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武野紹鷗って誰  作者: shoundo
第一章 武野紹鷗という人物
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第一章 第二節 武野紹鷗と武田信玄は遠い縁者

母:武野紹鷗(たけのじょうおう)は、武田(たけだ)氏(うじ)信(のぶ)の末裔で、紹鷗の父・新五郞(しんごろう)信(のぶ)久(ひさ)が、奈良の泉州堺、舳松町(へのまつむら)で皮屋を営むようになってから、「武田が野にある」という意味で、「武野」と名乗ります。


「其家名流たるを知り自ら姓を武野と改めた。其時の歌に

たねまきておなじたけだの末なれど

  あれてぞ今は野となりにける

と。」

『堺衆』


息子:武田(たけだ)信(しん)玄(げん)と関係はあるの?


母:源流は同じ「甲斐(かい)武田(たけだ)氏(し)」で、武田氏信は第11代当主で安芸(あき)武田(たけだ)氏(し)の初代当主。武田信玄(晴(はる)信(のぶ))は第19代当主になります。



息子:つまり図にすると、こういうことだね。


挿絵(By みてみん)

図1-2. 武田氏と武野紹鷗の関係


母:さて、武野紹鷗に関する資料では、若狭(わかさ)武田(たけだ)氏(し)の武田仲(ちゅう)清(ぜい)が武野紹鷗の祖父となっています。ですが、2009年に行われた福井県立若狭図書学習センターの調査では、若狭武田氏に関する資料に武田仲清の記載はないとのこと。


息子:安芸武田氏と若狭武田氏の関係は?


母:若狭武田氏初代当主・武田信(のぶ)栄(ひで)は、安芸武田氏5代当主・武田信(のぶ)賢(たか)の兄です。

兄・信(のぶ)栄(ひで)の死後、武田信賢は、若狭武田氏2代当主も兼ねます。若狭武田氏3代は、信賢の弟・国(くに)信(のぶ)です。信賢の息子・元綱(もとつな)が小さかったためで、元綱は、安芸武田氏6代当主となり、以後、元繁(もとしげ)、光和(みつかず)、信実(のぶざね)と続きます。

若狭武田氏は、国(くに)信(のぶ)の長男・信(のぶ)親(ちか)が第4代、次男・元信(もとのぶ)が第5代、元信の長男・元光(もとみつ)が第6代を継ぎます。


息子:武野紹鷗の祖父・武田仲(ちゅう)清(ぜい)は出てこないね。


母:若狭武田氏5代当主・元信の子に武田信孝がいます。『武野燭談(ぶやしょくだん)』には「武野紹鷗=武田信孝」とする記述があるそうです。


息子:つまり、「武田仲清=武田国信」ということになるね。


母:実は、同時代に武田国信という人がもう一人います。因幡(いなば)守護(しゅご)・山名(やまな)誠通(のぶみち)の家臣で、若狭武田氏の一族です。鳥取城を改築したことで有名です。

のち、堺の武野紹鷗は、縁もゆかりもない因幡で因幡守となります。

 勝手な想像ですが、この武田国信が、武野紹鷗の祖父・仲清のことではないかと思っています。『武野燭談(ぶやしょくだん)』は江戸時代の書です。室町時代の内容に間違いがあってもおかしくはありません。



息子:あまり飛躍してもしょうがないので、武田仲清に関しては、謎のままにしておきます。


母:そうですね。


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