前編 父の手
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ぜひお楽しみに!
父の鉋を握ったら、手が、勝手に動いた。
木っ端の上を刃がすべって、向こうが透けるほど薄い屑が一枚、するりと出た。
わたしは、父の道具に触らせてもらったことが、一度もないのに。
十一月の、日の短い午後だった。
閉めた工房を片づけに、わたしは栄町へ通っていた。
桧山建具店。
商店街の裏の、間口二間の店と、その奥の工房。
父がこの秋に急に逝って、二代続いた店を畳む手続きが、一人娘のわたしの肩に載っていた。
障子、襖、欄間。
手で刻む建具なんて、もうずっと前から売れない。
新しい家はアルミサッシと既製品ばかりで、注文は年ごとに細っていった。
それでも父は、七十になっても、直しの仕事を断らずに受けていた。
栄町の商店街も、シャッターの下りた店が年ごとに増えて、通りには夕方の早い時間から、人の声より風の音のほうが多くなった。
店を継ぐ話は、うちでは一度も出なかった。
出なかったこと自体が、答えだった。
工房の隣の茶の間で、わたしは育った。
鑿の音と、鉋の音と、木のにおいが、うちの生活の音だった。
子どものころ、道具に触りたがると、父は決まって言った。
「女の手には合わん」。
仏頂面で、それだけだった。
わたしは中学に上がるころには工房に近づかなくなり、高校を出て、就職で家を離れた。
母が七年前に病気で死んでからは、盆に一度、顔を見せるかどうか。
父と交わした言葉は、年に数えるほどだった。
最後に聞いた声は、留守番電話に残っていた。
「体に、気をつけろ」。
それだけの、十秒足らずの伝言だった。
わたしが知っている父は、働く背中だけだ。
冬になると建て付け直しの注文が増えて、父は自転車の荷台に道具箱をくくり、町じゅうの家を回った。
帰ってくると、砥石に向かって、黙って刃を研いだ。
授業参観にも、卒業式にも、来なかった。
畳むと決めたのは、わたしだ。
四十九日の席で、親戚の誰も店の話をしなかった。
触れてはいけないもののように。
わたしが「畳みます」と言ったとき、座敷は少しだけほっとして、それが、かえって応えた。
片づけは、道具からのつもりだった。
作業台の上に、父の使っていた鉋が、置きっぱなしになっていた。
倒れる前の晩まで、父はここで何かを削っていたらしい。
台の隅には、組子を組みかけた障子が一枚、仕掛かりのまま立てかけてあった。
鉋を木箱に仕舞おうとして、柄を握った。
その時だった。
手が、動いた。
自分の手だ。
なのに、自分の動きじゃなかった。
左手が木っ端を押さえ、右手が鉋を引いた。
腰が入って、肘がたたまれて、刃が木の上をすべった。
薄い屑が出た。
しかも手は、削る前に、親指の腹で刃を二度、撫でていた。
父の癖だ。
何百回も見た。
わたしは鉋を放り出して、工房を飛び出した。
家に帰って、湯呑みの茶を二杯あけて、わたしは理屈を並べた。
十八年、隣の茶の間で見て育ったのだ。
体が覚えていても、おかしくない。
それに父の道具は、研ぎの行き届いた上物だ。
切れる鉋は素人が引いてもそれなりに削れると、聞いたことがある。
疲れてもいた。
四十九日も済まないうちから役所と銀行を回って、人はくたびれると、思い込む。
そういうことに、しておきたかった。
翌週、道具の引き取りの相談に、同じ通りの金物屋へ行った。
矢部のおじさん。
七十六になる、父の碁敵だ。
父の道具の研ぎ物も、長いこと引き受けてくれていた。
事情を話すと、おじさんは老眼鏡を下げて、妙なことを言った。
「千夏ちゃん。勝さんの道具はな、まだ仕舞いたがってねえよ」
どういう意味かと訊いても、おじさんは笑って答えなかった。
かわりに、研ぎ場の奥から古い砥石を出してきて、撫でながら言った。
「勝さんはな、鉋を研ぎに出すとき、いっつも謝ってきた。手間ぁかけるな、ってな。自分の道具に頭を下げる男だっただよ」。
ただ、帰りぎわに、ぼそりと付け足した。
「気になるなら、神宝町へ行ってみな。看板のねえビルに、妙なのがいる。拝み屋だ。祓うんじゃなくて、気づかせるのが商売だとよ」
その足で、わたしはもう一度、工房へ寄った。
確かめたかったのだ。
鉋を握ると、また、手が動いた。
今度は逃げずに、動くままにさせてみた。
手は、木っ端では満足しなかった。
わたしの足を作業台の隅へ運び、仕掛かりの障子の前で止まった。
組子の細い木を、指がつまんだ。
削って、あわせて、はめようとする。
わたしには何をしているのかも分からない細かい仕事を、手だけが知っていた。
障子の桟に、指がそっと沿った。
埃を払うような、いたわるような手つきだった。
怖くなって、道具を置いた。
手は、すっと、ただのわたしの手に戻った。
指先に、木のにおいだけが残った。
帰り道、街灯の下で、わたしは自分の掌をしばらく眺めた。
三十九年、書類しかめくってこなかった手だ。
それが今日だけ、知らない人生を生きた手をしていた。
神宝町のビルは、隣町の駅前を抜けた先にあった。
エレベーターで十階へ上がると、表札のないドアの向こうで、糸のように細い目をした痩せた男が、古い腕時計のねじを巻いていた。
よれたアロハシャツの上に、くたびれた上着。
机には、ポケットに入るような小さな灰皿と、小瓶。
「拝み屋の慈恩です」と、男は名乗った。
三十そこそこに見えた。
わたしが手の話を一通りすると、男は茶を一口すすって、「なるほど」とだけ言った。
こっちは自分の手が信じられなくて眠れないでいるのに、天気の話でも聞いたような顔だった。
それから男は、妙な訊き方をした。
「道具を、動かしましたか。それとも、手が動きましたか」。
答えに詰まるわたしに、男は一人でうなずいた。
「じゃあ、手のほうですね」。
それがかえって、この人は何か知っているのかもしれない、と思わせた。
二日後、慈恩さんは栄町の工房へ来た。
会わずにものは言えません、と言った。
入るなり、壁の道具箪笥の前で足を止めて、しばらく眺めていた。
「よく使い込んで、よく手入れしてある。道具ってのは、こういうふうに歳を取るんですよ」。
それから工房のまんなかに立ち、細い線香に火をつけて、糸目を少しだけ開いた。
細い煙が、風もないのに、作業台のほうへゆっくり流れた。
「祓うものは、いますよ」と、慈恩さんは言った。
「でも、悪いものじゃない。それに、半分はあなたの言うとおりです。十八年見て育った体は、嘘をつきません。道具も、いい道具だ。切れる鉋は、素人の手でも削れます」
半分、とわたしは繰り返した。
慈恩さんは、作業台の隅へ目をやった。
仕掛かりの障子。
組みかけの組子。
「考えてみてください。あの手は、あなたに鉋の引き方を教えましたか。教えてないでしょう。あれがやってるのは、稽古じゃありません。それに、どの道具を握っても、手が向かう先は、あの一枚だけのはずです」
そのとおりだった。
背中が、すっと冷えた。
慈恩さんは、糸目のまま、店の入口の脇へ顎をしゃくった。
古い文机と、算盤の載った、帳場のほうへ。
「この手は、あなたに継がせたいんじゃないですよ。仕舞い残しが、一件あります。——帳場を、開けてくれませんか」
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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