村の人間に開けた。
表向きは、地質調査のための夜間規制。
報道も見物人も、堤体の外で止められた。
二十四年ぶりの村の道を、八十いくつの提灯が、ゆっくり下りていった。
集まったのは、八十七人。
杖の人も、背負われた人もいた。
キヨさんは、姉さんかぶりで先頭を歩いた。
今夜は誰も、止めなかった。
寺の基壇で、俊道住職が経をあげた。
読経のあいだ、慈恩さんは輪の外にいた。
線香を一本だけ足して、あとは、携帯用の灰皿を手に、黙って立っていた。
仕切るのは自分の仕事じゃありません、と言った。
ぼくの仕事は、もう終わってます——見立てまでですよ、と。
経が終わると、慈恩さんは私を手招きして、小瓶の粗塩を、掌にひとつまみ載せた。
水は使わない。
あなたの汗で溶かすんです、と言った。
九月から夜勤続きの掌は、すぐに汗ばんだ。
私は、泥をかぶった鐘の縁を、その塩で、ひと回り、素手で撫でた。
冷たかった。
鉄の冷たさの奥に、昼の日差しの名残みたいな、かすかなぬくもりがあった。
気のせいだと思う。
いまでも、気のせいだと思うことにしている。
最後の一打は、父が撞いた。
言って回った本人が閉めるのが筋だ、と父が言い、誰も異を唱えなかった。
父は、撞木を構えて、一度、大きく息を吸った。
二十四年ぶんの息だった。
撞木が、傾いた鐘の胴に、まっすぐ当たった。
ごおん。
水を吸った、濁った音だった。
昔の音とは、違った。
それでも、鐘の音だった。
音は湖底の村をひと回りして、石垣に染みて、山に当たって、ゆっくり消えた。
誰かが、すすり泣いた。
誰も、動かなかった。
音が消えきるまで、八十七人が、自分の村の真ん中で、立っていた。
その夜から、鐘は鳴らなくなった。
深夜二時の音は、二度と録れなかった。
新遠瀬の年寄りたちの帰り支度も、止んだ。
キヨさんは、仏壇の鍬を納屋に戻したそうだ。
私は、無地のメモカードを一枚、慈恩さんからもらっていた。
式の帰り、鐘楼の基壇の隅に、それを置いてきた。
書いたのは、一行だ。
——私は、遠瀬村の生まれです。
水位が戻れば、湖へ還る紙だ。
それでいい。
あれは、湖に読ませる紙だから。
十月の終わりに、まとまった雨が来た。
村は、ひと月をかけて、また水の下へ帰っていった。
道が沈み、石垣が沈み、最後に鐘楼が沈んだ。
私は毎日、堤体からそれを見ていた。
二十四年前と同じ景色のはずなのに、まるで違って見えた。
今度は、閉めてから沈んだ。
公式の発表は「渇水に伴う特異な音響現象」で終わりだった。
所長も、それ以上は訊かなかった。
帰りぎわの慈恩さんに、堤体の上で、礼を言った。
慈恩さんは、満々と水を湛えはじめた湖を見おろして、言った。
「湖ってのは、仕舞うのが上手すぎるんですよ。なんでも、静かに呑むでしょう。呑まれると、人間は、忘れていいと思ってしまう。——今度からは、閉めてから沈めてください」
私にではなく、たぶん、私の後ろの役所ぜんぶに向かって言ったのだと思う。
その晩の管理日誌に、私は「異常なし」と書きかけて、やめた。
一行だけ、規定にないことを書いた。
旧遠瀬村、本日、閉村。
差し戻しは、来なかった。
満水に戻った湖面は、何も知らない顔で光っている。
それでいい。
次の渇水の年が来ても、あの音はもう、湖のどの深さからも聞こえない。





