第12話「神の花嫁」
時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
家は、空に、なった。
マリアが引かれ、信者が里へ返され、白い家は、もぬけの殻に、なった。
取り壊しが、決まっていた。
その、前の日。
あの少年が、もう一度、坂の下に、立っていた。
誰に、連れられたのでも、なかった。
自分から、来たのだと、土御門が、囁いた。
「あれほど帰りたがっておったのに。……あの穴を、もう一度、視ておきたい、と」
少年の顔は、青かった。
怖くて、たまらない、という顔で。
逃げ出したいのを、必死で、こらえている。
それでも、坂の上を、睨むように、見上げていた。
如水には、その気持ちが、少しだけ、分かる気がした。
視えすぎる子だ。
目を閉じても、人の疲れも、痛みも、瞼の裏へ、流れ込んでくる。
その子が、生まれて初めて、"視えない"一点に、出くわした。
——それは、この子にとって、世界に、開いた、穴だった。
視えないままには、しておけないのだ。
覗き込むか、埋めるか、しなければ、眠れない。
少年は、震える足で、坂を、少し登った。
そして、空っぽの家のほうへ、目を、凝らした。
じっと。
長いこと。
息を、殺して。
こめかみに、汗が、滲んだ。
唇が、少しずつ、色を、失っていく。
やがて、その肩から、ふっと、力が、抜けた。
「……だめだ」と、少年は、呟いた。
「人も、いなくなった。物も、無くなった。ぜんぶ、視えるように、なった。……なのに、あそこだけ、まだ、視えない」
少年は、坂の上から、目を、離した。
「ぼくには、視えない。……視えないものが、あるんだ。ぼくの目で、届かないものが、この世に、ある」
それは、諦めの声では、なかった。
怯えながら、それでも、認める声だった。
自分の目が、世界の、すべてでは、ないと。
視えることだけが、この子の、拠りどころだった。
その、たった一つの、支えが、崩れても。
少年は、それを、受け入れようと、していた。
まだ、十かそこらの、子供が。
——如水は、なぜか、その横顔から、目を、逸らせなかった。
土御門は、少し、離れて、立っていた。
弟子にするでも、抱き寄せるでも、なかった。
ただ、少年の背を、じっと、見つめていた。
あの、憧れの目は、もう、無かった。
労わりの目でも、無かった。
——何か、別のものを、覗き込む目だった。
少年が、坂を下りきると、土御門は、その肩に、手を、置いた。
節くれ立った、その手が、わずかに、強張っていた。
そして、絞り出すように、言った。
「もう、ここへは、来るな。……わしにも、二度と、近づくな」
少年が、驚いて、見上げた。
なぜ、と、その目が、問うていた。
土御門は、答えなかった。
答えられ、なかったのだ、と、如水は、思った。
この老人は、この子の中に、何かを、視た。
だが、それが、何なのかは——土御門自身にも、分かっていない。
分からないから、遠ざけるのだ。
訳の分からぬものを、身内に、近づけぬために。
それは、敵意では、なかった。
むしろ、畏れに、近かった。
得体の知れぬものは、遠ざけるに、限る。
たとえ、それが、まだ幼い、子供でも。
少年は、俯いて、去っていった。
二度と、振り返らなかった。
その小さな背中が、なぜ、こんなにも、胸に残るのか。
如水には、分からなかった。
ただ、あの子と、あの老人は、この日を境に、互いの生涯から、静かに、消えていくのだろう。
それだけは、なぜか、はっきりと、分かった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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