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武野紹鷗って誰  作者: shoundo
第三章 紹鷗茶湯百首
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第三章 第五節 利休百首と紹鷗百首の差分

息子:以下の短歌は、利休百首にあって、紹鷗百首にないものです。

羽箒は風炉に右羽よ炉の時は 左羽をば使ふとぞしる

ともしびに陰と陽との二つあり あかつき陰によひは陽なり

茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめてきくこともなし

水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし

茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ

釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚な

かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚な

茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯木あかつきの霜

茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて のむばかりなる事と知るべし

もとよりもなきいにしへの法なれど 今ぞ極まる本来の法

規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな


母:これらの短歌は、主に茶道の心得(こころえ)を詠(うた)ったものです。紹鷗百首では、最初の和歌「其道に至らんとおもふ心こそ わが身なからの師匠なりけり」のみが、それにあたります。

もし、紹鷗百首が本当に武野紹鷗(たけのじょうおう)によって書かれたものならば、わびの心を多く語ることはできなかったでしょう。


息子:わび茶を大成(たいせい)したのは千利休(せんりきゅう)で、武野紹鷗の時には、まだ大成していなかったから。


母:また、茶の湯には、陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)が密接に関わっています。陸羽(りくう)著『茶(ちゃ)経(きょう)』には、風炉(ふろ)の三足(みつあし)に火・風・水の卦(け)が備(そな)えられ「風は火をおこし、火は水を湧かす」と書いています。『茶の湯と陰陽五行』の谷端昭夫(たにはたあきお)著のコラム『茶経と陰陽五行』では、風炉の卦に関し「茶を喫することにより多くの病(やまい)からのがれることを示そうとしていた。」としています。


息子:『茶経』の陰陽五行が、そのまま紹鷗の茶へと繋(つな)がったの?



母:『茶経』は煎茶法(せんちゃほう)という喫茶法(きっさほう)で、点(てん)茶法(ちゃほう)の茶道は、栄西(えいさい)著『喫茶(きっさ)養生記(ようじょうき)』が元です。『喫茶養生記』にも陰陽五行があり「五臓(ごぞう)和合門(わごうもん)」という形で説かれています。日本の茶道で発展した陰陽五行は、冒頭「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である。」で始まる、この『喫茶養生記』が中心です。

栄西は禅宗(ぜんしゅう)のうち臨済宗(りんざいしゅう)の開祖(かいそ)です。禅と茶は、ここで出会うので、紹鷗の茶というより、茶道の根本が陰陽五行と密接に関わっていると言えます。


息子:この「ともしびに陰と陽との二つあり あかつき陰によひは陽なり」がそれだね。



母:「茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯れ木あかつきの霜」もそうです。この歌は、口切(くちきり)の茶事(ちゃじ)に関する短歌です。陰は「11月の口切の茶事」「黄葉み落ち」「枯木」、陽は「梅」「寒菊」「青竹」「あかつき」になります。陰と陽の調和を味わうのも、茶道の心得の一つです。


息子:口切の茶事は、あまり馴染みがないけれど、もう少し、身近に陰陽五行はないの?


母:「帛紗(ふくさ)の四方(よほう)捌(さば)き」なら馴染(なじ)みがあるのでは?

これは、陰陽(いんよう)の東西南北(とうざいなんぼく)を清(きよ)めるという意味になります。台子(だいす)の場合、天板(てんばん)・地板(じいた)に乾坤(けんこん)、柱四本で、東西南北(とうざいなんぼく)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)になります。その前に座り四方(しほう)を捌くのは、東西南北の方位を清め、春夏秋冬一年を清めるという意味になります。

さて、最初の質問に戻りましょう。利休百首と紹鷗百首、違いはわかりますか?


息子:道具には陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)が含まれるため、茶道の心得(こころえ)が少ないと見るのは、正しい見方ではない。心得を直接説(と)いた利休百首と、道具の扱いを中心として見た紹鷗百首という違いはあるけれど、茶道の心得は、共に語っているということだね。



母:茶道の心得(こころえ)は、究極的には和敬(わけい)清(せい)寂(じゃく)です。裏千家のホームページには、以下のように書かれています。

「和」とは、お互いに心を開いて仲良くするということです。

「敬」とは、尊敬の敬で、お互いに敬いあうという意味です。

「清」とは、清らかという意味ですが、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということです。

「寂」とは、どんなときにも動じない心です。

鴨長明(かものちょうめい)著『方丈記(ほうじょうき)』の冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある、人と栖と、又かくのごとし。」とあります。

紹鷗百首も和敬(わけい)清(せい)寂(じゃく)の心得が根底(こんてい)にあり、現在に伝わっている。ここに悠久(ゆうきゅう)の流れを感じずにはいられません。

時代の移り変わりとともに、人々の心も少しずつ変化しています。そんな中、茶道の心得を後代(こうだい)に伝えるには、和歌が最適なのかもしれませんね。


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