第3話「神の花嫁」
鐘は、木曜に鳴りました。
上の家に、時計は無かった。
カレンダーも、暦も、無い。
日の出とともに起き、日の入りとともに眠る。
それだけの繰り返しだった。
如水は信者にまじって畑を耕し、粥をすすり、白い衣を着て、無音の廊下を歩いた。
何日、経ったのか。
三日か、五日か。
指を折ろうとして、如水は、それすら曖昧になっている自分に気づいた。
ただ一つ、時を刻むものがあった。
鐘だ。
週にいちど、夜半に、家のどこかで鐘が鳴る。
低く、澄んだ音が、無音の家に、ひとつだけ響く。
すると信者たちは、示し合わせたように起き出し、白い広間に集まる。
お告げの夜だ、と誰かが囁いた。
神の花嫁が、言葉を降ろす夜。
その夜も、鐘が鳴った。
広間の奥に、マリアがいた。
初めて間近で見る顔だった。
齢のわからない、笑うと目の消える女。
彼女が手をかざすと、長く床に臥せっていた老婆が、震える膝を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。
半年、寝たきりだったのだと、隣の信者が声を殺して言った。
信者たちが、声もなく涙を流す。
誰も、歓声すら上げない。
ただ、白い衣の背が、いっせいに、波のように伏せていく。
その静けさが、かえって、如水の肌を粟立たせた。
マリアが口を開いた。
北の家に、不幸がある。
備えなさい。
声は低く、水のように広間へ沁みた。
——そして三日後、里の北のはずれで、火事があった。
老いた夫婦が、焼け出された。
奇跡だ、と信者たちは平伏した。
如水は、平伏する頭の波の中で、ひとり、目を開けていた。
仕込みだ。
臥せった老婆は、初めから歩けたのだ。
火事は、乾いたこの季節、北の茅葺きなら、遅かれ早かれ起きる。
予言ではない。
確率だ。
——そう、頭の中で、一つずつ、種を明かしていく。
これは奇跡ではない。
人の手だ。
ようやく、ほつれを掴んだ。
そう思った。
思った、そのときだった。
隣に座った若い信者が、うっとりと呟いた。
「金曜の鐘は、いつ聞いても、ありがたい」
如水の指が、止まった。
——金曜?
鐘が鳴ったのは、昨夜だ。
昨夜は、木曜だった。
数えたわけではない。
だが、坂を登った日を起点に、如水は胸の内で日を送っていた。
たしかに、木曜のはずだった。
そっと、まわりの信者に訊いてみた。
今夜の鐘は、何曜だったか、と。
みな、迷わず答えた。
金曜です、と。
誰ひとり、疑わなかった。
木曜に鳴った鐘を、全員が、金曜だったと信じていた。
府警に持ち込まれた相談書にも、そう書いてあった。
お告げの鐘は、毎週金曜、と。
一日。
誰かが、一日、ずらしている。
この家の時間そのものを、まるごと、一日。
如水は、平伏する背中の群れを見渡した。
ずらした人間が、どこかにいる。
仕掛けた誰かが。
だが——目の前の信者は、みな、心から信じていた。
嘘をついている顔は、一つもなかった。
だまされている、という顔も。
ただ、信じている。
ふと、別の考えが、冷たく背を這った。
時計も、暦も無いこの家で、木曜だと言い張っているのは、如水ひとりだ。
全員が、金曜だと言う。
もし、狂っているのが——自分の数えのほうだったら。
坂を登った日から、指で送ってきたはずの日付。
それすら、もう、はっきりとは思い出せない。
如水は、慌てて頭を振った。
いや。
木曜だ。
木曜のはずだ。
そう、自分に言い聞かせる声が、少しだけ、上ずっていた。
「……誰が、話をずらしている?」
問いは、無音の広間に落ちて、誰にも届かず、消えた。
マリアだけが、こちらを見て、静かに、笑った気がした。
里の誰もが金曜だと言い張る。……読んでいるあなたの曜日の感覚は、まだ、確かですか。
私はないがな…( ̄ー ̄;)
次回もどうぞ、ブクマで。




