仮面の綻び18
「未希がその原稿を俺のところに持ってきたのはスピーチが行われる前の週末だった」
未可子と弘海の間に腰を下ろした松川が語り始める。
未可子は前傾姿勢になって耳を傾ける。
弘海はといえば、少し二人からは距離を置いて、話に入り込みすぎないように斜めに座り直した。
「俺が持ってくるように指示をしていたんだけどな。お前たちも読んだからわかるだろうが、それは、とても表に出せるような代物ではなかった」
「どうして!それじゃあ姉の気持ちはどうなっちゃうんですか!?」
立ち上がり、松川に食ってかかる未可子を弘海は抑える。
「矢野さん。感情的になっても仕方がないよ。もうすでに終わってしまったことなんだ。冷静に聞こう」
「で、でも……」
「怒りたいのなら、すべて聴き終わってから怒ればいいよ。ね、先生、そのほうが建設的ですよね?」
松川は苦笑いを浮かべつつ、一つ頷き、ぽつりと呟く。
「矢野より、江間のほうが未希に似ているな……」
未可子は「えっ?」と疑問の声を浮かべるが、それは木枯らし一番によってかき消された。
「続きをどうぞ」
「……ああ。
未希と親御さんとの関係がうまくいっていないことは知っていた。
だからこそあの原稿を持ってきたことも理解していた。表に出すことはできなかった。
未希と親御さんの関係性を守るためにも」
弘海は注意深く松川の様子を観察するが、嘘をついている予兆は感じられない。これは本心から語られている言葉だ。
「……なるほど。では、どうして未希さんは沈黙を選んだのでしょう?」
松川は視線をあげ、校庭ではしゃぐ、かつての教え子たちを一瞥してから口を開く。
「仲間を守るため……だろうな。俺が用意した原稿が気に入らなかった可能性もあるが。未希は俺なんかよりよっぽど優秀だったからな」
「仲間を守る。……国会議事堂でのスマホ事件のことですか?」
そう弘海が口にした途端、松川は目を見開く。
「なぜ、それを知っている!?」
「古賀さんと山川さん、高橋さんが教えてくれました」
実際のところ、彼女たちが口にしたわけではない。
あくまで弘海が状況と、彼らの動揺から推測したに過ぎない話……だったが、今、それは確信に変わった。
「まったく、アイツらは……」
松川はバツが悪そうに、後頭部をカリカリと掻いた。
ふと弘海は閃く。
この短い会話の中に矛盾を感じることを。
松川は教師であり、生徒を監視する立場にある。
……それなのに、スマホを隠したことを黙認した。
いいや。それはない。
たまに、行き過ぎた正義感を見せる、松川の姿は今まで何度も見てきた。
それは、未可子だって何度も目撃しているはずだ。
そんな松川が、生徒が誤った行動を起こしていることを見逃すとは思えない。
未希が起こした非常ボタン事件は、山川がスマホを回収するために未希に懇願して起こしたものだが……
喉元まで出かかっているのに、弘海の頭ではそこまでが限界だった。
かくなる上は、松川を揺さぶって動揺から読み解く他ない。
「……松川先生。あなたはスマホの持ち込みを黙認したんですか?修学旅行中は持ち込みを禁止されていたと証言も得ているのですが」
「……」
松川は曖昧な表情を浮かべ、口をパクパクと動かす。自我と良心、教師としての責務がせめぎ合っているのが手に取るようにわかった。
「……わかりました。気が付かなかったんですね。彼らがスマホを持ち込んでいたことに。それも金属探知機を恐れて、国会議事堂の入り口付近に隠していたなんて」
「……」
松川は何も答えなかった。
無言は肯定と同義。
違うのならば否定すれば良いだけの話。それなのに松川はそうしなかった。
つまり、松川は山川たちがスマホを隠していたのには気がついた。でも、それを指摘できない環境に置かれていた。
となると────
「……なるほど。話が見えてきましたよ。どうして、俺のことを脅してまで未希さんとの過去を探らせようとしなかったのか」
「ど、どういうこと!?」
静観していた未可子が声を上げる。
そこにいる少女の顔には、仮面の痕跡すら残っていない。生身の少女の困惑顔だった。
「松川先生。あなた、未希さんを利用しましたね?」
松川の肩がピクリと跳ねる。
「スマホを国会議事堂内に隠した生徒がいたなんて知れたら松川先生の責任問題になる。
それなのに、そんな話は一切でていませんでした。
それどころかスマホの持ち込み事件があったことすら知らない人もいた」
「……」
松川の呼吸が浅くなっているように感じた。
運動をしたわけでもないのに、肩が大きく上下している。
「未希さんが非常ボタンを押した後に、松川先生、あなたはスマホを回収しに向かう生徒に気がついた。
でも、それより大きな事件が目の前で起こっているせいで、あなたはその場で生徒を咎めることができなかった。違いますか?」
「そんな証拠どこにもないだろう。あとから生徒たちから聞かされたのかもしれない」
「それはないと思います」
「どうして、そう思う?」
松川の鼻の穴がピクピクと動いている。興奮しているのだろうか?
「古賀さんは過去にこう言っていました。
『松川先生が急に移動になったから会うことができなかった』と」
細かいニュアンスは違うと思うが、大筋は合っていると思う。
「だから、どうした?」
「厳しい松川先生です。その当時に冗談でもスマホを持ち込んでいた、なんて生徒が言えるはずがないんですよ」
そう言って未可子の方を見ると、弘海から大きく視線を逸らした。
それが答えだった。親の後ろ盾がある未可子でさえこうなのだ。何も後ろ盾がない生徒が在校時に口にできるはずがない。
「つまり、その当時、先生に自らの否を打ち明けた生徒はいなかったはずです。
それならどこでスマホの持ち込みを知り得たのでしょう?」
弘海は右手の中指を突き出し、一つ深呼吸をしてから続けて言った。
「……答えは一つです。前述したとおり、未希さんが非常ボタンを押してパニックになっているさなかスマホを回収しにいく生徒たちを発見。
それを未希さんにすべて押しつけたんだ。それが未希さんがスピーチで沈黙を貫いた理由だったんですね?」
松川は分かりやすく狼狽えていた。右手が小刻みに震えているのだ。
「それと、未希のスピーチとは何も関係はない」
「松川先生。今、嘘をつきましたね?」
微妙な声のトーンの変化であったが、それを弘海は見逃さない。ほんの僅かだが、声が上ずっていた。
「……」
松川は言い返してはこずにただ弘海のことを睨みつけるだけだった。
でも、それは決して威圧ではなく、恐れをなしてそうしているのだと弘海は理解する。
「もしかして、松川先生は未希さんにこう言ったんじゃないですか?『山川のスマホの件は黙っておいてやるから、この原稿を読め』と」
弘海なりの最大のハッタリだった。
証拠もなければ証言すらない。
当時を知りうる人物は、松川と未希しかいないのだから。
「未希さんは変わり者だけど優しい人物だったと伺っています。
親友を守れるのなら、簡単に話に乗ってくるはずです。なにせ、最高立法府で親友を守る為に非常ボタンを押してしまうくらいなのですから」
「……」
松川は両ひざに肘をつき、その間に顔を埋めるようにして、俯いてしまった。
しばらく待ってみても動き出す気配はない。
その姿を見て弘海は理解する。すべて自分が言い当ててしまったのだと。
でも、不思議と何も嬉しくなかった。なんの感情もわかなかった。
弘海が描きあげた、真実という名のスケッチはあまりに虚しかった。
「……矢野さん。まだ続ける?」
弘海が未可子にそう問いかけると、静かに首を左右に振った。
未可子も理解したのだ。弘海が解き明かしたことがすべて真実だと。これ以上追い詰めてもなんの意味もないということを。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
弘海も未可子も松川に声をかけることはしなかった。
先輩たちの誰にも声をかけることなく、二人は学校を後にした。




