表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神宝町怪異相談  作者: KASANE
手仕舞い〔前後編〕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/63

前編 父の手

時間ができた時にも随時更新します!

ぜひお楽しみに!


父の鉋を握ったら、手が、勝手に動いた。


木っ端の上を刃がすべって、向こうが透けるほど薄い屑が一枚、するりと出た。


わたしは、父の道具に触らせてもらったことが、一度もないのに。


十一月の、日の短い午後だった。


閉めた工房を片づけに、わたしは栄町へ通っていた。


桧山建具店。


商店街の裏の、間口二間の店と、その奥の工房。


父がこの秋に急に逝って、二代続いた店を畳む手続きが、一人娘のわたしの肩に載っていた。


障子、襖、欄間。


手で刻む建具なんて、もうずっと前から売れない。


新しい家はアルミサッシと既製品ばかりで、注文は年ごとに細っていった。


それでも父は、七十になっても、直しの仕事を断らずに受けていた。


栄町の商店街も、シャッターの下りた店が年ごとに増えて、通りには夕方の早い時間から、人の声より風の音のほうが多くなった。


店を継ぐ話は、うちでは一度も出なかった。


出なかったこと自体が、答えだった。


工房の隣の茶の間で、わたしは育った。


鑿の音と、鉋の音と、木のにおいが、うちの生活の音だった。


子どものころ、道具に触りたがると、父は決まって言った。


「女の手には合わん」。


仏頂面で、それだけだった。


わたしは中学に上がるころには工房に近づかなくなり、高校を出て、就職で家を離れた。


母が七年前に病気で死んでからは、盆に一度、顔を見せるかどうか。


父と交わした言葉は、年に数えるほどだった。


最後に聞いた声は、留守番電話に残っていた。


「体に、気をつけろ」。


それだけの、十秒足らずの伝言だった。


わたしが知っている父は、働く背中だけだ。


冬になると建て付け直しの注文が増えて、父は自転車の荷台に道具箱をくくり、町じゅうの家を回った。


帰ってくると、砥石に向かって、黙って刃を研いだ。


授業参観にも、卒業式にも、来なかった。


畳むと決めたのは、わたしだ。


四十九日の席で、親戚の誰も店の話をしなかった。


触れてはいけないもののように。


わたしが「畳みます」と言ったとき、座敷は少しだけほっとして、それが、かえって応えた。


片づけは、道具からのつもりだった。


作業台の上に、父の使っていた鉋が、置きっぱなしになっていた。


倒れる前の晩まで、父はここで何かを削っていたらしい。


台の隅には、組子を組みかけた障子が一枚、仕掛かりのまま立てかけてあった。


鉋を木箱に仕舞おうとして、柄を握った。


その時だった。


手が、動いた。


自分の手だ。


なのに、自分の動きじゃなかった。


左手が木っ端を押さえ、右手が鉋を引いた。


腰が入って、肘がたたまれて、刃が木の上をすべった。


薄い屑が出た。


しかも手は、削る前に、親指の腹で刃を二度、撫でていた。


父の癖だ。


何百回も見た。


わたしは鉋を放り出して、工房を飛び出した。


家に帰って、湯呑みの茶を二杯あけて、わたしは理屈を並べた。


十八年、隣の茶の間で見て育ったのだ。


体が覚えていても、おかしくない。


それに父の道具は、研ぎの行き届いた上物だ。


切れる鉋は素人が引いてもそれなりに削れると、聞いたことがある。


疲れてもいた。


四十九日も済まないうちから役所と銀行を回って、人はくたびれると、思い込む。


そういうことに、しておきたかった。


翌週、道具の引き取りの相談に、同じ通りの金物屋へ行った。


矢部のおじさん。


七十六になる、父の碁敵だ。


父の道具の研ぎ物も、長いこと引き受けてくれていた。


事情を話すと、おじさんは老眼鏡を下げて、妙なことを言った。


「千夏ちゃん。勝さんの道具はな、まだ仕舞いたがってねえよ」


どういう意味かと訊いても、おじさんは笑って答えなかった。


かわりに、研ぎ場の奥から古い砥石を出してきて、撫でながら言った。


「勝さんはな、鉋を研ぎに出すとき、いっつも謝ってきた。手間ぁかけるな、ってな。自分の道具に頭を下げる男だっただよ」。


ただ、帰りぎわに、ぼそりと付け足した。


「気になるなら、神宝町へ行ってみな。看板のねえビルに、妙なのがいる。拝み屋だ。祓うんじゃなくて、気づかせるのが商売だとよ」


その足で、わたしはもう一度、工房へ寄った。


確かめたかったのだ。


鉋を握ると、また、手が動いた。


今度は逃げずに、動くままにさせてみた。


手は、木っ端では満足しなかった。


わたしの足を作業台の隅へ運び、仕掛かりの障子の前で止まった。


組子の細い木を、指がつまんだ。


削って、あわせて、はめようとする。


わたしには何をしているのかも分からない細かい仕事を、手だけが知っていた。


障子の桟に、指がそっと沿った。


埃を払うような、いたわるような手つきだった。


怖くなって、道具を置いた。


手は、すっと、ただのわたしの手に戻った。


指先に、木のにおいだけが残った。


帰り道、街灯の下で、わたしは自分の掌をしばらく眺めた。


三十九年、書類しかめくってこなかった手だ。


それが今日だけ、知らない人生を生きた手をしていた。


神宝町のビルは、隣町の駅前を抜けた先にあった。


エレベーターで十階へ上がると、表札のないドアの向こうで、糸のように細い目をした痩せた男が、古い腕時計のねじを巻いていた。


よれたアロハシャツの上に、くたびれた上着。


机には、ポケットに入るような小さな灰皿と、小瓶。


「拝み屋の慈恩です」と、男は名乗った。


三十そこそこに見えた。


わたしが手の話を一通りすると、男は茶を一口すすって、「なるほど」とだけ言った。


こっちは自分の手が信じられなくて眠れないでいるのに、天気の話でも聞いたような顔だった。


それから男は、妙な訊き方をした。


「道具を、動かしましたか。それとも、手が動きましたか」。


答えに詰まるわたしに、男は一人でうなずいた。


「じゃあ、手のほうですね」。


それがかえって、この人は何か知っているのかもしれない、と思わせた。


二日後、慈恩さんは栄町の工房へ来た。


会わずにものは言えません、と言った。


入るなり、壁の道具箪笥の前で足を止めて、しばらく眺めていた。


「よく使い込んで、よく手入れしてある。道具ってのは、こういうふうに歳を取るんですよ」。


それから工房のまんなかに立ち、細い線香に火をつけて、糸目を少しだけ開いた。


細い煙が、風もないのに、作業台のほうへゆっくり流れた。


「祓うものは、いますよ」と、慈恩さんは言った。


「でも、悪いものじゃない。それに、半分はあなたの言うとおりです。十八年見て育った体は、嘘をつきません。道具も、いい道具だ。切れる鉋は、素人の手でも削れます」


半分、とわたしは繰り返した。


慈恩さんは、作業台の隅へ目をやった。


仕掛かりの障子。


組みかけの組子。


「考えてみてください。あの手は、あなたに鉋の引き方を教えましたか。教えてないでしょう。あれがやってるのは、稽古じゃありません。それに、どの道具を握っても、手が向かう先は、あの一枚だけのはずです」


そのとおりだった。


背中が、すっと冷えた。


慈恩さんは、糸目のまま、店の入口の脇へ顎をしゃくった。


古い文机と、算盤の載った、帳場のほうへ。


「この手は、あなたに継がせたいんじゃないですよ。仕舞い残しが、一件あります。——帳場を、開けてくれませんか」

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


感想・ブックマークなど、いただけましたら、励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ