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神宝町怪異相談 ~働く人専門の拝み屋は、怪異の奥にある事情を読む~  作者: KASANE
夜の踏切(全4話)

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第2話 名前のない列

踏切に立つ人たちには、翌朝、その夜の記憶がありません。

そして、ひとつだけ共通点があります。

調べはじめて、最初に分かったのは、奇妙なことだった。


第四踏切には、事故が多かった時代の名残で、古い監視カメラが一台ついている。


鉄道会社の人間であるわたしは、記録を確かめることができた。


夜、詰所にひとり残って、テープを巻き戻した。


夜の映像に、彼らは、映っていた。


粒子の粗い白黒の画面の中、遮断機の内側に、ぼんやりと人の形が並んでいる。


数も、立ち位置も、わたしが数えたとおりだった。


見間違いでも、寝ぼけたのでもなかった。


機械が、彼らを記録していた。


早送りにして、もっと厭なことが分かった。


列は、動かないのだ。


二十三時から明け方まで、およそ五時間。


早送りの画面の中で、雲は流れ、猫は横切り、警報灯は点滅するのに、人の形だけが、彫像のように、一ミリも動かない。


まばたきの間も、体の揺れも、ない。


生きた人間は、五時間、ああは立てない。


そして午前四時十二分、コマとコマのあいだで、全員が、いなくなっていた。


消える瞬間は、映っていない。


機械の記録する二十四分の一秒の、そのすきまで、三十人が帰っていく。


テープを三度巻き戻して、わたしは詰所の電気を全部点けた。


顔の判る何人かは、昼の世界の、実在の人だった。


学生服の子は、毎朝六時五十分の上りに乗る、定期券の中学生だった。


買い物袋の主婦は、駅前のスーパーでよく見る人だった。


腰の曲がった老人は、金物屋の隠居だった。


全員、昼間は、ふつうに生きていた。


ふつうに歩き、ふつうに買い物をし、電車に乗って、改札でわたしに会釈さえした。


慈恩さんと二人で、主婦の家を訪ねた。


夜の映像を、プリントして持って行った。


玄関先で、その人は、写真を長いこと見つめた。


夜の踏切に立つ、自分の姿を。


それから、困ったように笑って、言った。


「これ……私じゃありません。



でも、服は、その人がいま着ているカーディガンだった。


左手首の細い時計も、同じだった。


顔も、どこからどう見ても、本人だった。


私じゃありません、とその人はもう一度言った。


だってわたし、夜の十一時には、もう布団に入っていますもの。


主人に訊いてくださっても——。


嘘をついている顔ではなかった。


ほんとうに、覚えていないのだ。


毎晩、自分が踏切に立っていることを。


この人の中には、その夜の記憶が、一秒もない。


同じことが、確かめられた全員に言えた。


中学生も、隠居も、映像の中の自分を「知らない人」のように眺めた。


体は、家で眠っている。


家族がそれを見ている。


それなのに、同じ時刻の踏切に、同じ顔が立っている。


「魂だけ、通ってるんです」と、慈恩さんは帰り道に言った。


「夜になると、体を置いて、あそこへ並びに行く。


朝には戻る。


だから覚えてない」


なぜ、と私は訊いた。


なぜ、あの人たちなのか。


主婦と、中学生と、隠居に、いったい何の共通点があるのか。


年齢も、暮らし向きも、ばらばらだ。


中学生は、部活を辞めたと聞いたが、成績のいい、おとなしい子だという。


隠居は店を息子に譲って、悠々自適のはずだった。


主婦は、笑顔の絶えない人だと近所で評判だった。


共通点など、どこにもないように見えた。


慈恩さんは、すぐには答えなかった。


数日かけて、慈恩さんは、確かめられる相手に、ひとりずつ、会いに行った。


祓うでも、脅かすでもない。


世間話をして、茶を飲んで、帰ってくる。


それだけの訪問だった。


ただ、辞去する間際に、必ずひとつだけ、同じことを訊いたそうだ。


——最近じゃなくて、いいんです。


生まれてから今日までで、一度でも。


誰にも言わずに、思ったことは、ありませんか。


最後に訪ねた主婦が、その質問に、玄関先で立ったまま、ぽろぽろ泣き出したのを、わたしは慈恩さんの後ろで見た。


誰にも言ったことがないんです、とその人は言った。


一度だけなんです。


ほんとうに、一度だけ。


去年の冬、夜中の台所で、洗い物をしながら、ふっと——。


死にたい、と。


口には、出していない。


夫にも、子どもにも、友だちにも、言っていない。


日記にも書いていない。


心の中で、一度だけ、思った。


次の朝には忘れたつもりだった。


生活は続いていた。


笑ってもいた。


ただ、それだけなんです、とその人は繰り返した。


それだけなのに、どうして——。


慈恩さんは、責めなかった。


慰めもしなかった。


ただ、分かりました、と言って、深く頭を下げた。


帰りの道々、わたしは、三十という数を考えていた。


この小さな町で、三十人。


スーパーですれ違う人。


改札に定期を見せる人。


回覧板を持ってくる人。


あの列に立つ資格が「一度だけ、誰にも言わずに思ったこと」なら——資格のある人間は、この町に、いったい何人いるのだろう。


三十人は、多いのか。


それとも、まだ、ほんの一部なのか。


わたしは、隣を歩く慈恩さんに、それを訊けなかった。


訊けば、答えが返ってくる気がしたからだ。


帰り道、慈恩さんは踏切の手前で足を止めた。


夕方で、警報機は黙っていた。


錆びた遮断機と、砂利と、二本のレールが、西日で赤かった。


全員、同じだそうだ。


確かめられた限り、全員。


人生のどこかで、一度だけ、心の中で「死にたい」と思った。


そして、誰にも言わなかった。


口に出した人、誰かに打ち明けた人、助けてと言えた人は——列に、いない。


慈恩さんは、レールの先を、糸目のまま長いこと眺めて、それから、ひとりごとのように言った。


「あぁ……ここ、駅じゃない。



どういう意味です、と訊いたわたしに、慈恩さんは、振り向かずに答えた。


「待合室ですね。

度だけ、心の中で思って、誰にも言わなかった。


資格は、それだけです。

何の待合室なのかは、第3話で。



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