第1話 知らない鍵
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
キーリングに、見覚えのない鍵が一本、増えていた。
試しに差してみると、それはうちの玄関を、するりと開けた。
おれはこの半年、誰にも合鍵を渡していないのにだ。
気づいたのは、十月の頭の、残業帰りの深夜だった。
おれは片瀬直人、二十七歳。
この春の転勤で、この町へ越してきた。
住まいは内海コーポという築三十年の二階建てで、おれの部屋は一階の角。
六畳と台所、風呂は追い焚きなし。
家賃が相場より少し安くて、内見の日に即決した。
実家は遠く、妹は隣県、友人は前の任地に置いてきた。
新しい土地で人付き合いを開拓するような性分でもなく、会社と部屋を往復するだけの、判で押したような半年だった。
携帯の着信履歴を繰っても、並んでいるのは会社の番号ばかりだ。
休みの日は、昼まで寝て、洗濯をして、夕方に弁当を買いに出る。
それで週が終わる。
不満はなかった。
不満がないことに、たまに、うっすら不安になるだけだった。
内海コーポは、モルタルの外壁に外階段の、どこの町にでもある形のアパートだ。
全部で八世帯。
夜は静かで、隣の物音もめったにしない。
住人と廊下で行き合った記憶が、半年で、数えるほどしかなかった。
その晩、終電で帰って、外廊下の蛍光灯の下で、ポケットからキーリングを出した。
指先が、いつもの癖で玄関の鍵を探る。
その指が、止まった。
数が、合わない。
キーリングに、鍵が三本、下がっているはずだった。
玄関の鍵、会社のロッカーの鍵、実家の鍵。
いつもの三本のはずが、四本あった。
増えた一本は、玄関の鍵と同じ形をしていた。
同じ形で、でも、別の一本だった。
酔ってもいないのに、しばらく、その場で数え直した。
一本ずつ、指で送りながら、声に出して数えた。
何度数えても、四本だった。
蛍光灯がじじ、と鳴った。
増えた一本をつまむと、金属の冷たさが、妙に手になじんだ。
鍵穴に差すと、抵抗もなく回って、かちりと開いた。
おれは玄関を入って、チェーンをかけて、部屋じゅうの電気をつけた。
押し入れも、風呂場も、ベランダも、流しの下まで見た。
誰もいなかった。
通帳も、給料日前の財布も、何も、なくなっていなかった。
むしろ、増えている。
その事実が、いちばん薄気味悪かった。
その夜は、玄関のほうへ足を向けて寝る気になれず、蒲団の向きを変えた。
翌日、まっさきに疑ったのは、自分の頭だった。
いつか合鍵を作って、忘れているんじゃないか。
だが、作った覚えは本当にない。
この町に来て半年、鍵屋に寄ったことすらない。
次に疑ったのは、人だった。
誰かがうちに入って、合鍵をキーリングに足していった——考えるだけで、うなじが冷えた。
だが、それも変だ。
入った人間が、盗らずに、足していく。
何のために。
折しも世間は、ピッキング窃盗の話で持ちきりだった。
ニュースが毎晩のように手口を報じ、回覧板に防犯チラシが挟まり、電柱に「鍵の交換はお早めに」と貼り紙が出る、そういう時季だった。
会社の昼休みにその話をすると、隣の席の先輩は、うちも先月替えたよ、と当たり前のように言った。
増えた話はしなかった。
増えました、と言って通じる相手が、思い当たらなかった。
不動産屋に電話をすると、若い担当は面倒くさそうに、よくある話ですよ、と言った。
古いアパートの鍵は、前の入居者やそのまた前の合鍵が、どこかで出回っていることがあります。
管理もいまほど厳しくなかったですから——。
それを聞いて、かえって腑に落ちた。
出回っていた古い合鍵が、何かの拍子におれの手元に紛れ込んだ。
理屈は、通る。
キーリングに勝手に下がる理屈だけは通らなかったが、そこは考えないことにした。
飲み屋で誰かのと取り違えた、とでも思えばいい。
大家の内海さんは、アパートの並びの、庭に柿の木のある平屋に住んでいる。
七十過ぎの小柄なお婆さんで、春の契約のとき一度会ったきりだった。
相談に行くと、上がり框まで出てきて、話を最後まで聞いてくれて、眉を寄せて、それは気味が悪いねえ、と言った。
そして、シリンダーごと替えましょう、費用は半分持つから、と言ってくれた。
悪い人ではない、どころか、いまどき珍しいくらい世話焼きの大家さんだった。
週末、商店街の錠前屋が来て、玄関の錠をそっくり新品に替えた。
平井錠前店という、間口一間の古い店の親父さんだ。
手際は三十分もかからなかった。
外した古いシリンダーを、親父さんは、ふうん、と鼻を鳴らして眺めていた。
三十年ものにしちゃ、よく回る錠だ、と言った。
そのときは、聞き流した。
ぴかぴかのシリンダーに、ぴかぴかの鍵が二本と、スペアが一本。
合計三本。
防犯対策の最新型で、ピッキングにも強いという。
古い鍵と、あの増えた一本は、親父さんが引き取っていった。
これでもう、出回りの古い合鍵があったとしても、ただの金屑だ。
理屈の穴は、ぜんぶ塞いだ。
おれは新しい鍵をキーリングに通して、その感触を何度か確かめて、久しぶりに、深く眠った。
それでも、帰宅のたびにキーリングを数えるのは、癖になった。
外廊下の蛍光灯の下で、一本ずつ指で送って、三本。
玄関の前で鍵を数えている二十七の男は、傍から見ればさぞ不審だったろうが、やめられなかった。
月曜、三本。
火曜、三本。
よし、と声に出して、鍵を差す。
三日、もった。
水曜の朝、会社へ出ようとして、玄関でキーリングを持ち上げて、おれは動けなくなった。
真新しい鍵の隣に、もう一本、下がっていた。
同じ形の、四本目だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
時間ができた時随時更新します!
ぜひお楽しみに!
★感想・評価をいただけると、執筆の励みになります。




