触れなかった理由6
「とらの……お墓?」
未可子は吸い寄せられるように、近づいていく。
その間に弘海は、餌や水が見えないように自らの体で前方を塞ぐ。
「山川さんに聞いたところ、どうやら未希さんが作ったものらしいよ」
「お姉ちゃんが……?どうして」
きっと、未可子の中では複雑な感情が入り混じっている。
晩年には触れようとすらしなかった、最期の時には、見向きもしないで学校に向かっていった姉の後ろ姿がその脳裏に焼きついているはずだ。
そんな姉がお墓を作っていた。なんて聞いてもにわかには信じられないだろう。
だが事実、そこに《《お墓》》は存在している。
未可子には気を使う義理はあっても、未希に気を使う義理は弘海にはない。
もし、近くで聞いていたとしても……
「山川さんの証言では、とらが亡くなった日。未希さんは学校で取り乱すほどだったらしいよ」
「お姉ちゃんが……?」
未可子は困惑したような表情を浮かべ、お墓の前に座り込む。
そして、優しく墓石の頭を撫でた。
「とてもじゃないけど信じられないよ……」
未可子はしばらく無言で墓石を撫でたあとに、ポツリと呟く
「……お姉ちゃんも仮面を被って学校生活を送っていたのかな」
未可子は弘海とはまったく真逆の考えを口にした。なにせ、弘海が想定していたのは────
「未希さんも矢野さんみたいに仮面を被って過ごしていたのは間違いない……と思うよ。
でも、つねに被っていたわけじゃないと、俺は推測する」
「どういう意味?」
墓石の頭に右手を乗せたまま未可子が振り返る。
弘海を見つめるその顔には、仮面なんて存在していなくて、どこまでもまっすぐな瞳だった。
「山川さんから昔話を聞いていて、もしかしたらって思ったんだ。
矢野さんは人前で────未希さんは家族の前だけで仮面を被っていたんじゃないかな」
去年のタイムカプセルを掘り起こす時に聞いた、未希の人物像もそれならしっくりくる。
自己犠牲で人を助け、政治家の娘らしからぬ行動を取る。それが親への復讐心であったとしても、年相応の複雑な思いがあったのだと弘海は考えた。
「……」
未可子は何も答えることができないのか、少しうつむくと黙り込んでしまった。
その間、二人の間には時間の流れを歪めてしまうほどの重力が存在していた。
しばらくして未可子はひとつ頷くと、深呼吸をしてから口を開く。
「……そうだったんだね。だから、お姉ちゃんはとらに触らなかったんだ。
矢野家の娘として、強くあるために……」
未可子は柔らかな笑顔を浮かべていた。
でも、それは違う。弘海がたどり着いた答えは別にある。
「それも違うと思う。……ここから先は俺の勝手な想像になるけど」
「……どういうこと?」
未希がなぜ、最期の時に『とら』に触れなかったのか?弘海にはなんとなくわかるような気がした。
弘海だからこそわかったとも言える。
「触れてしまったら瞬間に物事が確定してしまうんだ。
未希さんはそれが、きっと怖かったんだ」
弘海は度々経験していた。
理解できないと思っていた表情でも、デッサンを進めていくうちに勝手に理解してしまう瞬間がある。
そうなることで、弘海の中にあった仮定が事実へと昇華してしまう。
理解したいけど、理解したくない。理解した瞬間にすべてが終わってしまう。
実態を伴うものか、抽象的なものなのかという点では差異はあるが、弘海にはそうは思えなかった。
「それって……お姉ちゃんは、とらの死を認めたくなかったってこと?」
「たぶんね」
「……そう、だったんだ。────私、ずっとお姉ちゃんのことを誤解していたのかもしれないね」
「あくまで俺の妄想でしかないけどね。未希さんは俺なんかよりもっと賢かっただろうし。
もっと深い理由があったのかもしれない。けど、今それを俺たちが知るすべはないよ」
未可子はしばらく曖昧な表情を浮かべて黙っていた。
そして、しばらくしてから独り言を呟くように言った。
「松川先生が弘海くんがお姉ちゃんに似てるって言ってた意味がわかったかもしれない」
「え?」
すぐに弘海が聞き返すと、未可子はまったく違うことを言った。
「ううん。ありがとう。弘海くんのおかげで、ずっと勘違いしていたお姉ちゃんの本質を知ることができた。
……この借りはいつかきっと返すから」
それに弘海は何も答えることができなかった。
無意識に空を見上げると、そこには夕焼け空が広がっていた。
ブルーインパルスも飛行機雲もどこにも存在していない。
『本当のことを聞き出したいのなら今すぐに周辺を探せば間に合うかも』なんて、口が裂けても言えなかった。
未可子という存在を守る為に、弘海は口をつぐんだのだ。




