幕間2
江間弘海は、休日だというのに、学校脇の公園へやってきていた。
早朝という事もあって、ラジオ体操をしている高齢者くらいしかいないが、その中に一人だけ見知っている人物の姿があった。
弘海が公園に到着したタイミングがちょうどラジオ体操が終わったタイミングと重なって、その人物は、仮面の笑顔を浮かべ、周囲の人たちに挨拶をしてから弘海に近づいてくる。
「遅刻してくるとはいい度胸だね」
「朝は苦手なんだ。勘弁してよ」
未可子は少し思案するような仕草を見せるが、それもすぐに瓦解する。仮面は崩れ去り、唐突に吹き出す。
「ククク。別にいいよ。弘海くんが真面目にラジオ体操してる姿なんか見ちゃったら一日笑い止まらなくなりそうだし」
「どういう意味だよ?」
「さあね」
未可子はどうとでも取れる曖昧な笑みを浮かべて弘海を誘う。
弘海が連れて行かれたのは、大野の喫煙事件で座ったことのあるベンチだった。
「弘海くん。紅葉を描きたいって言ってたからちょうどいいかなって思ったんだ」
「ああ」
いつかそんな会話をしたのかもしれない。
────たしか、大野が昇降口で騒いできる時だった。
「せっかくだから、矢野さんも一緒に描いてもいい?」
「未可子」
「えっ?」
「未可子でいいよ。いつまでも矢野さんじゃ、他人、いいところ、近所の顔見知り程度じゃない」
ここで弘海はふと、未可子の自分の呼び名を思い出す。『弘海くん』彼女は呼び捨てにしないまでもファーストネームで弘海のことを呼んでいたのだ。
今までは気にも留めていなかったことだけれど、弘海はそれを了承する。
「わかった。未可子。描いてもいい?」
「もちろん」
未可子は仮面を脱ぎ去った満面の笑みを浮かべ、公園の中央へ駆け出していく。
「どう!?ここなら映える?」
映えとか、そんなことは弘海は気にしたことがなかったけれど、構図から見てその位置なら、未可子が中心になれる。
「うん。バッチリだよ」
「オッケー!パパっと描いちゃってね」
「了解」
弘海はカバンから持ってきたスケッチブックを取り出し、スケッチを始める。
「ねえ、弘海くん。スマホ触っててもいい?」
「うーん、まあいいよ」
弘海は少し考えて、そのほうが未可子の自然体なのではないかと思った。
未可子は嬉しそうにポシェットからスマホを取り出す。
そこにはどこかで見たことがある《《キーホールダー》》がぶら下がっていた。
黄色くて丸い、少し先端が尖っているもの。
タイムカプセルの中に入っていた、未希が未可子に残したものだった。
なんだかんだ姉のことを慕っているんだなぁと弘海は思った。でもそれを変にからかったりはしなかった。
そのほうがいいと思ったからだ。
弘海は慎重に、時に大胆に描き込んでいく。
その間一切会話はない。
「ねえ、弘海くん」
「ん?なに?」
スケッチに集中したい弘海はけだるそうに返事をする。
「私、昨日の件で一つだけ分からないことがあるの?」
弘海は鉛筆を置いて、未可子の方へ顔を向ける。
「なにさ?」
「結局お姉ちゃんは何がしたかったんだろう?」
「何を言いたかったか?うーん」
弘海は三十秒ほど思案するが、それを放棄して顔を上げる。
「そんなの本人にしかわからないだろ」
未可子は一瞬だけ、頬を膨らませて不満を表して見せるが、次の瞬間には破裂した風船みたいに空気を抜くと、笑顔を浮かべる。
「そりゃそうだよね。私にだってわからないんだから」
一つだけ言えるのは、一つの感情だけで動いていたとは思えないことだけれど、弘海は口にはしなかった。
そのほうが未可子の為になると思ったからだ。
「続き描くからできるだけ動かないでよ」
「善処します!」
そこからしばらくして弘海は一枚の絵を描き上げる。
初めて、本来の未可子を描けたのではないかと思う。
でも、そこに達成感はなかった。
「どれどれ見せて!」
完成したと知り、未可子が駆け寄ってくるが、すぐに顔を曇らせる。
「なにこれ、私の顔黒塗りじゃん」
「今の俺にはこれが精一杯なんだ」
弘海は気がついてしまった。今まで未可子を描けなかったのは、未可子が未希という仮面を演じていたから。
「ふーん」
「嫌な気持ちにさせてたのならごめんね」
「別に。最初もそうだったじゃない」
「言われてみればそうだったね。でも、次があれば今度はうまく描いてみせるよ」
「ふーん。期待してるよ。オラホの街のダ・ヴィンチさん」
未可子がどういう意味で言ったのかはわからない。でも弘海はそれに黙ってうなづいた。
きっと次に未可子を描こうと思う頃には、仮初めの未希としてではなく、未可子として成長した姿を見せてくれると思ったから。




