触れなかった理由2
「小学校低学年の頃の話になるんだけどね、とらって名前の茶トラを飼っていたの。
お姉ちゃんには懐いていたんだけど、私にはあんまり懐かなかった。でも、とても可愛がっていたんだ」
未可子は昔を懐かしむように、薄っすらと笑みを浮かべて語る。そこにかつての仮面は存在していない。
「意外だね。矢野さんはそういうタイプだとは思わなかった」
未可子は不服そうに、頬を膨らませる。
「弘海くんにだけは言われたくないかな」
「それは失礼しました。で、続きは?」
「うん。とらはね、うちにきた時にはもうおじいちゃん猫だったみたいでね、飼い始めて二年くらいしてくると足腰が弱って、高いところに登れなくなった。
陽ちゃんに、もう覚悟しなきゃねって言われたけど、その当時の私にはよくわからなかった」
「小学校低学年なら仕方がないだろうね」
未可子は弘海の目を見て、頷いて答えると続ける。
「とらはなにかと鳴いてお願いをするの。登らせてくれとか、撫ろとかね。
それまではお姉ちゃんが一番世話をしていたのに、とらにあまり構わなくなったのはそのくらいからだった。
それでもトイレ掃除とか、餌をあげたりはしてくれてた」
「未希さんと手分けして世話をしていた感じなんだね」
弘海は以前、未可子の家庭状況を知る機会があった。
きっと、その時も家には父親も母親もいなかったんだろう。
「そう。でもね、別れの日は突然訪れた。いつものように朝起きて、とらのところに行ったら、もう冷たくなってた……」
「そうだったんだ。俺はペットを飼った経験がないから気持ちを理解することはできないけれど、それは辛かっただろうね」
弘海の言葉を聞いた瞬間、未可子の顔色が曇る。
その表情をみた瞬間、弘海の背筋に薄ら寒い何かが走った。弘海はおもいがけず前のめりになる。
「私と陽ちゃんは、冷たくなったとらを撫でたんだ。『頑張ったね』って。
私はそこで始めて《《死》》というものを理解した。
────でも、それよりも気になることがあったの」
「────なに?」
弘海は思わず喉を鳴らす。
「お姉ちゃんはそんなとらに、一切触れようとしなかった。
あんなに可愛がっていたのに、懐いていたのに。
ただ遠くからこっちを見てるだけだった。泣いてもいなかった。
……多分、あの時からだった。お姉ちゃんのことが怖いと思うようになったのは」
「未希さんは、一回も触れることはなかったの?」
「うん。お姉ちゃんは私より先に学校に行っちゃったから、一度も触れてない。
私が帰ってきた時には、もう、とらは居なくなってたし……」
きっと、未可子や未希がいない間に陽ちゃんが、弔ったのだろう。
低学年の未可子が、中学生の未希より早く帰ってくるのは普通に考えたら正しい。
つまり未希は、可愛がっていた猫の最後に立ち会わなかった。
未希という人物は、優しいようで優しくない。
スプーンでスープを掬おうと思ったら、握っていたのはフォークでスルリと抜けていくような奇妙な感覚。
なにか、理由があったのだろうか……?
何かを見落としているような気がするが、今の弘海になわからなかった。
「あれ!江間くんに未可子ちゃんじゃない。かなり久しぶりだね!」
振り返る。
考え込む弘海の思考に割り込んできたのは古賀だった。
古賀の背後には、タイムカプセルの開封の時に見かけた顔が数名……山川の姿もあった。




