第3話 誰が悪い
自衛隊。術者。異能者。国の持ち札が、全部めくられます。
そして拝み屋がひとりだけ、反対します。第3話です。
討伐作戦は、三日かけて、すべて失敗した。
初日は、武力だった。
存在を公表されていない対怪異部隊が、夜の丘へ入った。
稜線に射撃陣地を作り、雲のなかの雷獣へ、特殊徹甲弾を撃ち込む。
霊的な火薬を使った、TERAの切り札だった。
十二・七ミリ。
四十発。
指揮車のモニターに、弾道が白い線となって映った。
弾は雲へ入った。
そして、そのまま反対側の夜空へ抜けた。
「命中判定は」
私が訊くと、観測員は首を振った。
「取れません」
「外れたのか」
「違います。対象を、通過しています」
雲のなかの獣は、足を止めなかった。
撃たれたことにも気づかず、ゆっくり歩き続けている。
翌朝、観測班の報告書には、こう書かれていた。
『本射撃は、対象にとって雨の一粒にも満たない』
三十年間、切り札と呼んできたものが、雨の一粒だった。
二日目。
中央から、特級の術導官が呼ばれた。
喪服のような黒い装束を着た術者たちが、トラック三台分の資材を丘へ運び込む。
地面に杭を打ち、紙垂を張り、雲の周囲へ幾重もの結界を組んだ。
発動の瞬間、私にも見えた。
空気が、薄い膜のように歪む。
積乱雲を包み、締めつける。
雷獣の歩みが、少しだけ遅くなった。
それだけだった。
獣が一歩進むたび、張り巡らされた紙垂が切れていく。
杭が抜ける。
術者たちの口から、血が落ちた。
「中止してください!」
私が叫ぶより先に、責任者が右手を上げた。
術が止まった。
責任者は、血のついた口を布で拭った。
「我々の力が足りないのでしょうか」
「違います」
術導官は、雲を見上げた。
「あれと我々では、立っている土俵が違います」
三日目。
登録された異能者が三人、接触を試みた。
一人目は、丘の中腹で鼻血を出して倒れた。
二人目は、雷獣を正面から視た瞬間、白目を剝いて意識を失った。
最後の一人は、三十年以上、この仕事をしてきたという初老の霊媒だった。
霊媒は、雲の真下まで進んだ。
十分後。
顔を真っ白にして戻ってきた。
「あれは、私たちを敵だと思っていません」
「では、敵意を向けさせてください」
上から来ていた監督官が言った。
霊媒は、ゆっくり首を振った。
「人間は、道端の蟻を一匹ずつ数えません」
「何が言いたい」
「我々は、あれにとって、その程度です」
霊媒は、そこで口を閉じた。
敵意のないものは、呪えない。
それが、三日目の結論だった。
作戦のあいだ、慈恩さんにも参加要請を出していた。
返事は、毎回同じだった。
『祓うものが、いません』
四日目。
対策会議は、最初から荒れていた。
三日分の失敗報告が、長机に積まれている。
発電所の復旧には、数か月。
新幹線は、間引き運転のまま。
基地の燃料施設も、使用できない。
病院では、計画停電の準備まで始まっていた。
会議には、ふだんTERAの存在さえ知らない高官が並んでいた。
「なぜ祓えない」
「何のために予算をつけている」
「次に官邸へ落ちたら、誰が責任を取る」
祓う。
その言葉を、電球を交換するのと同じ調子で使っていた。
武力は届かない。
結界は、歩みを遅らせただけ。
異能者は、近づくことさえできない。
報告が進むにつれ、上座の顔色が変わっていった。
末席には、慈恩さんが座っていた。
国の依頼は受けないと言った男を、私が無理に連れてきた。
その彼が、湯呑みを手にして、会議中、初めて口を開いた。
「悪くないですよ。」
部屋が、静まり返った。
私は、椅子から立ち上がっていた。
「国家機能が止まる!」
自分でも驚くほど、大きな声だった。
「発電所が二基止まっている。輸送も、防衛も麻痺しかけている。このままでは、病院まで止まる。これのどこが悪くない!」
慈恩さんは、私の怒鳴り声にも表情を変えなかった。
茶を一口飲む。
「雷獣は嘘しか食べてません。」
「その結果、国民の生活が壊れている!」
「では、雷獣を撃つ前に、何を食べたか調べてください」
「すでに十三件もあるんだぞ」
「十三件とも、嘘の出どころに落ちたんでしょう」
決めつけではない。
確認してください。
慈恩さんは、それだけ言った。
その晩。
私たちは、会議室の壁一面に、落雷の記録を貼り出した。
十三件の場所。
秒単位の時刻。
その直前に、公の場で発表された言葉。
新聞発表。
記者会見。
国会答弁。
テレビの生放送。
観測員二人と、夜通し調べた。
糊。
マジック。
コピー用紙。
ただの事務作業だった。
けれど、書類を並べるほど、部屋の空気が冷たくなった。
ダム管理棟への落雷。
その八分前、県は、強度検査データの改ざん疑惑を否定していた。
『そのような事実はありません』
基地の燃料施設。
その直前、国会では、小規模事故について答弁があった。
『報告の必要を認めませんでした』
新幹線の変電設備。
その夜、車両部品の検査記録偽装について、会社が発表していた。
『安全性に影響はありません』
製油所は、排出データの書き換えを否定した直後。
食品会社の倉庫は、産地偽装を『手続き上の齟齬』と言い換えた直後。
十三件。
全部だった。
例外は、一件もない。
隠蔽。
改ざん。
偽装。
虚偽答弁。
雷は、その言葉が出た場所の急所にだけ、落ちていた。
壁を見上げているうちに、三十年前の記憶が戻った。
新人だったころ。
私は、古い庁舎の地下で、表に出してはいけない数字を見せられた。
上司が言った。
「経年劣化と書け」
報告書へ、そう書いた。
最初の一度だけ、ペン先が止まった。
二度目からは、止まらなかった。
三度目には、言い換えがうまくなった。
うまい、と褒められた。
怪異を隠すため。
混乱を防ぐため。
国民を守るため。
そう言いながら、都合の悪い事実まで、同じ抽斗へ入れた。
老朽化。
漏電。
集団心理。
手続き上の齟齬。
あの夜に止まったペン先が、三十年かけて、この壁まで続いていた。
「裁いているんだ」
夜中の三時。
私は、壁に並んだ十三件を見て言った。
「雷獣は、私たちを裁いている」
「違うと思います」
慈恩さんは、即座に否定した。
「これだけ正確に選んでいる」
「それでも、裁いてはいません」
「なら、何をしている」
「食べてるだけです」
慈恩さんは、壁に貼られた一枚を指した。
『安全性に問題はありません』
その十一秒後に、雷が落ちている。
「人間が嘘を作る。あれが食べる。食べた雷が、出どころへこぼれる」
「善悪は関係ないと?」
「猫は、鼠が悪いから食べるわけじゃないでしょう」
私は言葉を失った。
こちらを裁く神ですらない。
人間が自分で餌を増やし、自分の施設へ雷を呼び込んでいる。
誰かに罰せられているのではなかった。
すべて、自分たちの結果だった。
そのとき、会議室の電話が鳴った。
翌朝の閣議で、最終手段の起動手続きを始める。
短い通達だった。
雷獣を倒せないなら、その存在そのものを、この世界の意味から消す。
TERAが保有する、最後の一枚。
使用された記録はない。
成功した記録も、失敗した記録もない。
回ってきた書類の表題には、二文字だけ書かれていた。
『廻天』
雷は十三件、ぜんぶ嘘の真上でした。例外はゼロでした。
国は最後の一枚を切ります。最終話です。




