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神宝町怪異相談  作者: KASANE
夜の踏切(全4話)

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第1話 夜の踏切

午後十一時三十八分、神宝町第四踏切。


誰もいないはずの警報灯の下に、六人立っていました。

重い題材を含みます。


全4話の第1話です。

午後十一時三十八分。


神宝町第四踏切。


この時間、電車はもう一時間に一本しかない。


町はずれの、田んぼと住宅のあいだの小さな踏切だ。


夜は静かで、虫の声と、用水路の水音しかしない。


わたしは駅員をして三十六年になる。


神宝駅の夜勤の晩は、終電の前に、構内と、駅から見えるこの第四踏切を、目で確かめるのが癖だった。


癖でしかなかった。


あの夜までは。


警報機が鳴りはじめた。


赤い警報灯が、交互に点滅する。


カン……


カン……


カン……


遮断機が下りる。


誰もいない。


はずだった。


下り最終の前照灯が、カーブの向こうから線路を撫でた。


その光が踏切に届いた一瞬——遮断機の内側に、人が立っていた。


六人、立っていた。


スーツ姿の男。


学生服の子。


買い物袋を提げた主婦。


腰の曲がった老人。


制服の高校生。


それから、ネクタイを緩めた会社員。


全員、遮断機の内側。


全員、線路の上。


誰ひとり、電車のほうを見ない。


誰ひとり、微動だにしない。


ただ、まっすぐ、線路の先だけを見ている。


わたしは叫んだつもりだった。


声は、出ていなかったと思う。


電車が通った。


轟音。


風。


巻き上がる砂埃。


ブレーキの音は、しなかった。


運転士は、何も見ていない。


電車が通り過ぎた。


誰も、轢かれていなかった。


血の一滴も、鞄のひとつも、落ちていなかった。


ただ、六人全員、消えていた。


警報機が鳴りやんで、遮断機が上がって、あとには虫の声だけが残った。


わたしは懐中電灯を持って踏切まで走った。


砂利の上に、足跡ひとつなかった。


六人ぶんの靴の跡が、あるはずの場所に、何もなかった。


あの一瞬、たしかに見たのだ。


高校生の白い運動靴も、主婦の膨らんだ買い物袋も、老人の曲がった背中も。


見えたのに、跡がない。


わたしは五十八年生きてきて、初めて、自分の目を信じるべきか、砂利を信じるべきか、分からなくなった。


翌朝、ニュースには何も出なかった。


人身事故の報告も、遺留品も、目撃の届け出も、何ひとつなかった。


わたしは五十八にもなって、幽霊を見たとは言えず、寝ぼけたのだと自分に言い聞かせた。


言い聞かせられたのは、三日だった。


その週のうちに、駅前の噂が耳に入りはじめた。


信用金庫の隣の会社で、営業部の男がひとり、突然辞表を出したという。


理由は誰にも言わなかったそうだ。


中学校では、若い教師が無断欠勤を続けているという。


電話にも出ない。


町工場では、二十年勤めた職人が、ある朝から来なくなった。


家にもいない。


失踪扱いになった。


ばらばらの話だ。


ばらばらの話のはずだった。


ただ、どの話にも、同じことが言われていた。


——前から、様子はおかしかった。


笑わなくなっていた。


でも、誰も、理由を聞けなかった。


本人も、何も言わなかった。


わたしは、夜勤のたびに、数えるようになった。


最終列車の前照灯が踏切を撫でる、その一瞬だけ、彼らは見える。


次の週は、八人いた。


その次は、十三人。


月が変わるころには、二十人を超えた。


スーツ。


学生服。


エプロン。


作業着。


みんな、線路の先だけを見て、立っている。


光が過ぎれば、消える。


電車は毎晩、何事もなく通過する。


誰も轢かれない。


誰も、いなくならない——昼の世界では。


上司には言えなかった。


三十六年勤めて、あと二年で退職の男が、夜の踏切に人が湧いて消えると言えば、どうなるかは分かっていた。


交番には、遠回しに相談した。


事故も事件もない話を、若いおまわりさんは気の毒そうに聞いて、疲れていませんか、と言った。


そのとおりだ。


事故はないのだ。


何も、起きてはいないのだ。


誰も死なず、誰も消えず、届も出ていない。


世の中の仕組みは、起きたことにしか動かない。


起きていない何かのためには、書く書類が、この世に一枚もない。


夜勤を同僚に代わってもらった週もあった。


休みの晩、布団に入っても、十一時半になると目が覚めた。


気づけば着替えて、自転車で、あの踏切の見える曲がり角まで行っていた。


見なければいいのに、数えずにいられなかった。


増えていく数字を、わたしのほかに、誰も知らないからだ。


拝み屋の噂は、商店街の煙草屋で聞いた。


神宝町のはずれの雑居ビルに、視える人がいる。


看板はないが、困った人間が行くと、なぜか会ってもらえる——。


半信半疑で訪ねたその部屋には、煙草のにおいと、よれたアロハシャツの、糸みたいに細い目の男がいた。


拝み屋の慈恩です、と男は言った。


思っていたより、ずっと若かった。


わたしは、三十六年の駅員人生でいちばん馬鹿げた報告をする気持ちで、あの夜からのことを全部話した。


そして、言った。


「事故はありません。


でも……毎晩、人数が増えるんです。



慈恩さんは、笑わなかった。


疲れでしょうとも、気のせいでしょうとも言わなかった。


湯呑みの茶を一口飲んで、今夜、見に行きます、とだけ言った。


その晩、最終の一本前の時間に、慈恩さんは踏切へ来た。


遮断機の外に立ち、線路を眺め、それから、糸のような目を、薄く開いた。


あとで聞いたことだが、慈恩さんの開いた目には、人の善し悪しが色で視えるものらしい。


その目に、あの踏切は、色がなかったそうだ。


踏切のまわりだけ、世界から絵の具が抜けて、灰色の写真になっていた。


生きている側の色も、死んでいる側の色も、どちらも、ない場所。


そして、その灰色の中に、見えたという。


三十人。


遮断機の内側に、三十人、立っていた。


誰も、こちらを見ない。


誰も、隣を見ない。


三十人が三十人とも、線路の先の、同じ一点だけを見ている。


行儀よく、静かに、まるで、何かを待つように。


慈恩さんは、長いこと黙っていた。


それから、糸目に戻って、小さく呟いた。


「……増えすぎですね。

事故は、ほんとうに、ないのです。


何も起きていないのです。


昼の世界では。

三十人が何を待っているのかは、第2話で。

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