第四章 第五節 紹鷗の掛軸
息子:武野紹鷗は、床の間に、どういった掛軸を掛けていたの?
母:この時代、掛軸を掛けない茶会もありました。代わりに、茶壺、香炉、茶入、花などを飾り、掛物を用いた場合でも、途中から他のものに飾り換えていたようです。
小田栄一著『茶の掛物』によれば、『津田宗達茶湯日記』にある天文17年~20年の4年間に行われた80回の茶会のうち、31回しか掛物を用いていなかったとあります。
息子:つまり「掛物ほど第一の道具はなし」というのは「うそ」ということ?
母:現在でこそ掛物は第一の道具ですが、当時は違います。また、「掛物ほど第一の道具はなし」の出典は『南方録』なので、千利休が言ったというのもあやしいですね。
さて、床の間に掛けられていた掛軸ですが、はじめは絵画と墨蹟を交互に用いていたようですが、徐々に墨蹟を重用するようになり、利休の時代には、ほぼ墨蹟のみになります。
息子:初歩的な質問だけど、「墨蹟」というのはどういったものを指すの?
母:では、まず掛軸の説明をしましょう。
「表具師玉木楽山堂のブログ」などによると掛軸の名称は、図のようになっています。
図4-5-1. 掛軸の名称
図4-5-2. 掛軸の真行草
息子:掛軸に草の真はないの?
母:ありません。大和仕立てと呼ばれるこの表具は、8段階に分かれ、格が上のものから順に真の表具の真・行・草、行の表具(幢ほえ)の真・行・草、草の表具(輪ほえ)の草と草になります。
真の表具は、仏画・曼荼羅・頂相・画像・神号・仏号・道号などがあり、まず茶室には使用しません。見た目は「中回し」が少し小さく「天」と「地」がくっついたような感じで、特に総縁と言います。
息子:行の表具には、何があるの?
母:行の表具は、古筆・墨跡・古画・新画・歌切・懐紙・詠草・色紙・書画などがあり、茶室に用いることもある掛軸です。見た目は「中回し」が普通で、「天」と「地」が離れている感じの掛軸です。
草の表具は、茶人の書画・文人や俳人の画賛・禅僧の墨跡・大徳寺物などがあり、茶席に適したものです。
息子:掛軸には、墨蹟や絵画以外にも、いろいろあるね。
母:それぞれの中身は、以下のようになっています。
「墨跡」:禅僧が墨筆で書いた筆跡。
「経切」:仏教経典を切断したもの。
「古筆」:平安時代から鎌倉時代にかけての能筆家の筆跡。
「懐紙」:詩歌などを書き記した料紙。
「消息」:手紙。
「色紙」:和歌・書画などを書いた方形の料紙。
「詠草」:本来は詠歌の草稿のことであったが後に和歌や俳諧の書式。
「短冊」:和歌などを書くための細長い料紙。
「唐絵」:中国から伝来あるいは日本人の手になる中国風の絵画。
「画賛」:絵の余白に書き添えた文章または詩歌。
「その他」:「古画」「家元の字句」など。
また、連作となる複数の書画を同じ表装で仕立てたものを「対幅」と言い、柿栗図や竜虎図といった双幅、 観音・猿・鶴などを描いた三幅対、四季を描いた四幅対、十二ヶ月を描いた十二幅対などがあります。
息子:つまり最初に質問した「墨蹟」というは、行の表具で仕立てられた禅僧が墨筆で書いた書ということだね。
母:その通りです。墨蹟の定義は時代により、少々異なってきます。現在では、近世の諸宗で代表される高僧が書いた書も墨蹟として用いることがあります。
茶席に初めて墨蹟を用いたのは村田珠光です。一休宗純に参禅した際、印可の証明として授けられた圜悟の墨蹟になります。
息子:武野紹鷗の時代に「墨蹟」とされたものはどんな書なの?
母:虚堂智愚・滅翁文礼・物初大観などの中国高僧の墨蹟です。絵画は牧谿が中心だったようです。鎌倉、室町初期の禅僧の墨蹟を掛けることもありました。千利休が春屋宗園の一行書を掛けてから、在世の和尚の墨蹟を掛けるようになります。
息子:墨蹟にはどういった内容が書かれているの?
母:禅語になります。武野紹鷗所持の虚堂智愚の墨蹟で有名なものに「破れ虚堂」があります。
世路多戯嶮、無思不研窮。
平生見諸老、今日自成翁。
認字眼猶綻、過譚耳尚聾。
任天行直道、休問馬牛風。
日本照禪者、欲得數字、徑以述懷贈之。
虚堂叟智愚書。
息子:どういう意味なの?
母:「世の中は前途多難だ。これまで多くの老師を見てきた。私の耳も目も悪くなり、自分も老いてわかったことは、人生は、ただ天に任せて生きるということだ。」
「日本を照らす禅僧にこれを贈る。虚堂。」
ここでいう日本の禅僧というのは、鎌倉浄智寺の僧、無象静照だそうです。
息子:何かを悟った人が、初めて言えそうなセリフだね。よくわからないけど。
母:さて、「小倉色紙」を初めて茶席に用いたのは武野紹鷗です。『今井宗久茶湯書抜』に天文24年10月2日の茶会として、「定家色紙、天ノ原、下絵ニ月ヲ絵ク」とあります。
息子:小倉百人一首のことだね。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
母:天文24年は武野紹鷗が死んだ年です。武野紹鷗は、何を思い、この色紙を茶席にかけたのでしょうね。




