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武野紹鷗って誰  作者: shoundo
第一章 武野紹鷗という人物
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第一章 第四節 武野紹鷗と大徳寺住持・大林宗套

息子:武野紹鷗と禅宗(ぜんしゅう)は、どういう関係なの?


母:出家して「紹鷗」と名乗り、大林宗套(だいりんそうとう)から嗣法(しほう)して、一(いっ)閑(かん)斎(さい)と号し、大黒(だいこく)庵(あん)主(あるじ)となります。『実隆公記(さねたかこうき)』には、21歳の時に出家したとあるのですが、桑田忠親(くわたただちか)著『茶道の歴史』によれば、31歳に出家したのが正しいようです。

大林宗套は、大徳寺(だいとくじ)90世の住持(じゅうじ)で、大徳寺は臨済宗(りんざいしゅう)のお寺です。


息子:臨済宗は、禅宗(ぜんしゅう)なの?

母:禅宗というのは、坐禅(ざぜん)をする宗派全般を指す言葉で、臨済宗(りんざいしゅう)・曹洞宗(そうとうしゅう)・普化宗(ふけしゅう)・黄檗宗(おうばくしゅう)などを総称した名前です。


息子:そもそも茶道でいう禅宗とは何?


母:茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)の禅という意味では、『禅(ぜん)茶録(ちゃろく)』を見ると良いでしょう。

一休宗(いっきゅうそう)純(じゅん)は、村田(むらた)珠光(じゅこう)が一心に茶に打ち込む姿勢を見て、「茶は仏道(ぶつどう)の妙所(みょうしょ)にて叶ふべき物ぞ」と言います。茶の心は、禅の心に互いに通じてあっています。

「禅(ぜん)意(い)を舎(す)て外に茶意なく、禅味(ぜんみ)を知らざれおきば、茶味(ちゃみ)も知られず、乃至(ないし)、只、寸陰(すんいん)を重んじて、刹那(せつな)際も退転(たいてん)なく、禅茶の徳用を以て妙(みょう)道(どう)を修行せんこそ肝要(かんよう)ならめ。」

出家して修行を積むのも、茶の修行に励むのも、共に、仏道修行に通じるということです。


息子:禅宗といっても各宗派でやり方が違うと思うけど、茶道では一つで良いの?


母:西暦1052年以降、『末法灯明記(まっぽうとうみょうき)』に釈尊(しゃくそん)の説いた末法(まっぽう)思想(しそう)が広まります。鎌倉新仏教として、臨済宗(りんざいしゅう)の栄西(えいさい)と曹洞宗(そうとうしゅう)の道元(どうげん)は、仏道修行に努めることを説き、浄土宗(じょうどしゅう)の法(ほう)然(ねん)は、末法(まっぽう)濁世(じょくせ)の衆生(しゅじょう)は、称名(しょうみょう)念仏(ねんぶつ)による救済を広め、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)の親鸞(しんらん)は、正法(しょうぼう)・像法(ぞうぼう)・末法(まっぽう)といった時代を超えて受け継がれてきた、念仏(ねんぶつ)の普遍性(ふへんせい)を強調します。

法華経(ほっけきょう)を信奉(しんぽう)する日蓮(にちれん)正宗(しょうしゅう)では、法華経(ほっけきょう)にある已(い)今(こん)当(とう)の文証(もんしょう)を引き、 末法(まっぽう)年間(ねんかん)には南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱えることでのみ成仏できるとしたそうです。


息子:共通点は?


母:全てに共通しているのは、程度の差こそあれ、皆、仏道(ぶつどう)修行(しゅぎょう)であるということです。

『法華経(ほけきょう)』の注に、「愚痴(ぐち)にして放逸(ほういつ)を楽み、常に諸(もろもろ)の苦悩(くのう)を受く」とあり、一休宗(いっきゅうそう)純(じゅん)は「若(も)し衆生(しゅじょう)の苦悩を免(まぬが)れんと思はば、一向に信を起し、禅茶の門にまぬがひたすらいり立ちて、得道(とくどう)解脱(げだつ)の工夫を修すべし。」としています。


息子:茶道に通じる点は?


母:鵬(ほう)雲斎(うんさい)大宗匠(だいそうしょう)は、あらゆる宗教の実践、茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)を主眼とした国民皆茶(こくみんかいちゃ)と一碗を通じての世界平和を願い、「一碗からピースフルネスを」を提唱しました。

鵬(ほう)雲斎(うんさい)大宗匠(だいそうしょう)の姉で、私の師匠の桜井宗(さくらいそう)養(よう)氏は、「茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)の心は、茶の実践の中で理解して行くものです。」とおっしゃっていました。


息子:その心って何?


母:『南方録(なんぽうろく)』に「掛軸ほど第一の道具はなし。」とあり、亭主の心を見るには、最適のお道具でしょう。

掛軸の歴史でいうと、日本では、室町時代は「仏画(ぶつが)」や「唐絵(からえ)」、村田(むらた)珠光(じゅこう)が一休宗(いっきゅうそう)純(じゅん)に墨蹟(ぼくせき)をもらってからは「墨蹟(ぼくせき)」、 武野紹鷗(たけのじょうおう)の時には「古筆(こひつ)」、江戸時代には「古筆」「色紙」「懐紙(かいし)」、宗(そう)旦(たん)の時代には「茶人の画賛(がさん)」などが掛けられました。


息子:『南方録(なんぽうろく)』で掛軸は「墨蹟(ぼくせき)を第一とす」というのはなぜ?


母:芳賀幸四郎(はがこうしろう)著『禅語の茶掛(ちゃかけ)一行物』には、「<茶の湯>を単なる遊びや、生活芸術の次元から<茶道>にまで昇華(しょうか)し、それを茶禅一味の<美の宗教>まで高めるために、いかに墨蹟(ぼくせき)が大きな役割を果したか。」という旨(むね)を書いています。


息子:墨蹟(ぼくせき)がここまで茶道に入ったきっかけは?


母:墨蹟(ぼくせき)を茶室に掛けるのは、村田(むらた)珠光(じゅこう)から始まります。茶の創(そう)成期(せいき)、茶と禅は密接な関係を持っていました。そう考えると、武野紹鷗(たけのじょうおう)の頃には、茶室に墨蹟(ぼくせき)を掛けるのは、自然のことだったのかもしれませんね。


息子;では、その関係性を、一緒にまとめてみよう。


挿絵(By みてみん)

図1-4.禅寺と茶道の関係


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