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武野紹鷗って誰  作者: shoundo
第一章 武野紹鷗という人物
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第一章 第一節 一休の曾孫弟子・武野紹鷗

母:武野紹鷗(たけのじょうおう)は、千利休(せんりきゅう)の茶道の師匠に当たる人です。

もう少し遡ると、茶の湯は中国から茶を持ち帰った栄西(えいさい)が、1191年、背振山(せふりさん)霊仙寺(りょうせんじ)の石上坊(いわかみぼう)に、茶の木を植えたのが始まりです。その後、明恵(みょうえ)、一休(いっきゅう)、村田(むらた)珠光(じゅこう)、珠光(じゅこう)の弟子の藤田宗(ふじたそう)理(り)、十四屋宗(じゅうしやそう)陳(ちん)や十四屋宗(じゅうしやそう)悟(ご)と伝わり、武野紹鷗(たけのじょうおう)が「わび茶」として大成させました。


息子:つまり図にすると、こういうことだね。


挿絵(By みてみん)

図 1-1-1 茶と紹鷗の関係


母:宇治市(うじし)では、栄西(えいさい)禅師(ぜんじ)、明恵(みょうえ)上人(しょうにん)、千利休(せんりきゅう)の3人を「宇治の三大恩人」として称え、毎年10月に「宇治茶まつり」を開催しているそうですよ。


息子:一休というのは、頓智(とんち)で有名なあの一休さん?


母:そうです。

茶の湯に関して、明恵(みょうえ)上人(しょうにん)から直接指導を受けたわけではないのですが、茶と禅の関わりを裏付ける重要な人です。村田(むらた)珠光(じゅこう)は、一休から直接、茶の湯を指導されたという説が、有力です。

村田(むらた)珠光(じゅこう)には、古市澄胤(ふるいちちょういん)、村田宗(むらたそう)珠(しゅ)、鳥居引拙(とりいいんせつ)、石黒道提(いしぐろどうてい)、十四屋宗(じゅうしやそう)悟(ご)、藤田宗(ふじたそう)理(り)、竹(たけ)蔵(くら)屋(や)紹(じょう)滴(てき)、大(おお)富(とみ)善(ぜん)好(こう)、粟(あわ)田口(たぐち)善法(ぜんぽう)、金(かな)田屋宗宅(だやそうたく)など、多くの弟子がいました。

全員が茶の湯に関わるわけではないのですが、武野紹鷗(たけのじょうおう)は、この中の村田宗(むらたそう)珠(しゅ)、藤田宗(ふじたそう)理(り)、十四屋宗(じゅうしやそう)陳(ちん)、十四屋宗(じゅうしやそう)悟(ご)に直接、教えを受けています。


息子:つまり、武野紹鷗(たけのじょうおう)は、一休さんの曾孫(ひまご)弟子(でし)ということ?


母:そうなります。

茶の湯には、茶道は禅と同一であるべきとする「茶(ちゃ)禅(ぜん)一味(いちみ)」という言葉があります。

『紹鷗画への大林宗套(だいりんそうとう)の賛』に「料知す。茶味と禅味同じなること。松風を吸い尽くして、こころいまだ汚れず」

『山上宗二記(やまのうえのそうじき)』に「すべて茶湯風体は禅也」

『南方録(なんぽうろく)』に「小座敷の茶の湯は第一仏法を以って修行得道する事也」

『禅(ぜん)茶録(ちゃろく)』に「茶意は即ち禅意也。故に禅意をおきて外に茶意なく、禅味を知らざれば茶味も知られず」

この「茶禅一味」は、村田(むらた)珠光(じゅこう)が開いた境地です。茶禅一味の精神と、能や連歌などの精神的な深みを追求すると「わび茶」に繋がります。

武野紹鷗(たけのじょうおう)は、この「わび」という言葉を最初に使った人物で、千利休が「茶道」として大成させます。


息子:つまり図にすると、こういうことだね。


挿絵(By みてみん)

図1-1-2. 茶禅一味とわびの関係

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