番外編 ——怪しいアロハ視点
第6話〜第8話の裏側を、ジオン視点で描いた番外編。
本編で謎だった部分の真相を、ぼくの視点から。
※第三話・第4章〜第6章の裏側を描くサイドストーリー。
真琴と坂東先生の視点では追えなかった、佐藤士恩の動きと内面を、ジオン本人の視点で描く。
本編「序章」「第4章 、傍観者」「第5章 ——なぜか、引いた」「第6章 ——黒い水、坂東先生」と並行して読むことを推奨。
1. 廃村到着
ぼくは廃村の入口の鳥居の前に立っていた。
腕時計の針が、午前の遅い時刻を指している。
いやー、長かった。
朝からいろいろあったし。
東京から夜行バスで七時間。
愛媛の松山に着いたのが早朝六時前。
そこから乗合いの軽トラに便乗させてもらって犬神村の麓まで二時間。
麓に着いたのが朝の八時前。
そこで、美咲ちゃんのお母さんと、待ち合わせていた。
「ジオン様、よろしくお願いします」
四十前後の、痩せた女性。
目の下に、深い隈。
何日も眠れていない顔。
「お母様、お疲れさまです」
「ジオン様、あの——」
「はい」
「美咲の、彼氏なんですけれど」
お母さんが言いにくそうに切り出した。
「片岡くん、ですね」
「ええ。一緒にお話を、聞かせたいと、思っておりまして」
「あー、はい、お願いします」
美咲ちゃんの彼氏。
片岡隼くん。
あの暴走族の。
一緒に話を聞きたい、ね。
わかる。
美咲ちゃんの最後の足跡、彼氏が一番詳しいはず。
ぼくも、聞きたい。
そうして麓の喫茶店で、お母さんとふたりで待った。
三十分。
一時間。
一時間半。
来ないな。
電話、繋がります?
「あー、何度か、かけたんですが……」
「繋がらないですか」
「はい。出てくれません」
「……」
お母さん、顔を伏せた。
「あの子、本当は、ジオン様にお会いするのが、嫌で」
「あー」
「『俺は警察に話したからもういい』って、ずっと、言っていて」
まあ、そうだろうな。
「うん」
「でも、ジオン様にお話をすれば、何か手がかりが、と——」
「お母様、わかりました」
「申し訳、ございません」
「いえいえ、無理に、来てもらわなくて、いいですよ」
まあ、そうだろうな。
美咲ちゃんが行方不明=彼氏にとっては罪悪感。
「俺が一緒にいなかったから」って、責められる気がする。
逃げたくなる。気持ちはわかる。
でもね、片岡くん。
ぼくは責めにきたんじゃない。
美咲ちゃんを助けに来た。
それだけ。
でも、来ないなら、しかたない。
「お母様、片岡くんから、聞いた話を、教えていただけますか」
「はい——」
そこから、お母さんが知る限りの情報を、聞いた。
美咲ちゃんが、犬神村に行く前。
彼氏たちと、肝試しで、廃村に行こうと言っていたこと。
でも当日、片岡くんは熱を出して、寝込んでいたこと。
美咲ちゃんが、ひとりで先に行ったこと。
そして。
帰ってこなかったこと。
なるほど、ね。
片岡くん、熱で寝込んだの、本当か嘘か。
ぼくが見ないと、わからない。
でも、いまは、美咲ちゃん優先。
「お母様、わかりました。あとは、ぼくが、行ってきます」
「ジオン様、よろしくお願い、申し上げます」
そう言って、お母さんは深く頭を下げた。
ぼくは喫茶店を出て、廃村に向かった。
そこから徒歩で廃村の手前まで一時間半。
サンダルで山道、これが一番きつかった。
何度か転びそうになってその都度、植物の名前でも覚えながら気を紛らわせて。
そうして昼前、ようやく廃村の鳥居の前まで辿り着いた。
いやー、よくここまで来たなぼく。
夜行バスの座席で目を閉じていた時、思い出していたのは数日前のことだ。
ぼくの大家、深川さんが事務所に来てくれた。
腰を、押さえながら。
同級生の久能議員の孫娘が、行方不明。
愛媛、石鎚山系の、犬神村。
三日前から、消えてる。
そんな話だった。
ぼくは、二つ返事で引き受けた。
深川さんに頼まれて、断る理由が、ない。
それにしても——
上級国民の闇を見たな。
久能議員。戸籍、年齢、家族構成。
お孫さんには、息子の娘、ってことになってる。
でも、依頼に来たのは、深川さん経由で、議員のおじいさまの方。
しかも、必死の形相、らしい。
あー、これは。
ぼく、深く考えない方が、いいやつ。
戸籍上と生物学上の親子関係が別物だってこと、たまにあるからね。
まあ、深掘りはしない。
ぼくの仕事は、ただ、美咲ちゃんを見つけてお返しすること。
それだけ。
そうつぶやきながら、ぼくは鳥居を見上げた。
なるほど。
朽ちた木の鳥居。
その向こうに流れる灰色の空気。
あれだな。
千と千尋、モデル。
でも湯屋の入り口の感じ、よく覚えてる。
ぼくはふっと息を吐いた。
二色視覚を開く。
世界が、青と赤に分かれた。
赤=澱み、汚れ、悪意、霊力の歪み。
青=祈り、清め、誠実、霊力の通り道。
そして、鳥居の奥は——
赤ばっかり、だな。
ところどころに青が染み込んでいる。
あれが、お父様の結界札の効果か。
大津家の結界。
古いけど、強い。
ぼくは鳥居の横の石に腰かけた。
煙草を出して、火をつける。
さて、と。
どうやって入るかな。
ふつうに入っても、いい。
でも——
ぼくは立ち上がってふらりと、鳥居の横の藪を見た。
そこには、獣道というほどでもないけど、人間が通った形跡がある。
ああ、地元の猟師たちの抜け道か。
昔は、別のルートで入ってたんだろう。
ぼくも、こっちから入ろう。
正面からは、目立つ。
今回は、隠密行動だ。
サンダルで藪を踏み分ける。
あー、サンダル失敗だったかな。
でも、まあ登山靴でもよかったけど。
観光みたいだからいいか。
だからサンダルで正解。
そう、自分に言い聞かせた。
藪を抜けると——
あった。
廃村の裏手、北側。
そこから神社の社の屋根が、見えた。
あの社、犬神神社だな。
そして、その奥に井戸。
井戸が、異界の入口。
ぼくは煙を吐いて、社の方を見た。
そこから。
青、ふたつ。
大津家の結界札の、内側にいる。
あれが大津家のお嬢様と、お付きの坂東さんか。
ぼくは目を細めた。
世間知らずの箱入り娘って顔をしてらっしゃる。
「お父様の代わり、家系のお役目」と思ってここに来たお嬢様。
まあ、立派、だな。
そして、坂東さん。
大津さんの右腕と呼ばれるお弟子さん。
昔軍の特殊部隊にいた人。
うん、この人は有名人だ。
まあ現場で鉢合わせもご縁ということで。
ぼくは煙草をもう一服吸って。
さて、と。
出ますか。
社の方へゆっくり、歩き始めた。
その時。
社の奥から、
ぞわりと、
巨大な霊圧が、噴き上がった。
あー。
出てきちゃったか。
犬神大明神。
ぼくはぴたりと足を止めた。
二色視覚で社の奥を見る。
赤、真っ赤。
悲しみ・悔恨・自責が混じってる。
なるほど、ね。
そして——
社の入口付近には、
無数の霊体。
うん、みなさん、お疲れさま。
ぼくは社から黒い水が噴き出して、
お嬢さんと坂東さんを襲うのが見えた。
あー、まずいな。
ぼくはふっと息を吐いて——
「とまれ」
そう、つぶやいた。
言霊。
黒い水が——
ぴたりと、止まった。
そして、もう一発。
「砕けろ」
宙に浮いた黒い水が、
ぱきんと砕けて、
霧散した。
「……」
社の奥で、
ざわりと霊圧が揺れた。
『……』
不機嫌な唸り。
犬神大明神が、奥へ引っ込んだ。
ぼくは煙草を吸い終わって、
ぷらぷらと、
石段を、
ゆっくり、上り始めた。
さて、と。
お嬢様と坂東さん、ぼくのことをどう紹介するかな。
めんどくさいから、まあ丸投げしよ。
そう、決めた。
そして、石段の半ばで——
「すみません」
声をかけた。
ふたりが、振り返った。
お嬢さん、お顔まだ青ざめてる。
お嬢様は初依頼かー。ぼくも若い頃、似たようなことあったな。
でも、その経験の積み重ねで強くなる。
そして、ぼくは——
「道、ちょっと、間違えたみたいで」
と、語尾を伸ばしてつぶやいた。
あれ?
ちーちゃん、よく指摘するやつ?
ぼくは気付かないけど、どうも伸びてるらしい。
困ったもんだな。
どうして、気付かないんだろう。
「ここ、なんて村でしたっけー?」
そう、訊いてみた。
謎の男はそうしてふらふらとふたりのところへ歩いて行った。
2. お嬢さんの観察
「ぼく車を停めて山を歩こうとしたら、迷っちゃって。看板を追って降りてきたら、ここに出たんですけど。なんか雰囲気違いますよね?」
ぼくは頬を掻きながら、お嬢さんに説明した。
「ええ……」
お嬢さん、戸惑いながら対応してる。
「この一般人を危険から守らないと」お顔。
大津家のお嬢様、流石に責任感が強い。
ぼくは糸目でぼんやり見ていた。
そして——
お嬢さんが、坂東さんに囁いた。
『……この方、一般人ですわ』
『……巻き込まれた、感じですわ』
『……保護しないと、ですわ』
ぼくは、聞こえてないふうに、煙草を吹かしていた。
「あの、すみません」
お嬢さんが、近づいてきた。
「ここ、危険な場所、ですの」
「あ、そうなんですか」
「ええ。すぐにお引き取りください」
「それじゃあ、帰りますかー」
「車、どちらに停めてます?」
「えーと、麓の方です」
麓に車停めてある、ってことにしとこ。
「徒歩で戻れますか」
「うーん、どうですかね」
お嬢さんが坂東さんに相談しはじめた。
「先生、この方を麓まで、お送りしますか?」
「お嬢、それは、危険です」
「……なるほど」
「ですので、お嬢、この方を結界の内側に置いておくしか、ありません」
「……承知、いたしました」
お嬢さんはぼくに振り返った。
「あの」
「はい?」
「申し訳、ございませんが」
「はい」
律儀なお嬢さんだ。
「しばらく、わたくしたちと一緒に、行動していただけますか」
「えっ?」
「危険な場所なので、お一人で麓まで戻していただくわけには、いきません」
「ああ、そうなんですか」
「我々がお役目を終えてから、麓までお送りいたしますので」
「あ、それは助かります」
そして、お嬢さんがぼくに向き直った。
「あの、お名前、伺っても?」
お、名前? 名刺忘れてら。
名前だけでいいか。
「佐藤士恩、です。ジオンって呼んでください」
「佐藤様、ですね」
「いえ、ジオン、でいいですよ」
お嬢さん、律儀に困ってる。
「ですが、初対面で、下のお名前で、というのは——」
「いやー、ぼく、佐藤、って呼ばれるの、なんか慣れなくて」
偽名だしね。
「……左様、ですか」
「では、ジオン様、と」
「ジオン、でいいですよ」
「……ジオン様、と」
お嬢さん、「ジオン様」付けたい派、だな。
まあ、いいか。
「お嬢さん、お名前は?」
「大津真琴、と、申します」
大津 真琴。
うん、知ってる。
お父上、大津 啓一郎。
お嬢様、後継ぎかな。
「真琴さん、と」
「こちら、坂東先生、ですわ」
「坂東さん、ね」
坂東 英次。
大津 啓一郎の右腕。
元軍人のやり手。
「で、申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください」
「いえいえ、ぼくも迷子ですから助かります」
ぼく、本当は迷子じゃないけど。
乗るしかない、このビッグウェーブに。
3. 一服と観察
ござの上に座る。
「ジオン様、こちらお座りください」
「ありがとうございます」
ぼくは煙草を出して、
「ぼくちょっと一服しても、いいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
火をつけて、煙を吐く。
あ、煙がまっすぐ上に行く。
廃村の空気、止まってるはずなのに。
ぼくの周りだけ、空気が流れてる。
これ、無意識に結界張ってるせい。
吸わない人への配慮ってやつだ。
特に、お嬢さん。
未成年だしね。
お嬢さん、気付いたかな。
何かに気付いたっぽい顔はしてる。
でも、「気のせい」で片付けたっぽい。
でも、悪くはない。かな?
そしてお嬢さんが、
「ジオン様、お仕事は、何を?」
「相談屋、みたいなもんです」
「相談屋?」
お嬢さん、首をかしげてる。
「ええ。色々、相談に乗りますよ」
「あの……どのような、ご相談を?」
「うーん。占い師みたいなもんです」
はぐらかすにはちょうどいい肩書きだ。
「占い師?」
「人生の占いってやつを、少々」
「……」
「住所、なかったんですよ」
「えっ?」
「だから占い師なんです」
お嬢さん、頭の中で「?」が並んでる。
ぼくの説明、よくわかってない。
「住所がないんで、ぼくの方が皆さんのところに行くんですよ」
「あー……」
「相談屋、占い師。まあ似たようなもんで」
そして、お嬢さんと坂東さんが囁き合ってる。
『……お嬢、警戒は、解かないでください』
『……異界化が、進んだ廃村です』
『……いつ、何が来ても、おかしくない』
ぼくは、聞こえてないふうに、煙を吐いた。
そして、ぼくは——
「ぼく、ちょっとお手洗い行ってきますね」
「えっ?」
「すぐ、戻ります」
そろそろ離れたい頃合いだ。
「ジオン様、危険、ですから——」
「すぐそこの、木の影で」
「あ、はい」
「それじゃ、ちょっと」
ぼくは立ち上がってふらふらと社の横へ消える。
気配を消す。
お嬢さんと坂東さん、ぼくの気配を見失うはず。
そしてぼくは社の横を通り過ぎて、
廃村の奥へ、
ゆっくり、歩き始めた。
廃村は、
死んでいた。
家屋をひとつひとつ、見て回る。
百年以上放置されてるレベルまで朽ちてる。
あった。
あれだ。
家屋の戸口にお嬢さんが貼った、結界札。
お父様の結界札。
古いけど、強い。
ちゃんと、効いてる。
ぼくは家屋の中を覗く。
胡坐、かいたまま。
胸、四方に開いて。
肋骨、花のように咲いて。
顔の皮膚が半分、剥がれて。
「徐々に引き裂きながら座らせ続けた」状態、ね。
可哀想に。
お嬢さんは、これを見て失神したか。まあ……当然だな。
そしてぼくは家屋を出て、
社のところへ、戻った。
三分くらい、消えたかな。
お嬢さん、心配してる頃。
そして——
お嬢さんが社の向こう側まで回ってぼくを探してる姿が見えた。
あ、心の底から心配してるお嬢さん。
優しい。
ぼくはお嬢さんの後ろから、
「すみません」
いたずら心で声をかけた。
「えっ?」
「ジオン様、どちらに、いらっしゃったの?」
「いやー、ちょっとお腹が、奥の方まで行っちゃいまして」
とぼけておく。
「奥?」
「ええ、ちょっと申し訳ないです」
「あの、社の向こう側、ぜんぶ見ましたけれど」
「あれれー?」
「ぼく、向こうに、いましたよ?」
お嬢さん、黙っちゃった。
「……」
「ま、ぼくもちょっと迷子だったかもしれませんね」
「……そう、ですか」
お嬢さん、納得してない。
でも、追及してこない。
「ご心配、おかけして、すみませーん」
「いえ、無事でなにより、ですわ」
「ありがとうございます」
4. 優しさの観察
ござの上に戻る。
お嬢さんがぼくをござまで肘で支えて運ぶ。
あ、優しい。
大津家、優しいおうち。
そしてぼくはござの上に座って、
ぼくは煙草を出して、火をつける。
お嬢さん、目元に隈できてる。
疲労の限界だな。
でもお役目を続ける覚悟で腹が決まってる。
立派。
ご立派。
ぼくは煙を吐いて、
「真琴さん」
「はい?」
「お嬢さん、疲れが出てますよ」
「えっ?」
ぎょっとしてる。
「目の下に、ちょっと隈ができてます」
「えっ?」
「いやー、ぼくこういうの気になっちゃうタチで」
「……はあ」
「目の隈は、人の疲れたーっていうのの、サインみたいなもんです」
「ええ」
お嬢さん、しっかり者だけど無理してる。
「お嬢さん、無理しないでくださいね」
「……ありがとうございます」
「ぼくが見張ってますから、ちょっと横になっても」
「いえ、お役目中、ですから」
「ああ、そりゃそうですよね」
そして、ぼくは——
「ぼくちょっとまた、お手洗い」
「えっ?」
「すぐ、戻ります」
「また?」
「いやー、お腹がちょっと」
お嬢さんは「あら、本当にお腹痛いのかしら」と、別れてから言っていたのが遠くで聞こえた。
ぼくはふらふらと立ち上がって社の向こうへと消える。
ゆっくり、歩く。
そして——
「お父様、助けて」って声が聞こえる。
美咲さん、まだ生きてる。
そして、ぼくは社の奥の気配を辿る。
異界の奥で丸まってる。
怖くて、動けない状態。
でも、生きてる。
そして、隼くん。結局ビビッて来なかったな。
まあ、群れてる奴なんてこんなもんよ。
そう、判断した。
死なれちゃ困るから糧食と水。簡単なおまじないをしておいた。
そして、ぼくはふらふらと、社の横へと戻った。
そして——
お嬢さんと坂東さんがぼくを探してる姿。
あ、また心配してくれてる。
ちょっと、嬉しい。
「あー、すみません」
声をかけた。
「ジオン様!」
「あー、はい、はい」
「いらっしゃったの?」
「あー、ちょっと奥の方まで行ってましたー」
そして、ぼくは——
そう、思って——
「ちょっと、足、伸ばしてきます」
そしてぼくは、社の奥の井戸の方へ、ゆっくり、回り込んだ。
そこから、
犬神大明神の本体を、
近距離で観察した。
うん、確認完了。
四足。人間の腕が何本も、胴体に人間の顔が複数。
よし。
そして、ぼくは——
ふらふらと、
社の前へ、戻った。
「すみません」
「あ、お帰り、なさいませ」
「いやー、もう大丈夫みたいです」
「……」
そしてぼくはござの上に座って、煙草をまた吹かした。
犬神大明神、いつ仕掛けてくるかな。
たぶん、もうすぐ。
お嬢さんの結界札が霊圧で摩耗してるから、そろそろ来るはず。
あ、これお嬢さんに言っておくか。
「真琴さん」
「はい?」
「あれ、お嬢さん、あのお札なんか変じゃないですか?」
わざと、気付かせるように言う。
「えっ?」
「あの、四隅に貼ってあるやつ。ちょっとこう、字が薄くなってる感じが。あ、なんか割れてるのもあるし、四方が奇妙に欠けてるっていうか」
「えっ?」
「ジオン様……」
「いやー、ぼくこういうの、なんとなく目につくみたいで」
お嬢さん、引っかかった顔。
「あの、ジオン様」
「はい?」
「貼った瞬間から、もうこんなに消耗するもの、なのですか?」
「あれれー?」
とぼける。
「ぼくよくわかんないんですけどね。ただ、なんか薄いなー、って」
「……」
「あの、ジオン様」
「はい?」
「結界札を貼ったのは、ジオン様がお手洗いに行っていらっしゃる時、ですわよ?」
「あれー、そうでしたっけ?」
そりゃ、格上相手じゃあれだけでは無理だからね。
「ええ。確かに」
「うーん、いつの間にか、目に入ったんですかねー」
お嬢さん、まだ見てる。
「……そう、ですか」
「ぼくね、昔からこういうのよく見つけちゃうタチでー」
「……そう、ですか」
「いえいえ、ぼくなんか何にもできないんですけどね」
「……」
お嬢さん、もう何も言わない。
「ぼくね、本当にただの占い師なんですよ」
「ええ……」
そして——
ぼくは煙を吐いて、
「いやー、廃村ってなんか、いいですよね。雰囲気が」
廃村の上を、
ぼくの煙が、
まっすぐ、
空へ、
立ち上っていく。
森林浴気持ちいー。
都会の喧騒から離れるのもたまにはいいね。
心身の健康を整えるリフレッシュ。
5. 犬の襲来、物陰から
午後一時半——
犬神大明神が、襲撃を仕掛けてきた。
社の奥から、ぞわりと、巨大な霊圧。
そして、廃村の四方から犬。
一匹、二匹、三匹、十匹、二十匹、三十匹。
「ジオン様、お逃げください!」
お嬢さんが、ぼくに叫んだ。
「あ、はい、はい」
そう、頷きながら——
ぼくはござの上で立ち上がった。
そして、ふらふらと、
本堂に行った。
お嬢さんと坂東さんからかなり離れた位置。
ふつうの人なら、当然、逃げる。
本堂の結界を見る。
そして、そこに胡座をかく。
ノウマク サラバタタギャテイビャク
サラバボッケイビャク サラバタタラタ
センダマカロシャダ ケンギャキギャキ
サラバビギナン ウンタラタ カンマン。
火界呪で祓い清める。
あー。途中なのに。
お嬢さんたちの陣が崩壊した。
ぼくは、ふっと息を吐いた。
そして家屋の影から、軽く、言霊を放った。
「さがれ」
ほんの、一言。
犬たちが、ぴたりと、止まった。
そして、ゆっくり廃村の奥へ戻っていった。
「……」
お嬢さんは、廃村に静寂が戻ったあとも、立ち尽くしていた。
家屋の影で、もう一服、煙草を吸った。
そして犬たちが完全に引いたのを確認してから——
ぷらぷらと、ござへ戻った。
「いやー、すごかったですねー」
そう、糸目のまま、お嬢さんと坂東さんに声をかけた。
「ジオン様……どちらに?」
「いやー、ぼく物陰に隠れちゃって。ふつうの観光客なんで、すみません」
「……」
お嬢さんは、何か言いたそうな顔をした。
でも、深くは追及してこなかった。
お嬢さん、なにか引っかかったかな。
まあいい。
6. 黒い水、坂東さんの最後
犬の襲来から、三十分。
ぼくたちはござに戻って、一息ついていた。
そこで、坂東さんが、ぼそりと、
「次が、来ます」
と告げた。
「先ほどの犬の襲来は、第一波です」
「真の襲撃は、これから」
うん。
こっからが本番。
ぼくは、ござの隅で、糸目のまま、煙草を吹かしていた。
そして、ふっと、思った。
いまのうちに、外、見ておこう。
他に気になることもあるしね。
「ジオン様、お逃げになれるなら、いま、お逃げくださいませ」
そう、お嬢さんが、ぼくに言った。
「あ、はい」
ぼくは、糸目のまま、立ち上がった。
「ござの結界、破られていますの。次の襲撃には、もう——」
「あ、はい」
「いえ、お逃げ場所も、ないのですけど」
「いやー、ぼく、ちょっと、外見てきますねー」
そう、つぶやいた。
ぼくはふらふらと、廃村を出た。
サンダルで、山道を、上った。
ぷらぷらと、
五キロほど、登った。
廃村の真上の、見晴らしのいい岩場。
そこから、廃村全体が、見下ろせる。
うん、ここがいい。
ぼくは岩場に座って、煙草に、火をつけた。
そして、しばらく、四方を見ていた。
なるほど。
まあ、こんなもんか。
そう、考えながら——
ぼくは煙草を、ふっと、吹かした。
よし、ちょっとやってみるかね。
結界の準備をし——
その時——
廃村の方で、ぞわりと、巨大な霊圧。
え。
ぼくは、岩場から、廃村を、見下ろした。
社の奥から、黒い、もの。
津波。
廃村を、呑み込んでいく。
え、これは。
犬神大明神の、強烈な津波。
五キロ先からでも、見える。
あ、これ、まずい。
ぼくは、煙草を、もみ消した。
そして、立ち上がった。
お嬢さんと坂東さんの気配、まだある。
でも、坂東さんの生命力、すごい勢いで落ちてる。
ぼくは、岩場から、走り出した。
サンダルで。
山道を、下って。
廃村へ、向かって。
間に合え。
間に合え、ぼく。
ぼくは、全力で、走った。
術も使って、全力で。
下り坂、五キロ。
十分。
坂東さんの生命力、もっと落ちてる。
間に合え。
間に合え——
途中、岩を、跳んで。
途中、藪を、ぶち抜いて。
五分。
三分。
一分。
もう少し——
そして、廃村の鳥居の前まで、戻ってきた時。
ぴた、
と、坂東さんの気配が、消えた。
え。
ぼくは、足を、止めた。
消えた。
完全に。
魂が、廃村から、離れた。
間に合わなかったか。
廃村の中は、黒い水が、引いていく途中だった。
社の奥へ。家屋の間へ。そして、闇に、消えて、終わった。
ぼくは、鳥居の前で、立ち尽くした。
そして、ふっと、息を吐いた。
遅かった。
遅かったな。
別の儀式に気を取られて、坂東さんの危機を察知するのが、遅れた。
五キロ先で気付いた時には、もう、無理だった。
間に合わない時はある。
プロとしての、判断ミス。
ぼくは、煙草を出した。
火を、つけた。
ふっと、息を吐いた。
「いやー、すごい水でしたねー」
そう、誰にともなく、つぶやいた。
いまは、いつも通りでいよう。
お嬢さんの前では、いつも通りでいよう。
ぼくの判断ミス、お嬢さんには、関係ない。
お嬢さんは、自分の戦いを、戦った。
その尊厳を、ぼくの言い訳で、汚さない。
ぼくは、鳥居をくぐって、廃村に入った。
ぷらぷらと、
社の方へ、
ゆっくり、歩いた。
ござが、見えた。
ござの中央に、坂東さんが、横たわっていた。
両手を、胸の上に、組んで。
折れた桃木剣を、握って。
軍人の、最後の、姿で。
お嬢さんの、姿は、ない。
……。
お嬢さん、もう社の方へ向かったか。
ひとりで、戦いに、行ったか。
ぼくは、ござの近くまで、歩いてきた。
そして坂東さんのそばに跪いた。
頸動脈に、指を、当てた。
……
胸に、耳を、当てた。
……
ふっと、息を、吐いた。
「……坂東さん」
ぼくは糸目のまま、坂東さんの手に触れた。
「……お辛かった、でしょう」
返事は、ない。
「……でも、立派でした……」
ぼくはござの上で、坂東さんの手を両手で握った。
「……ほんとうに、坂東さんは立派でした」
「……間に合わなくて、すみません」
ぼくの細い糸目の奥で、なにか微かなひかりが震えた。
けれどそれは、廃村の午後にただ漂う光が、古いござに落ちただけだったのかもしれない。
風が止み、世界がひと呼吸だけ黙り込む。
ぼくの煙草から立ちのぼる最後の煙が、まっすぐ空へ伸びていき、
その細い線は、まるで坂東さんの魂が帰る道を示すかのように、ゆっくりと消えていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日からは、燃えカスサッカー始まります。
月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
★感想・評価をいただけると、執筆の励みになります。




