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矢野未可子の顔は黒く塗りつぶすしかない  作者: さいだー
仮面の綻び

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仮面の綻び17

「これって、原稿ですよね。

 ────無言を貫いたって聞いた、姉の辞任挨拶の」


 未可子は大事なおもちゃを取られまいと抵抗する子供のように、原稿用紙を胸元に抱え込む。


 松川は、未可子の胸元に一瞬だけ視線を落としてから答える。


「……ああ。そうだ」


「……原稿があったのに、なぜ姉は一言も話さなかったんでしょう?……まさか、それに先生が関わっているんですか?」


 未可子の声は震えていた。何を恐れているというのだろうか。弘海にはわからなかった。


「俺が止めたからだ。まさか、その原稿が残っていたなんてな」


 松川の返事を聞いて、未可子は目を見開く。


「どうして、そんなことをしたんですか!?」


 普段の落ち着いた口調とは違い、そこには仮面を脱ぎ捨てた本来の未可子が、弘海の知らない少女がいた。


 どうして未可子は怒っているのだろう?

 自らと未希を重ね合わせたから?

 それとも────


「俺の身の保身のためだ。仕方がなかったんだ」


「どうして、姉のスピーチを止めることが先生を守ることになるんですか!?」


 松川は苦笑いを浮かべると、顎のヒゲを左手で触って曖昧な返事をした。


「今はまだ、わからないだろうな。お前たちも大人になればわかる」


「大人も子供も関係ないと思います!」


 激昂する未可子は松川の元へ一歩、歩み寄る。


「どうしてそんなことをしたのか、答えてください!姉の気持ちをどうして隠そうとしたんですか!?」


 弘海は蚊帳の外だ。

 いったいなんの話をしているのかさえわからなかった。


「……それが、本意だったからこそ隠したんだ」


 松川の返答を聞いて、未可子は言葉を飲み込むように俯いてから、顔を上げる。

 そして、強い口調でまくし立てた。


「《《これが》》姉の本意だと先生も思っていたんですね!

 だったらなおさら隠す必要なんてなかったんじゃないですか!違いますか!?」


「壊れてしまったら、どうしようもなくなることってのがあるんだ」


「……教育委員会に強い影響力を持つ父を恐れたんだ。きっとそうだ!」


「……」


 松川は何も答えなかった。

 未可子からも、弘海からも視線を外してずっと遠くの空を見上げた。


 そこには秋の空に一段と輝くまん丸の月が浮かんでいた。


 弘海は違和感を感じていた。

 どうも未可子と松川の間には、燃え盛るマグマと凍てつく氷河ほどの温度差がある。


 同じことを語り合っているはずなのに、どうしてここまでの温度差が生じるのか……


 月を見つめる松川の目の奥には、月は映っていない。暗い闇が潜んでいるような気がした。


「先生。もしかして、なにか隠していることがあるんじゃないですか?」

 

 松川の目が泳いだことを弘海は見逃さなかった。

 なにかを隠していることは間違いないと弘海は確信する。


「さあな。隠してたとして、なんらこの話について影響はないさ」


 果たしてそうだろうか?弘海は考える。

 ここ最近見聞きしたことを、なにか松川に関連する話で綻びのようなものは存在しなかったかと……?


 ここでふと、弘海の脳裏に古賀と松川の職員室での会話。


 『そうだよね。ひっさしぶり。だって先生、急に転任になってて高校の制服見せびらかせに来たのにいなかったんだもん!』


 弘海が引っかかったのは、『急に転任になっていた』の部分。


 直前に未可子が言った、父親が教育委員会に対する強い影響力を持っていると言うのも気になる。


 松川が未希の辞任挨拶を闇に葬ることによって、身の保身になるのはどのパターンなのか。

 

 そこまで考えたところで、弘海は自分に推理力がないことを思い出す。


 かくなる上は────


「未希さんが卒業と同時に転任になったのって、突然決まったものなんですか?

 ……それとも、在校生にも言えないような理由ですでに決まっていたものだったんですか?」


「……それとこれとは関係ない。何年か同じ学校にいると移動になるもんなんだよ。公立校の教師ってのは」


 松川の口調はいつもよりかなり早口だった。

 


「そうですか。矢野さんのお父さん。県議会議員から圧力があったのは事実ですか?」


「そんなこと、答える必要もない」


 秋も晩秋。この時期になればマフラーを巻いたりコートを着込んでも震えるほどなのに、松川の額からは大粒の汗が流れていた。


「弘海くん。さっきから何を話しているの!?私と松川先生が話すのを邪魔しないで!」


 未可子の怒りは弘海にも向けられる。

 まあそれも無理もない。きっと混乱しているんだ。冷静な未可子らしくない。


「矢野さん。もう少しだけ、俺に時間をくれないかな……?もう少しで真実が見えてきそうなんだ」


 足りないピースが埋まっていく感覚は確かにある。

 でも、あと一つ何かが足りない。

 決定的な何かが……


『江間、矢野のためにも未希のことを探るのはやめておけ。

 きっとろくなことにならない。過去に葬られたことを掘り起こすこともない。ミイラの墓であるピラミッドを掘り起こして暴こうとするようなものだ』


 ふと松川とのトイレでのやりとりを思い出す。

 未可子の為にもならないとはどういう意味なんだろうか?


 姉の気持ちを理解して、未可子にどんな不利益が生じると言うのだろう……?


「先生。以前、未希さんのことを探るのを辞めろと忠告をしてきましたね。あれはどういう意味なのでしょう?」


 松川は不快感を表すように眉根を寄せる。


 「掴まれた胸ぐら、痛かったなー。今でも恐怖で夢に見るんですよ。矢野さんのお父さんに頼んで教育委員会に訴えたらどうなるんでしょうね?」


 松川は右手を額に当て、目を瞑る。

 そして少したってから口を開いた。


「……そ、それは勘弁してくれ。俺には嫁もいれば子供もいるんだ」

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