二人の進路2
「よう、江間」
未可子とカフェに行った翌日の早朝。
弘海は誰もいない教室でスケッチブックを広げていた。
そんなところに声をかけてきた人物がいたのだ。
唐突に現実世界に呼び戻され、うっとおしくも思いつつ弘海が顔を上げると、そこには大野の姿があった。
大野の方から弘海に話しかけてくるのは、おそらくこれが初めてのことだ。
大野ははるか昔にも感じられる、喫煙事件の当事者である。クラスメイトや教師すらも認めるトラブルメーカー。
そんな相手であっても弘海は、一切の警戒心も持たず挨拶を返す。
「おはよう。今日はずいぶんと早いんだね」
教室前方に設置されている壁掛け時計は七時十五分を指し示していた。
弘海の記憶では、こんなに早く大野が教室に来ていた記憶はない。
「俺だって、たまには早く来ることはあるさ」
大野はそう答え、不遜だと示すように頭を掻きながら視線を落とした。
「いや、べつに嫌味で言ったわけじゃないよ。ちょっと気になっただけだよ」
そう答えた弘海に、疑いの視線を送る。
まるで、信じていなかった妖精でも見つけてしまったように。
「……なんかお前、ちょっと変わったよな」
「そうかな?」
そう答えた直後、弘海は自身の体を隅々まで注意深く観察してみるが、やはり大野が言うような変化は見受けられなかった。
「そういうことじゃねえよ!」
「えっと、だったらどういう意味?」
「あーもう。お前と話しているとペースが乱れる」
今度は両手で髪型が乱れるのも気にしない様子でくしゃくしゃにしてしまった大野。
「だったら、無理に話しかけなくてもいいんじゃないかな」
それは弘海の本心から出た言葉だった。
「まったくお前ってやつは……」
今度は分かりやすくうなだれてみせる大野。
「せっかく、お前の彼女について大事なことを教えてやろうと思ったのによ」
「……彼女?」
弘海にはまったく覚えがなかったから、とぼける意味は全くなく、そう答えた。
「はあ?お前の彼女は矢野。矢野未可子だろ!あんだけ常に一緒にいて、休日まで出掛けて、それは無理があるだろ!」
大野がなぜ、未可子と休日に出かけたりしているのを知っているかを少し疑問にも思ったけれど、そこに論点はないと思いすぐに考えを引っ込める。
そして、そのかわりにもう一つ引っかかった言葉のほうに標準を定める。
「俺と矢野さんは付き合ったりしているわけではないよ」
それはつい先日、未可子とも確認しあった内容であった。
お互いに即否定できたところをみるに、未可子が弘海に対して特別な感情を抱いているとは到底思えないし、弘海だってそうだ。
《《興味》》、という一点に置いては、尽きることがない相手ではあるが。
それとこれとはまた別の感情だと考える。
まだ恋をするとか、人を愛するとか、そんなことはわからないけれど。
「さすがにそれは無理あんだろ」
弘海は手に持っていた鉛筆をスケッチブックの上に置いてから答える。
「それは大野が邪推しているだけなんじゃないか?」
「《《じゃすい》》ってなんだよ?」
「こうあったら面白いとか、こうであってほしいとか、証拠もないのに言いがかりをつけることだよ」
そう弘海が説明をすると、大野はニヤリと口角を上げる。
「違うんだなーそれが。クライメイトならず、他クラスの奴ら、後輩たちだって噂してやがったぜ。
未可子先輩が似つかわしくない、不相応な相手と付き合っているってな」
弘海は少し考える。
確かにそうかもしれないと。
未可子と自分が付き合っているように見えいるのなら、そう見えてしまうのも仕方がないと。
だが、真実は違う。
お互いを観察対象として、依存しあっているだけなのだ。
そこには酸いも甘いも混在しない。
ひと言では説明することのできない複雑な関係ではあるが。
「だったら大野の方から訂正しておいてくれない?矢野さんと俺の間に特別な感情はないって」
「なんで俺がそんなめんどくさいことしなきゃならねえんだよ!なんやかんやお前と矢野には感謝していたから忠告してやろうと思ったのに」
そこまで言うと大野は大きく舌打ちをして、踵を返す。
「興がそげた。どうなっても知らんからな」
大野は踵を返すと、そのまま教室を出ていってしまった。
弘海としてはとくに追いかける理由もなかったから、スケッチブックに視線を落とした。




