お茶の、約束
月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
それでは、本編をお楽しみください。
——菜々子
つぎの日も、わたしは、公園に来た。
きのう、ジオンさんのビルの、下まで行った。
でも、見上げたら、足が、すくんだ。
大人のところへ、ひとりで行くのは、こわかった。
けっきょく、行けなかった。
だから、きょうも、おちゃだけ。
手には、すいとう。
麦茶を、いれてきた。
お母さんには、ないしょ。
だって、「知らない人にちかづいちゃだめ」って、いつも言われてるから。
でも、おにいさんは、知らない人じゃない。
……ううん。
ほんとは、知らない人。
名前も、知らない。
でも、知らない人ってかんじがしない。
うまく言えないけど。
植え込みのまえに、しゃがむ。
葉っぱのすきまからのぞくと、きょうもおにいさんはいた。
おなじばしょ。
おなじかっこう。
「おにいさん」
すいとうを、すきまからさしだす。
「おちゃ。のむ?」
おにいさんは、こたえない。
でも、きのうよりちょっとだけ、顔をこっちにむけた気がした。
わたしは、すいとうを地面においた。
おにいさんの手のとどくところに。
「ここ、おいとくね」
それだけ言って、すこしはなれる。
近くにいすぎると、いやがるから。
とおすぎると、聞こえないから。
ちょうどいいきょりが、ある。
わたしは、それをもうおぼえた。
すいとうのそとがわが、つめたい。
なかのこおりが、まだとけてない。
おにいさんに、つめたいまま、のんでほしいから。
わたしは、いえを出るまえに、れいぞうこのこおりをいっぱい入れてきた。
だから、ちょっと、おもかったけど。
へいき。
しばらくして。
すいとうのふたが、かちゃ、と鳴った。
のんだ。
おにいさん、おちゃ、のんだ。
わたしは、うれしくて、にこっとした。
でも、声にはださない。
声をだすと、おにいさんがはずかしがるから。
心の中でだけ、つぶやく。
やった、って。
ほんとうは。
はじめて、おちゃをもっていった日は。
すいとうじゃ、なかった。
あの日は、麦茶をつくるのを、おもいつくまえで。
わたしは、うちのお店の、れいぞうこから。
おちゃの缶を、ひとつ、もってきた。
ひえひえの、缶。
植え込みのすきまから、さしだしたら。
おにいさんは、しばらくして、のんだ。
からっぽに、なった。
わたしは、その缶を、ひろおうとした。
でも。
おにいさんは、はなさなかった。
ぎゅっと、にぎったまま。
すてる缶なのに。
たからものみたいに、にぎっていた。
わたしは、なにも、言わなかった。
つぎの日から、すいとうに、麦茶をいれて、もっていくことにした。
毎日、つめたいのを、のんでほしいから。
でも。
あのからっぽの缶だけは。
ずっと、おにいさんの、そばに、あった。
そんな日が、いくつもつづいた。
あさがおが、さいて、しぼんで、また、さいた。
蝉の声が、すこしずつかわっていく。
はじめはジージーだったのが、いまはシャワシャワって鳴く蝉もまじる。
お母さんが、「もうすぐ、お盆ね」って、言ってた。
夏が、半分すぎた。
わたしは、まいにち公園に来た。
すいとうと、ときどき、あめ玉と。
いちど、おにぎりをもっていったら、それはたべてくれなかった。
でも、おちゃは、いつものんでくれる。
おにいさんは、すこしずつ顔を上げるようになった。
まだ、わらわない。
まだ、なまえも、おしえてくれない。
でも、わたしが「おちゃ」って言うと、ちいさくうなずく。
それだけで、わたしは、うれしかった。
でも。
おにいさんは、あいかわらず、長そでのまま。
あいかわらず、植え込みのいちばん奥にいる。
わたしがいくらおちゃをもっていっても、そこから、いっぽも出てこない。
まるで、植え込みがおにいさんのおうちみたいに。
わたしは、それがずっときになっていた。
ある日。
いつものように、すいとうをさしだしたとき、おにいさんがぽつりと言った。
「……きみ、なんで、毎日くるの」
はじめて、おにいさんからしゃべってくれた。
わたしは、びっくりして、すいとうをぎゅっとにぎった。
「えっと」
うまく、こたえられない。
なんで、だろう。
じぶんでも、よく、わからない。
「……ほっとけないから」
やっと、それだけ言った。
おにいさんは、すこしだまった。
それから、ちいさくわらった。
ううん。
わらったんじゃないかも。
でも、口のはしが、ちょっとだけうごいた。
「……変なやつ」
そう言って、おにいさんは、また下を向いた。
でも、その声は、もう、あのときのかなしい声じゃなかった。
その日から、おにいさんは、すこしだけしゃべるようになった。
ぽつり、ぽつり。
ひとことか、ふたこと。
でも、それだけで、わたしにはたからものだった。
なまえは、まだおしえてくれない。
わたしも、きかない。
きいたら、おにいさんが、こまる気がするから。
なまえをおしえるって、なんだかたいせつなことだから。
おにいさんが、おしえたくなるまで、まつ。
わたしは、まてる。
あるとき、わたしは、きいてみた。
「おにいさんは、どうして、ここにいるの」
おにいさんは、しばらくだまっていた。
それから、ちいさく言った。
「……ここが、いちばん、安全なんだ」
あんぜん。
へんなことばだ、と思った。
公園の植え込みの奥が、どうして安全なんだろう。
うちの中のほうが、ずっと安全なのに。
でも、おにいさんには、ここが安全なんだ。
わたしには、見えないなにかが、あるんだ。
おうちより、学校より、ここがいいっていうなにかが。
それを思うと、むねが、きゅっと、なった。
いちど、わたしがもっとちかづこうとしたら、おにいさんは、きゅうにこわい顔をした。
「……来るな」
そして、すぐに言いなおした。
「……ごめん。そうじゃなくて」
おにいさんは、うつむいて、ちいさく言った。
「きみが、ぼくといると。きみまで、まきこまれる。けがを、するかもしれない」
まきこまれる。
なにに?
わたしには、ぴんと、こなかった。
でも、おにいさんが、わたしをしんぱいしてくれてるのが、わかった。
じぶんが、こんなにたいへんなのに。
わたしのことを、しんぱいしてる。
わたしは、なにも、言えなかった。
その日の帰り道。
わたしは、いつもみたいにスキップできなかった。
うちに帰って、ごはんをたべて、おふろに入って、ふとんに入って。
てんじょうを見ていたら、きゅうにこわくなった。
おにいさんは、まだ長そでのままだ。
まだ、植え込みの奥にいる。
まいにち、おちゃをのんでくれる。
ちょっとだけ、しゃべってくれる。
でも、それだけ。
おにいさんは、あそこから、ぜんぜん出られない。
わたしが、おちゃをもっていくだけじゃ。
なにも、かわらない。
わたしじゃ、たすけられない。
ずっと、わかってた。
でも、見ないふりをしてた。
おちゃをのんでくれるだけで、まんぞくしてた。
ほんとは、ちがうのに。
おにいさんにひつようなのは、おちゃじゃ、ない。
もっと、ちゃんとしたたすけ。
大人の、たすけ。
わたしは、まだ六さいで。
ちからも、ないし。
むずかしいことも、できない。
でも、ひとつだけできることが、ある。
大人を、よぶこと。
わたしじゃできないなら、できる人をつれてくればいい。
だれを、よぼう。
お父さんは、いそがしい。
お母さんも、いそがしい。
学校の先生は、夏休みでいない。
……でも。
ひとり、いる。
ひまそうで、やさしくて、こまった人の話をきいてくれる人。
あした、あの人のところへ行こう。
わたしは、ふとんの中で、目をぎゅっとつぶった。
あした。
あした、ぜったい、大人を、よぼう。
もう、きめた。
——おにいさん。
待ってて。
ジオンさんがくれば、きっと、なんとかなる。
わたしは、そう、じぶんに言いきかせた。
ほんとうに、なんとかなるのかは、わからなかった。
でも、いま、できることは、それだけだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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