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神宝町怪異相談 ~働く人専門の拝み屋は、怪異の奥にある事情を読む~  作者: KASANE
雷獣

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第2話 嘘を食べる獣

観測機には「四つ足の影」としか写らないものが、あの人にだけ、視えます。

それは怒っていませんでした。ただ、歩いていました。第2話です。

前線指揮所は、神宝町を見下ろす、北の丘に置かれた。


外から見れば、通信工事の車だ。


休耕地には「舗装工事中」の看板を立て、農道を封鎖した。


存在しない役所の、いつものやり方だった。


車内では、観測員が三人、モニターを見つめている。


屋根の測定器が、湿った音を立てて回っていた。


「霊子値、通常の八百倍です」


若い観測員の声が震えた。


「数値は正しいのか」


「三回、確認しました」


「過去最高か」


「記録を取り始めてから、これが最高です」


私は、車の窓から空を見上げた。


神宝町の上空にだけ、積乱雲が浮かんでいた。


巨大な灰色の蓋。


周囲は、嫌味なほど晴れている。


風が吹いても、雲は動かない。


雨も降らせない。


気象庁のレーダーには、何も映っていなかった。


雲の形をしているだけで、雲ではないのだ。


その下を、町の人々が歩いていた。


買い物袋を提げた老人。


自転車に乗った学生。


店先で水をまく商店主。


誰も、自分たちの頭上に何がいるのか知らない。


慈恩さんは、車内の機器には目も向けなかった。


丘の草の上に立ち、雲を見上げる。


そして、糸のような目を開いた。


慈恩さんの周囲から、色が消えたように見えた。


照りつける夏の日差しも。


青い空も。


丘の草も。


そこだけ、古い白黒写真になったようだった。


しばらく、蟬の声だけが続いた。


「何が見えます」


私が訊くと、慈恩さんは、雲を見たまま答えた。


「猫です」


「猫?」


「とんでもなく大きい猫です。雲のなかを歩いてる」


観測員が、モニターの四つ足の影を拡大した。


「体は、稲妻でできています。骨が太い雷。毛が細い雷。青白い光が、川みたいに体じゅうを流れてる」


「大きさは」


観測員が答えた。


「推定、四十メートル以上」


「尻尾が長い。先だけ金色です」


影が、ゆっくりと雲のなかを動いていた。


移動速度は、時速四キロほど。


人が散歩するのと、変わらない。


「怒っているのか」


「いいえ」


「では、攻撃の前兆は?」


慈恩さんは、わずかに首を傾けた。


「怒ってません。機嫌よさそうに、散歩してます」


私は、モニターを見た。


発電所を止めたもの。


ダムを焼いたもの。


基地も、新幹線も、製油所も止めたもの。


それが、機嫌よく散歩している。


「名前は分かるか」


「古い呼び方なら、雷獣です」


慈恩さんは目を閉じず、雲を追っていた。


「ただ、記録に残る雷獣は、せいぜい犬か馬くらいです。落ちて、木を裂いて、また空へ戻る」


「では、あれは」


「同じ名前で呼ぶには、大きすぎる。神様に近い側です」


観測員の一人が、息を呑んだ。


「祓えますか」


「台風を祓う拝み屋はいません」


「不可能という意味ですか」


「人間が、どうにかしていい相手じゃないという意味です」


そう言うと、慈恩さんは、丘の斜面を登り始めた。


「どこへ行くんです!」


呼び止めても、振り返らない。


私は拡声器を手に取った。


「参事官、待ってください」


観測員が、青い顔で止めた。


「大きな音は、刺激になる可能性があります」


「では、あの人をどうやって止める」


「分かりません」


私たちは、双眼鏡で見守るしかなかった。


慈恩さんは、丘の頂にある一本杉まで歩いた。


雲の、ほとんど真下。


測定値が、急激に上がった。


「千二百倍」


観測員が読み上げる。


「千五百……測定限界を超えました」


警告音が鳴った。


慈恩さんは、構わず空を見上げていた。


四十メートルを超える獣の下で、人間の体は、マッチ棒より小さい。


やがて、慈恩さんの顔が、わずかに上を向いた。


雲のなかの影も、足を止めた。


巨大な頭が、ゆっくり下がる。


見えていないはずの私にも、分かった。


両者は、互いを見ていた。


獣は威嚇しない。


逃げもしない。


ただ、丘の上の人間を眺めている。


道端で見つけた虫を、少しだけ気にするように。


やがて影は興味を失い、再び歩き始めた。


その瞬間。


空が、白く割れた。


光のあとから、雷鳴が来た。


腹の底まで震わせる音。


指揮車の窓が、びりびりと鳴った。


「落雷を確認!」


観測員が叫ぶ。


「場所は?」


「神宝町ではありません。南の湾岸です」


次の画面に、地図と赤い点が表示された。


「大東火力発電所。三号機タービン建屋!」


「人的被害は」


「確認中です」


数分後、無線から報告が届いた。


負傷者なし。


十三件目も、死者はゼロだった。


私は指揮車へ戻った。


テレビでは、昼のニュースが流れている。


大東火力発電所の担当政務官が、記者に囲まれていた。


『トラブル隠しという一部報道は、事実誤認です』


まばたきの少ない、自信に満ちた顔。


『当該設備の安全性に、問題はありません』


観測員が、発言時刻を確認した。


「会見の発言から、落雷まで十一秒です」


私は丘を振り返った。


慈恩さんが、ゆっくり下りてくる。


指揮車へ戻った彼は、テレビを見た。


落雷時刻を見る。


次に、雲を見上げた。


そして、心底納得したように手を打った。


「あー。ご飯ですね。」


「……ご飯?」


「あれは、攻撃してるんじゃありません」


慈恩さんは、テレビ画面の政務官を指した。


「この人が嘘を言った瞬間、雲のなかの猫が、首を伸ばして何かを食べたんです」


「何を」


「嘘です」


観測員たちが、テレビを見た。


「嘘が電波に乗って、日本中へ広がった。広がった分だけ、大きくなった。それを、雷獣が食べた」


「では、雷は」


「食べた瞬間、体の雷が膨らんだ。余った一本が、地上へこぼれたんです」


「なぜ、発電所に落ちた」


「嘘の出どころだからでしょう」


慈恩さんは、何でもないことのように答えた。


「人を避けていたのは」


「あれにとって、雷は攻撃じゃない。食べこぼしです。食器を壊しても、料理を作った人間まで殺す気はないんでしょう」


私は、この二週間の落雷地点を思い返した。


発電所。


ダム。


自衛隊基地。


新幹線。


製油所。


食品会社。


すべて、役人として聞き覚えのある名前だった。


新聞に出る前から、問題を知っていた施設ばかりだ。


背中から、汗が引いていった。


「十二件も、同じだというのか」


「調べれば分かります」


慈恩さんは、雲を見上げた。


獣は、また、ゆっくり歩いている。


「なぜ、いま現れた」


嘘なら、この国には毎日ある。


昨日今日、始まったことではない。


「増えすぎたんでしょう」


「嘘が?」


「山にいる獣が里へ下りるのは、里のほうに餌があるからです」


慈恩さんは、町から遠く離れた東京の空を見るように、目を細めた。


「あれも同じです。山にある嘘より、人間のいる場所の嘘が多くなった。ただ、それだけですよ」


誰も、言い返さなかった。


餌を増やしたのが誰なのか。


その場にいた全員が、分かっていた。


その夜。


東京から、暗号回線で命令が届いた。


閣議レベルの決定。


神宝町上空の怪異を、国家への脅威と認定。


対象――雷獣。


討伐せよ。

雷は、攻撃ではありませんでした。食事中の食べ残し…

国は、それを討伐すると決めました。第3話です。

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