(★最終話)
外伝「犬神村事件」、最終回です。
廃村の澱みは、清められた。
真琴は、美咲ちゃんを抱き、坂東先生をジオンに背負われ、麓へ下りる。
神道の蘇生儀式。
「気づかせ屋」の哲学。
そして——「まこっちゃん」解禁。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
Part 1 ——麓への下山
午後の光が傾き始めていた。
廃村の鳥居をくぐる。ぎいと、古い木が軋んだ。
わたくしは美咲ちゃんを抱いていた。アロハシャツの裾が膝のあたりで、風に揺れる。ベルトに、折れた桃木剣の柄。サンダルも、もうない。素足のまま。
その後ろを、ジオン様が坂東先生をおんぶして歩く。サンダル。煙草をぷらりと吹かしながら。
山道を下る。
砂利の感触が、素足に痛かった。でも、痛さも、もうよかった。
……一歩、一歩。
麓へ。
美咲さんのご家族の元へ。
セミの声が戻ってきていた。
風がふつうに流れていた。
廃村の澱みが消えている。
お役目は果たせなかった。でも、美咲さんは、お返しできる。
坂東先生も、お連れできる。
……それでよろしいのですよね。お父様。
ジオン様が後ろから、ぷらりと煙を吐いた。
「お嬢さん、足痛くないですかー」
「あ……はい、平気ですわ」
「いやー、ぼくのサンダル、片方お貸ししたいんですけどねー、片方じゃ意味ないですからねー」
「……ありがとうございます」
……ジオン様、いつも、優しい。
廃村全体を清めて、犬神大明神様をご成仏させて、坂東先生をおんぶして、それでもわたくしの足を心配してくださる。
……。
ふつうの方では、ない。
でも、ふつうの方の振る舞いを、しっかり、守って、くださっている。
お礼を、ちゃんと申し上げないと。
二十分ほど下った。
道が、すこし広くなった。
向こうから、人の声が聞こえてきた。
「美咲ぃっ……!」
!
足を止めた。
道の先に、女の人が立っていた。
四十前後の、痩せた女性。ワンピース。エプロンも、つけたまま。
すぐ後ろに、白髪の大柄な老人。背筋がまっすぐに伸びている。スーツ。
……あの方々、美咲さんの。
お母様と、ご家族のどなたか。
お祖父様、かしら。
七十代に、お見受けする。
「美咲ぃっ……!」
お母さんが駆けてくる。エプロンが、夕方の風に、はためいた。
Part 2 ——再会
ふらりと駆け寄った。両腕で、美咲ちゃんをお母さんの元へ。
「お母様」
「美咲を、お返しいたします」
「お役目、完了いたしました」
そう言った瞬間、
美咲ちゃんが、ぱちりと目を開けた。
「お……かあさん……?」
か細い声。
「……みさきっ……!」
お母さんが両腕を開いた。
美咲ちゃんをそっと、お母さんの腕の中に預けた。
美咲ちゃんが、お母さんにしがみついた。
「お母さん……お母さん……」
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……」
「肝試し、なんて……」
「美咲、ぐすっ、美咲っ、無事でよかった……!」
お母さんの肩が震えていた。
涙がぽたぽたと落ちた。
お祖父様が、ゆっくり近づいてきた。
七十代の、白髪の、紳士。
わたくしの前で足を止めた。
そして、深く頭を下げた。
「真琴さん」
「孫娘を、お返しいただき」
「ありがとうございます」
「……」
ふらりと頭を下げ返した。
「お祖父様」
「お役目、果たさせていただきました」
背筋を、伸ばす。
「美咲さんは、ご無事です」
「お疲れのところに申し訳ございませんが」
「美咲さんを、お休ませくださいませ」
「異界のお時間で、ずいぶんお過ごしになられました」
言葉を、選ぶ。
「お身体に、ご負担あると思います」
「お医者様に、お見せください」
「はい——」
お祖父様の声が震えた。
「ありがとうございます」
「大津家の、お嬢様」
……。
「大津家のお嬢様」。
わたくし、いま、その名で、呼ばれる、資格、あるのかしら。
お役目、半分、しか、果たせていない。
犬神大明神様をお救いしたのは、わたくしではない。
……。
でも、
美咲さんを、お返しできた。
それだけは、本当。
「……」
ジオン様がぷらりと近づいてきた。坂東先生を、おんぶしたまま。
煙草をもみ消した。
そして、お祖父様に軽く頭を下げた。
「久能の、おじいさま、ですか」
「ジオン君」
お祖父様の目が、すこし潤んだ。
「孫娘を見つけていただき、感謝致します」
「いやー、ぼく、なんにもしていませんよー」
「お嬢さんが、立派にお連れしてくださいましたー」
「ぼくは、ちょっとお手伝いしただけですー」
……またそれだ、と、思った。
「ちょっと、お手伝い」。
千年のお力を、ひと声で、お解決に、なって、「お手伝い」。
ジオン様、本当に、わからない方。
お祖父様は、しばらくジオン様を見ていた。
そして、もう一度、深く頭を下げた。
「君に頼んで、よかった」
「友、深川のおかげで、孫娘が戻った」
「ありがとうございます」
「いやー」
ジオン様が、ぼんやりと笑った。
「深川さんに、ご恩ありますからねー」
「これで、すこしお返しできたかな、と」
……深川さん。
お祖父様のご友人。
そのお方が、ジオン様に、ご依頼に、なった。
……わたくしのお役目とは、別ルート、だったのですね。
ジオン様のご依頼は、美咲さん救出。
わたくしのお役目は、犬神大明神様の対処。
たまたま現場で、合流。
「たまたま」。
ジオン様の、お好きなお言葉。
Part 3 ——坂東先生の復活
そして、ジオン様が、坂東先生をおんぶしたまま、お祖父様に、
「ちょっと坂東さん、お下ろししてもいいですか」
「ああ、もちろん」
「あちらに、ござ敷きますね」
お祖父様が、付き添いの人に、目で、指示を、出した。
すぐに、車から、白い布が、運ばれてきた。道の脇の、平らな場所に、敷かれた。
ジオン様が、ふらりと、坂東先生を、布の上に下ろした。両手を、胸の上に組んで。折れた桃木剣の刃を、握って。
坂東先生の横に、膝をついた。
涙が、また滲んできた。
「先生」
「先生、麓までお連れいたしました」
「お役目、果たしました」
「先生、お疲れさま、でした」
……お声、聞けない。お返事、もうない。わかっている。わかっていますわ。
でも。
そして、ジオン様が坂東先生の横に、しゃがんだ。
煙草をもみ消した。
そして、糸目のサングラスを、すっと、外した。
! ジオン様の、お眼。閉じていた糸目が、開いた。
漆黒の瞳。研ぎ澄まされた、お眼差し。
ふつうの、観光客のお方、では、もはや、ない。
ジオン様は、坂東先生の胸の上で、両手を、合わせた。
左の人差し指を立て、右手で包み込む、見たことのない、印。
……お父様の、書物にも、なかった、お印。
神道、でもない。
陰陽道、でもない。
でも、何か、強いお力が、込められている。
「お嬢さん」
「あ、はい」
「ちょっとぼく、最後のお手当てしてもいいですか」
聞き返してしまった。
「……お手当て?」
「いやー、坂東さん、ご立派でしたからねー」
「ぼく、坂東さんと、もっとお話したかったなー、と」
「半刻前なら、いけそうかなー」
半刻前?
坂東先生、お息を、お引き取りに、なられたのは、半刻ほど、前。
……間に合う、と?
ジオン様の唇が、ゆっくり、と、動いた。
静かな、低い、お声。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
!
……祝詞?
いえ、これは、お父様の、お話で聞いた、ことが、ある。
……書物の中で、見たことだけはある、お言葉。
千年、使われていない、お言葉。
「世に、扱える者は、もう、いない」、と。
……。
でも、ジオン様、お唱えに、なっている。
空気が、震えた。
ジオン様の、合わせた、両手の下から、ふわりと、光が、立ち上った。
青い、光。白い、光。そして、金色の、光。
! 金色!
犬神大明神様の時と、同じ。
お父様「銀色まで」、と、おっしゃっていた、その先のお力。
ジオン様の、手が、わずかに、揺れた。
「ゆらゆらと、ふるべ」
揺らす。震わす。
お父様、「振り」「揺らす」は、命を戻すお力、と、おっしゃっていた。
坂東先生の体の周りに、青白い光が、ふわりと、宿った。
光が、ゆっくり、と、坂東先生の体の中へ、染み込んでいく。
……。
名を与えれば世界は芽吹き、声を放てば道は灯った。
……いま、ジオン様、坂東先生に、お声を、放っていらっしゃる。
道が、灯る。
坂東先生の道が、灯る。
そして、ジオン様が、ふっと、息を吐いた。
そして、軽い、ひと声。
「いきろ」
!
ぴくり。
坂東先生の指が動いた。
!
そして——
坂東先生の唇が震えた。
ぴくり。
胸が上下した。
息を吸っている。
……!
……息……!
坂東先生、お、息……!
両手を口元に当てた。
「……先、せい……?」
「……」
坂東先生の眼が、ゆっくりと開いた。
「……お、嬢」
低い、声。
「……ご無事、で」
!
!
!
「先生……!」
坂東先生の胸に、額をつけた。
涙がぽたぽたと、白い布に落ちた。
「先生、先生、お戻りに……」
「お、戻りに……」
「お、戻りになられた……」
坂東先生はゆっくりと、首をジオン様の方に向けた。
そして——
「……ジオン、様」
「これは——」
「あー、坂東さん、お疲れさま、でしたー」
ジオン様が、ぼんやりと笑った。
「ぼく、ちょっとおまじない、しときましたー」
「……」
坂東先生は、しばらくジオン様を見ていた。
そして、ゆっくりと布の上から、起き上がろうとした。
「先生!」
「お、お休みくださいませ!」
慌てて、肩を押さえた。
「いえ、お嬢」
「私は、もう大丈夫です」
「……」
坂東先生は布の上に座った。
そして、ジオン様の前で深く頭を下げた。
「ジオン様」
「お救いいただき」
「ありがとうございます」
「いやー、ぼく、なんにもしていませんよー」
ジオン様がぷらりと、糸目を開いた。
「坂東さん、たまたまでしたねー」
「ぼく、ちょっとお声をおかけしただけですー」
「……」
坂東先生は、何もおっしゃらなかった。
ただ、もう一度深く頭を下げた。
お祖父様も、その光景を見ていた。
すこし、目を見開いて。
そして、ジオン様に改めて頭を下げた。
「ジオン君」
「これで、深川に、合わせる顔ができたよ」
「いやー、ぼく、本当に何もしていませんからー」
「『たまたま』、ですからねー」
……。
「たまたま」。
いま、坂東先生が、お息、を、吹き返された。
それも、「たまたま」。
ジオン様、本当に、わからない方。
……。
でも、
わたくしの、心の中の、お師匠様、ですわ。
ジオン様、ありがとう、ござい、ます。
Part 4 ——大津家への報告
夕暮れ。
麓の喫茶店の、奥の部屋。
お祖父様にお借りしたふつうのジャージに、着替えていた。アロハシャツは、坂東先生の肩にかけてある。
電話の前で深呼吸をした。
……お父様にお電話、しないと。
お役目、完了のご報告。
お父様、お叱り覚悟、しますわ。
受話器を取った。
「もしもし、お父様」
『……真琴か』
低い、声。
『無事か』
「はい、ご無事です」
「お役目、完了いたしました」
『……そうか』
『……そうか』
お父様の声が、すこし震えていた。
……お父様、心配してくださっていらした。
わたくし、お父様の娘です。
お父様、ご無事のお声、聞かせていただけて嬉しい。
「お父様、ご報告いたします」
「美咲さん、お返しできました」
「ご家族の元へ、お預けしました」
受話器の向こうで、お父様が頷く気配。
『うん』
「坂東先生」
「お役目で、お命をお預けになりました」
沈黙が、流れた。
『……』
「ですが、ジオン様というお方が、お救いくださって」
「いま、ご無事にお席に座っていらっしゃいます」
『……ジオン』
『……ジオン、君、か』
!
お父様、お声、変わられた。
ご存じ、なのかしら。
「お父様、ジオン様と、ご面識ですか」
少し、間があった。
『……いや、面識は、ない』
『が、神宝町に、そう呼ばれる、若い男が、おる、と』
『先代から、聞いておる』
初めて聞くお話だった。
「先代、と」
『うむ』
『真琴、ジオン君に、丁重に、ご挨拶を、申し上げよ』
『大津家のお礼、として』
「はい」
お父様の声が、すこし、改まった。
『……それで』
「はい」
『犬神大明神は、どうなった』
喉が、つまった。
「……お父様」
「お父様の護符、結界札、勾玉、禁じ手」
「全て、お持ちしました」
「全て、通用しませんでした」
お父様は、静かに聞いていらした。
『……うむ』
「わたくしのお力でも、不可能でした」
「ですが、ジオン様が」
「ひと声で、犬神大明神様をお止めになって」
「ひと声で、犬神大明神様を、本来のお姿にお戻しになって」
あの光景が、よみがえる。
「四十七人の犠牲者を、一斉に解放されました」
「廃村全体を、お清めになりました」
『……』
問わずに、いられなかった。
「お父様、ジオン様、いったい何者でいらっしゃるの」
『……真琴』
『その問いは』
『お前が、訊ねてはいけないことだ』
『大津家の千年にも、収まらないお方だ』
お父様の声が、重かった。
『お会いできたことを、ご縁と思え』
『そして、二度とジオン君の力に、軽々しく頼るな』
『お礼を申し上げ、お別れしなさい』
「……」
胸に、刻んだ。
「はい」
「お父様」
『うん』
「お叱りを覚悟して、戻ります」
受話器を、握りしめた。
『……いや、真琴』
『よくやった』
息が、止まった。
『お前は立派だった』
『お母さんも、お喜びになるだろう』
涙が、こみ上げた。
「……お父様」
涙がぽたりと、ジャージの膝に落ちた。
「ありがとうございます」
電話を置いた。
しばらく、その場で座っていた。
……お父様、お母様。
千年のお役目、完璧には果たせませんでした。
でも、お父様「立派」と、おっしゃってくださった。
お母様、お喜びになる、と。
……。
わたくし、まだ千年の大津家の娘で、よろしいのですよね。
お父様の娘で、よろしいのですよね。
……。
お父様、ありがとうございます。
Part 5 ——お友達
ジオン様は喫茶店の外で、煙草を吹かしていた。
夕暮れの橙色の空。
借り物の白いTシャツ。サンダル。半ズボン。
……ふつうの、ご近所さん、みたい。
ジオン様の横に立った。
「ジオン様」
「あ、お嬢さん」
「お父様、お電話で、ジオン様のお名前を、ご存じでした」
「先代から、お聞きになって、いらっしゃった、と」
ジオン様は、ぼんやり煙を吐いた。
「いやー、ぼく、神宝町にいるだけですからねー」
「噂、流れるんですかねー」
「お父様、申し上げました」
「『ジオン君に、丁重にご挨拶を申し上げよ』、と」
「『二度とジオン君のお力に、軽々しく頼るな』、と」
「あー、はい、はい」
ジオン様が、糸目で笑った。
「お父様、お元気で、いらっしゃるんですかー」
「はい、ぎっくり腰、では、ありますが」
「あー、ぎっくり腰、お辛い、ですよねー」
のんびりした口調だった。
「『ぎっくり』って言うと、急に来た、みたいに聞こえますけど、たぶん、ずっと溜まってたんですよー」
「……はい、お父様も、そうおっしゃっていました」
「お父様に、お見舞いよろしくー」
「はい」
坂東先生がふらりと外に出てきた。借り物のスーツに、着替えている。
わたくしの隣に立った。
そして、ジオン様に深く頭を下げた。
「ジオン様」
「私の命、お救いいただき」
「重ねて御礼、申し上げます」
「いやー、坂東さん、たまたまでしたねー」
「いえ」
坂東先生はまっすぐ、ジオン様を見た。
「ジオン様のお力で」
「私、戻りました」
「忘れません」
「……」
ジオン様はぼんやりと笑った。
「あー、坂東さん、お顔こわい、です」
「あ、申し訳ございません」
「いやー、冗談ですー」
すこし、深呼吸した。
そして——
「ジオン様」
「あ、なんでしょうー」
「ひとつ、お願いがございます」
勇気を、出した。
「あ、はい、はい」
「わたくしを」
「ジオン様の」
「お弟子に、していただけませんでしょうか」
「……えっ」
ジオン様がぱちりと、糸目を開いた。
「えー、まこっちゃん、ぼく、弟子取らないんですよー」
「……」
「ぼく、気づかせ屋、なんでー」
静かな声だった。
「教える、っていうの、しないんですー」
「気づきは、ご自分の中に、あるものですからー」
「ぼくは、ちょっと、お声、かけるだけ」
「……は、はい」
「すみません、出過ぎたお願いを」
深く頭を下げた。
……気づかせ屋。お父様のお話で、聞いたことがある。
「気づかせ屋は、教えない。気づかせる」、と。「ご自分の中に、答えがあるから」、と。
……わたくし、教えを乞いたかった。でも、ジオン様は教えないお方。気づかせるお方。
……お叱り覚悟、でしたけれど。やはり、駄目でしたわ。
ジオン様は、しばらく煙草を吹かしていた。
そして——
「お嬢さん」
「あ、はい」
「お弟子は、無理ですけど」
糸目が、すこし笑った。
「お友達、なら、いいですよー」
「お友達なら、お会いした時、お話、しますからねー」
「あ、それと、ご依頼なら大歓迎ですー」
「ぼく、気づかせ屋、ですからねー」
煙が、ふわりと立った。
「ぼく、お友達には、気づきのお手伝いもしますよー」
「……えっ」
「ええ、お友達」
糸目が、やわらかかった。
「神宝町にいらっしゃる時、ぼくの事務所、寄ってくださいー」
「お茶、お出ししますよー」
「お話、お聞きしますよー」
「……」
お、お友達。
ジオン様の、お友達。お弟子ではないけれど。お友達なら、ご縁が続く。
……いえ、お友達というのは、もしかしたら、お弟子よりお深いご縁、かもしれない。
「ジオン様」
声が、震えた。
「ありがとうございます」
「お友達で」
「お願い、申し上げます」
「はい、はい」
ジオン様が、糸目で笑った。
「お嬢さん、お友達できて、ぼく嬉しいですー」
そして——
「あ、お嬢さん」
「あ、はい」
「お友達、なんですから」
「ぼく、お嬢さんって、お呼びしたら、ちょっと距離ありませんかー」
戸惑った。
「……えっ」
「お名前、なんでしたっけー」
「ま、真琴、です」
「あー、まこっちゃん、ね」
!
!
……「まこっちゃん」。ジオン様、お呼びくださった。わたくしのこと。「真琴さん」ではなく、「まこっちゃん」、と。
……わたくし、大津家の家の者ではなく、ふつうの十七歳の女の子で、いられる。ジオン様の前では。
涙が、ぽたぽたと、頬を伝った。
「あれ、お嬢さん、まこっちゃん、どうしました?」
「……いえ、嬉しい、んです」
「あー、はい、はい」
ジオン様が、ぼんやりと笑った。
「まこっちゃん、よろしくー」
「……はい」
「よろしく、お願い、申し上げます」
「ジオン様」
でも、お友達、というのは、生涯の、ご縁。
お弟子、より、お深い、ご縁、かも、しれません。
……。
よかった。
Part 6 ——お別れ
夜。
麓の駅。
ジオン様が、東京行きの夜行バスに乗るところ。
借り物の白いTシャツ。サンダル。半ズボン。リュック、ひとつ。
「まこっちゃん」
「あ、はい」
「ぼく、ちょっと東京、戻りますねー」
「はい」
夜行バスの、時刻が近い。
「次、いつお会いできるか、わかりませんけど」
「神宝町にいらっしゃる時、ぼくの事務所、お寄りくださいねー」
「お茶、お出ししますよー」
「……はい」
ふらりと頭を下げた。
「ジオン様」
「お役目、お力添えいただき」
「ありがとうございました」
「いやー、ぼく、なんにもしていませんよー」
「いえ、ジオン様」
首を、振った。
「いらっしゃいました」
「ジオン様がいらっしゃらなかったら」
言わずに、いられなかった。
「美咲さんも、坂東先生も、わたくしも」
「みんな、戻れていませんでした」
「……」
「お父様も、お母様も、お礼申し上げてと」
「……はい、ありがとうございます」
ジオン様が、煙草をぷらりと吹かした。
そして——
「まこっちゃん」
「はい」
「まこっちゃん、おいくつでしたっけ」
素直に、答えた。
「十七歳、です」
「あー、若いですねー」
「これから、たくさんお役目があるでしょうから」
優しい声だった。
「無理しないでくださいねー」
「はい」
「お父様、お母様、お大事に」
「はい」
「あ、それと、坂東さんも、お大事にー」
「ぼく、お友達、できて嬉しかったですー」
坂東先生がふらりと、頭を下げた。
「ジオン様」
「重ねて御礼、申し上げます」
「いやー、坂東さん、お顔、こわい、ですー」
「……あ、申し訳ございません」
「いやー、冗談ですー」
バスのドアが、開いた。
ジオン様が、リュックを背負い直した。
そして——
「まこっちゃん、坂東さん、またねー」
「はい」
「いってらっしゃいませ」
「いってきますー」
バスがゆっくりと走り出した。
坂東先生と並んで見送った。
バスのテールランプが、夜の山道を降りていく。
赤い光が小さくなって、見えなくなった。
……。
ジオン様。
いってらっしゃいませ。
「まこっちゃん」、ですわ。
また、お会いしましょうね。
夜風がふわりと吹いてきた。
坂東先生がぼそりと、つぶやいた。
「お嬢」
「はい」
「お嬢、いいお友達が、できられましたな」
夜風が、頬を撫でた。
「……はい、先生」
「わたくし、ジオン様、お師匠様、とお呼びしたかったのですが」
「でも、お父様、おっしゃいました」
「『ジオン君のお力に、二度と軽々しく頼るな』、と」
「ですから、お師匠様ではないですわね」
「……はい」
坂東先生は、しばらく黙っていた。
そして——
「お嬢」
「はい」
「私も、ジオン様のお友達」
坂東先生の声は、静かだった。
「お嬢も、ジオン様のお友達」
「お師匠様より、お深いご縁、かもしれません」
「……はい」
坂東先生は、夜空を見ていた。
「お師匠様なら、いつかお別れします」
「でも、お友達なら、生涯」
「お別れ、いたしません」
「……」
目に、また涙が滲んだ。
夜の山道。
わたくしと坂東先生が、駅の前に立っていた。
セーラー服ではなく、ジャージ。
スーツではなく、借り物の薄手のスーツ。
ふたりとも、もうお役目のお衣装では、ない。
ただのふつうの人間。
……。
ふつうの人間。
お役目を果たしたあとの、ふつうの人間。
お疲れさま、わたくし。
お疲れさま、先生。
……。
お父様、お母様、ジオン様、深川さん、お祖父様、お母様、美咲さん。
みなさま、ご縁がございました。
……。
千年のお役目は果たせなかったけれど、
千年が通用しない世界があると知ったけれど、
それでも、わたくしは生きている。
みなさまも、生きている。
美咲さんも、ご家族のもとへお戻りになった。
それで、よろしいのですわ。
……。
一歩、一歩。
明日も、またお役目。
夜風がそっと頬を撫で、借りもののジャージが細く鳴った。
夜空を仰ぐ。
……。
ジオン様。
「まこっちゃん」ですわ。
また、お会いしましょうね。
まぶたの裏で星がほどけ、息は毛布のようにあたたかい。
言葉の火が小さな余燼になって、胸の底で丸くなる。
おやすみ、世界。——おやすみ、わたくし。
音のない波が引くように、疲れが静かに身体を満たし、
そのまま、眠りへと落ちていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日は、番外編。怪しいアロハ視点。
月曜・木曜の定期更新に加え、時間ができた時にも随時更新します!
ぜひお楽しみに!
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