表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神宝町怪異相談  作者: KASANE
増える合鍵〔全4話〕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/63

第3話 部屋の言い分

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


神宝町へは、電車で二駅だった。


降りたのは初めてだった。


商店街の外れに、その古いビルはあった。


一階の、看板のない引き戸。


中で人の気配はするのに、呼び鈴も、営業中の札もない。


二度ためらって、三度目に開けると、線香と煙草の混じったにおいがして、糸のように細い目をした男が、机で古い腕時計のねじを巻いていた。


よれたアロハシャツ。


十月にアロハだ。


机の上には、湯呑みと、ポケットに入るような小さな灰皿と、粗塩らしい小瓶。


事務所と呼ぶには物がなさすぎて、住まいと呼ぶには生活のにおいがなさすぎる部屋だった。


男は、おれより若く見えた。


二十六です、と本人もあっさり言った。


「拝み屋の慈恩です」


若さに怯んだのは最初だけだった。


おれが鍵の話をすると、男は途中から目をつぶるようにして聞いて——もともと糸目だから、つぶっているのかどうかも分からないのだが——一度も口を挟まなかった。


四本目の鍵を机に置いたときだけ、糸目がぴくりと動いた。


聞き終えると、「なるほど」と言った。


おれが半月かけて煮詰まった話を、この男は、湯呑み一杯の茶が冷めないうちに呑み込んだらしかった。


それから、湯呑みに茶を注ぎ足しながら、こう続けた。


「最初の一本は、本当に出回りものだったのかもしれませんよ。古いアパートの合鍵なんて、どこで何本生きてるか、誰にも分かりません。——でも、替えたばかりの錠のぶんは、別です。あれは、出どころが一つしかない」


どこです、と訊くと、男は湯呑み越しに、事もなげに言った。


「あなたの部屋です」。


料金を訊くと、見てから決めます、祓うものがいなかったら茶代だけで結構です、と言った。


商売っ気があるのかないのか、分からない男だった。


明日の夕方に行きます、と、手帳も見ずに決めた。


翌日の夕方、慈恩さんはうちに来た。


会わずにものは言えません、部屋も同じです、と言った。


人を部屋に上げるのは、越してきて初めてだった。


座布団が一枚しかないことに、客が来てから気づいた。


慈恩さんは、気にするふうもなく、その一枚も使わなかった。


六畳と台所を、遠慮もなくひと回りした。


台所の、洗い桶に伏せた一人ぶんの茶碗を見て、押し入れの上段の、使っていない客用蒲団を見て、何も言わなかった。


何も言われていないのに、おれは見られた気がした。


この部屋には、おれ以外の人間の痕跡が、何一つない。


それから慈恩さんは玄関の三和土に立ち、細い線香に火をつけた。


糸目が、少しだけ開いた。


煙が、まっすぐ、玄関の錠へ流れた。


ドアの内側を、慈恩さんは、長いこと見上げていた。


何の変哲もない、鉄のドアの内側を。


「悪いものは、いませんよ」と、慈恩さんは言った。


おれの肩から、力が抜けた。


「祟りも、恨みもない。この部屋にあるのは——気にしてる、って気持ちだけです」


気にしてる。


誰がです、と訊いたおれに、慈恩さんは、ドアの錠を指の背でこつんと叩いた。


「部屋が、です。正確には、この玄関が。……三年前のひと月を、まだ気にしてるんです。この部屋は、鍵が開かなかったんじゃありません。鍵なら、大家さんの家にあった。——開ける手が、なかったんです」


だから増やすんです、と慈恩さんは言った。


誰かが入って来られるように。


合鍵を持つ手が、一本でも多くあるように。


宛先も考えずに、ただ、増やす。


人格なんてものはない、意思ですらない、染み込んだ願いが同じことを繰り返しているだけです——。


幽霊は出ないんですか、と、おれは訊いた。


辰巳さんは、ここに、と。


慈恩さんは首を振った。


「辰巳さんは、もういません。ちゃんと、いなくなってます。残ってるのは人じゃなくて、ひと月ぶんの『開かなかった』だけです。人が染みを残すんじゃありません。時間が染みを残すんです」。


それから慈恩さんは、四本目の鍵をつまみ上げて、窓の明かりに透かした。


「この丸さはね、たぶん、辰巳さんの五十年です。同じ手で、同じ錠を、五十年開け続けた鍵の形。部屋が覚えてる『鍵』の形が、これしかないんですよ。だから新しい錠の合鍵を作っても、こういう、使い込んだ形で出てくる」


西日で、真鍮の山が鈍く光った。


おれの倍の年月、毎日回された鍵。


玄関を開けて、ただいま、と言って、返事のある家。


返事がなくなってからも、回され続けた鍵。


その丸さだけを型に取って、部屋は、黙々と同じものを作り続けている。


しばらく、誰も喋らなかった。


夕方の西日が、三和土に伸びていた。


おれは、毎晩くぐっている自分の玄関を、初めて見るもののように見た。


ここで、鍵は内側から掛かったまま、ひと月、回されなかった。


新聞が溢れて、牛乳が溜まって、通りの音だけが行き過ぎて。


この部屋で、と、おれはようやく言った。


この玄関の内側で、辰巳さんはひと月、誰にも開けてもらえなかったんですね——。


慈恩さんは、うなずきもしなかった。


かわりに、糸目のまま、おれを見た。


「片瀬さん。ひとつ、訊いていいですか」


「……はい」


「あなた、この半年で、合鍵を預けられる人が、何人いますか」


おれは、答えられなかった。


内海さん——と言いかけて、続かなかった。


会社の人間の顔を何人か思い浮かべて、どの顔も、鍵の重さに釣り合わなかった。


半年でおれがこの町に作ったものは、玄関の錠の新しさだけだった。


糸目の奥に、責める色は少しもなかった。


医者が、痛みますか、と訊くのと同じ声だった。


それが、かえって堪えた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


感想・ブックマークなど、いただけましたら、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ