第三章 第一節 利休百首の成り立ち
息子:利休百首は覚える必要があるの?
母:ただ丸暗記するのではなく、教えを身に付けることが重要です。
例えば、「茶の湯とはただ湯をわかして茶を点てて のむばかりなる事と知るべし」とあります。これは、『南方録』の逸話に合致します。
「或人、炉と風炉、夏冬茶湯の心持、極意を承たきと宗易に問れしに、易こたへに、 夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにもあたたかなるやうに、炭は湯のわくやうに、 茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ候由申されし、乃至、諸悪莫作・諸善奉行(諸々の悪いことをしてはいけない。良い事をしなさい。)と、 鳥かのこたへられたる同然ぞとの玉ひしなり。」
息子:意味は?
母:『南方録』の方は、当たり前のことを、当たり前のように自然と振舞えるという意味です。
孔子の『論語』為政編に、「子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」とあります。この70歳の「不輸」も同じような意味になりますね。
息子:『南方録』の文章は利休七則に似ているけれど、これが出典だったんだね。
「茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ。」
そういえば、利休百首は102首あるけれど、何か謂われがあるの?
母:謂われというより、利休百首の原型は100首ではなかったためです。
「利休百首」は、「利休教歌」の中でも、100首程度でまとめられた特徴的なものです。
「利休教歌」の原型は、筒井紘一著『茶書の系譜』によれば『細川玄旨教訓百首』になります。
また、「利休百首」の原型は、同じ筒井紘一著『茶書の系譜』で、『茶之湯百首 附続茶之湯百首』の「利休製」と書かれた始めの90首で、1690年前後に『利休茶湯百首』として成立したとしています。今の形になったのは、1856年、裏千家家元・玄々斎宗匠が「法護普須磨」にしたためられた「利休居士教諭百首歌」になります。
息子:つまり「利休百首」は、『茶之湯百首 附続茶之湯百首』の90首のほかに何首か追加されて、玄々斎宗匠が完成させたということ?
母:そうなります。
なお、利休教歌に関しては、石塚修著の論文『利休教歌の系統と展開』で、
・『吃茶詠一百四十七首』および『紹鷗茶湯百首』と『遠州侯茶湯百首』の系統
・『茶道教諭百首』と『法護普須磨』の「利休居士教諭百首歌」の系統
・『利休茶湯百首』および『茶之湯百首 附続茶之湯百首』と『茶湯秘抄』の系統
の3系統に分けることを提示しています。
息子:一旦、ここで「利休百首」の成り立ちを図示してみます。
図.3-1. 利休百首の成り立ち
息子:ところで、「紹鷗茶湯百首」というのは何?
母:武野紹鷗の名を冠した利休教歌です。では、次に「紹鷗茶湯百首」について見ていきましょう。




