第五章 第五節 能と和歌とわび茶の心
息子:以前、お母さんは「茶禅一味の精神と、能や連歌などの精神的な深みを追求するとわび茶に繋がる」と言っていたけれど、「能楽」は「茶道」とどう関係しているの?
母:「能」と「連歌」、そして「わび茶」に共通しているのは「幽玄」という考え方です。
連歌師・心敬著『心敬僧都庭訓』に「幽玄というものは心にありて詞にいはれぬものなり」とあります。
息子:意味は?
母:「幽玄というものは、心で表現するもので、言葉では言い表せないものです。」となります。
能楽でも能楽師・世阿弥の著書『花鏡』で「ことさら当芸において、幽玄の風体第一とせり。」と書いています。
これは「能楽に於いては、幽玄の精神を第一としなさい。」となります。
そして、和歌では歌僧・正徹が著書『正徹物語』で「幽玄体の事、まさしくその位に乗り居て納得すべき事にや」としています。
正徹は、『新古今和歌集』の「あはれなる心長さのゆくゑともみしよの夢をたれかさだめん」に対して「極まれる幽玄の歌なり」とも表現しています。
息子:つまり「幽玄」とは?
母:そうですね茶道として言うなら「上品な趣向と情緒を一杯の茶碗で表現し、互いに心を通わせる刹那を演出し得る唯一の方法」でしょうか。
千宗室著『茶の真諦』に「私たちに得られる平和というものは、その一碗の中に見出すところの、緑の世界でなければならないのです。」とあります。
近年の世界情勢は緊迫する一方です。日本の平和は薄氷の上に成り立っているように思います。武野紹鷗が生きたのは戦国時代です。そんな中、ある時は「連歌」、ある時は「わび茶」という芸道に「平和」を見出そうとしていたのかもしれません。
息子:武野紹鷗から連綿と続いた平和への願い、現在も茶道の精神に受け継がれているね。
母:今、故・武野紹鷗へ最高の賛辞を送ります。
母・息子:「一碗からピースフルネスを」




