第一章 第三節 武野紹鷗が詠んだ藤原定家
母:紹鷗の和歌の師・三条西実隆は、藤原定家の『詠歌大概之序』を紹鷗に伝授します。
紹鷗が利休に送った手紙にも、藤原定家のことが書いてあります。
「侘と云うこと葉は、故人も色々に歌にも詠じけれ共、ちかくは、正直に慎しみ深くおごらぬさまを侘と云ふ。一年のうちにも十月こそ侘なれ。定家卿の歌にも、
いつはりの なき世なりけり 神無月
誰がまことより 時雨そめけん
とよみけるも、定家卿なればなり。誰が誠よりとは、心言葉も及ばざる処を、さすがに定家卿御入り候。ものごとの上にもれぬ所なり。」
息子:和歌の「わび」が、茶道の「わび」に影響を与えたということ?
母:元来、「わび」という言葉は、歌道由来の概念で、武野紹鷗の時に、体系化・整理された歌道と、それまでの茶道が融合し、芸術的な日本文化に昇華するに至ったと歴史学者・桑田忠親氏が、推論しています。
息子: わびは、
見わたせば 花も紅葉も なかりけり
浦のとまやの 秋の夕暮
の短歌でなかったの?
母:『石州三ヶ條』には、村田珠光、鳥居引拙、武野紹鷗、それぞれの茶の理念について、以下のように書いています。
珠光ハ、
見渡せは 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮
此心を用、是則さひたる躰を専に用之也、利休愛す、
引拙ハ、
寂しさは その色としも なかりけり
槇立山の 秋のゆふくれ
紹鷗ハ、
村雨の 露もまた干ぬ 槇の葉に
霧立のほる 秋の夕暮
息子:「見渡せば」の歌は、紹鷗の歌でなかった?
母:『南方録』だと、紹鷗が「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」を茶の境地としており、利休が「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春をみせばや」をその境地としています。
そもそも「見渡せば」の歌は、『新古今和歌集』で藤原定家が詠んだ歌です。
『石州三ヶ條』の3首は、全て『新古今和歌集』からとられたもので、「見渡せば」は藤原定家、「寂しさは」と「村雨の」は寂連法師と、なっています。
息子:全部、夕暮れだね。
母:三夕の歌というのがあります。「寂しさは」「見渡せば」と
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
西行法師の「心なき」の三首で、『新古今和歌集』の秋上に三首並んで掲載されています。
息子:「村雨の」は?
母:『新古今和歌集』で「秋の夕暮れ」を詠った和歌は、他にも何種かあります。「村雨の」はその1首です。
321 ながむれは衣手涼し久かたの天の川原の秋の夕暮(式子内親王)
347 小倉山麓の野辺のはな薄ほのかに見ゆる秋の夕暮(読人知らず)
359 もの思はで かかる露やは 袖におく 眺めてけりな 秋の夕暮れ
(摂政太政大臣良経)
491 むら雨の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮(寂連法師)
1322 我が恋は庭のむら萩うらがれて人をも身をも秋の夕暮(前大僧正慈円)
図1-3. 茶の理念と和歌
息子:わびの心を和歌に託したのはなぜ?
母:『万葉集』に、こういう歌があります。
たちかへり 泣けども吾は しるし無み
思ひわぶれて 寝る夜しそ多き
「わび」は動詞「わぶ」の名詞形で、「立派な状態に対する劣った状態」となります。
『古今和歌集』には、こういう歌があります。
わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に
藻塩たれつつ わぶと答へよ
この「わぶ」は「ひっそりと暮らしている状態」になります。
『徒然草』になると、
つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。
まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。
「わぶる人」は「風流な孤独人」といった、一種の美意識が生まれています。
息子:つまり、悪いイメージの言葉が、徐々に良いイメージになったということ?
母:森神逍遥著『侘び然び幽玄のこころ』の説だと、そうなるでしょうか。
精神的な言葉を説明する場合、和歌が最適だと思います。
渡部泰明著『和歌とは何か』に、「同じような和歌でも演技者が違えば、新鮮さがある」といった内容が書いてあります。
当時の時代背景、人々の階級や暮らし、歴史的な積み重ねなどを、わずか31文字の中に収めることで、逆に「読み手が想像できる」部分を増やし、さらなる広がりを持たせることができます。
「わび」とは何か?と聞かれた時に、単に「正直に慎み深くおごらぬ心」と答えるより、
「花をのみ 待つらん人に 山里の ゆきまの草の 春を見せばや」と答えた方が、より当時の人々が考えた「わび」を想像しやすいと思いませんか?




