第五章 第四節 武野紹鷗の妹説
母:今井宗久の妻は、武野紹鷗の妹という説があります。
息子:武野紹鷗の娘ではなくて、妹?
ここまでの説明は、武野紹鷗の娘で、武野宗瓦の姉という設定だったよね。
母:『寛政重修諸家譜』には、今井宗久の子・今井宗薫について「母は武野紹鷗が女」とあります。
戸田勝久著『武野紹鷗研究』の「宗瓦と宗朝附仲定」では、この「女」を武野紹鷗の「娘」とし、天文20年に50歳の紹鷗が、20代の妹を持っているのはおかしいとしています。
同時に、武野紹鷗の娘、つまり武野宗瓦の姉とした場合も、5歳の宗瓦と年が離れた20代の姉というのは、おかしいとなります。
そこで戸田氏は、宗瓦の異母姉説を出して結論としています。
息子:もし、妹だとすると何がわかるの ?
母: 武野紹鷗に妹がいたと仮定すると、武野家の財産は、出家した紹鷗ではなく、妹のものになります。今井宗久と武野紹鷗の息子・宗瓦が紹鷗の遺産を取り合ったとき、信長の裁定が今井宗久になったのも納得がいきます。
ただ、武野紹鷗の娘という説が基本かもしれませんね。
古文で「○○女」というのは「娘」、「○○妹子」というのは「妹や姉」になります。
そういう意味では「武野紹鷗が女」は「武野紹鷗の娘」となります。
他方、1992年に放送されたNHKの大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」では、「武野紹鷗の娘」という設定です。大多貴子氏(当時47歳)が今井宗久の妻役で登場し、今井宗久が佐藤慶氏(当時64歳)だったので、配役としては20歳くらい妻が若くなりますね。
息子:男尊女卑の考えから、女性の地位は低くて、一切、財産を受け取れなかったイメージがあるけれど、武野家は女性に財産を継がせたの?
母:室町時代、女性の地位は必ずしも低いとは言えません。当時、女性も寺小屋で教育を受け、商業界へと進出しています。シャニジナ・ハンナ著『日本女性の社会地位に関する歴史的研究』によれば、鎌倉時代~江戸時代、特に商業に関して、女性の地位は高かったことを挙げています。
また、1494年に編纂された『三十二番職人歌合』には、「いやしき身なる者」として「菜売」という女性の行商が描かれています。
ここからは想像ですが、武野紹鷗が出家した後、「武野紹鷗が女」が武野家の皮屋を受け継ぎ、しばらくは、商業の発展に貢献したのではないかと思います。
武野紹鷗は5歳の宗瓦を遺し、この世を去ります。「皮屋」も今井宗久の「納屋」と合併し、今井宗久の妻の代で店をたたむことになります。信長の裁定で、武野紹鷗の財産は全て今井宗久の物になるのですが、武野紹鷗の財産である「皮屋」も手にいれたことになります。
武野宗瓦が財産分与で意義を唱えたのは、この件があったからかもしれませんね。




