表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界譚ー復讐 砕けた角の鬼人族は、世界の創造主に拾われ「死より過酷な修行」の果てに怪物となる  作者: もちもち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/24

一息ついて

 医務室の扉を潜った、その瞬間のことだった。


 「レイチェル――っ!!」


 突風のような勢いで飛び込んできた茶色の影が、私の身体を正面から思いきり抱きしめてきた。ライアだ。

 「ふぎゅっ……!?」

 丸二日眠り続け、バネッサ先生に手荒な治療を受けたばかりの身体に、野生児の全力の質量がのしかかる。みしり、と骨が鳴るような音がした。

 「あ、頭が割れるように痛かったのに、今度は身体が割れる……。ライア、力、入れすぎ……っ」

 「ライア! 病み上がりの患者に何て真似をするのよ!」


 すかさず、後ろから凛とした声が響き、ライアの獣耳がぴくっと跳ねた。セシリアが、ライアの襟首を器用に掴んで引き剥がす。

 「あぅ……だって、心配だったんだぞ! レイチェルの魔力が消えかけたって聞いて、アタシ……」

 「気持ちは分かるけれど、加減を覚えなさい。……でも、本当に無事でよかったわ、レイチェル」


 セシリアはいつも通りのすました顔を崩さなかったが、その切れ長の瞳が微かに潤んでいるのを、私は見逃さなかった。

 「みんな、心配かけてごめんね。でも、バネッサ先生も一応太鼓判を押してくれたから、もう大丈夫だよ!」

 私の後ろから顔を出した木葉が、場を和ませるように明るく笑う。二日間、必死に看病してくれた彼女の笑顔に、セシリアもライアも完全に安堵したようだった。


 「……心配をかけた。みんな、ありがとう」


 私は首元に新しく巻いた包帯――『深紅の獣の顎』を隠すためのそれをそっと指でなぞりながら、大切な仲間たちへ短く感謝を告げた。





 一時間後。私たちは学園都市の喧騒から少し離れた、緑豊かなテラス席にいた。

 戦闘訓練の凄惨な結果を受け、学園はクラスの再編に向けて大混乱の真っ只中にある。授業が数日間休みになった私たちは、木葉の発案で「レイチェルの退院祝い」を兼ねたお茶会を開くことにしたのだ。


 「それにしてもさ! あの時のレイチェル、本当に最高に格好よかったんだぞ!」


 注文した肉料理に豪快にかぶりつきながら、ライアが身振り手振りを交えて大興奮で語り出す。

 「前線が崩れて、アタシですら『もうダメか』って思った瞬間さ、レイチェルがバッて跳んでさ! サソリの殻の隙間に、ドゴォォォンッて拳を叩き込んだんだ!」

 「……あまり大声で騒ぐんじゃないわよ、ライア。周囲の迷惑でしょう」

 セシリアが呆れたようにハーブティーをすすりながら窘めるが、彼女もまた、どこか誇らしげに胸を張る。

 「でも、ライアの言う通りよ。あのジャイアントメタルスコーピオンの強固な甲殻を、純粋な打撃だけで撃ち破るなんて、常識では考えられないわ。一組を救ったのは、間違いなくあなたのその拳よ、レイチェル」


 「うんうん! レオンハルト君も『あいつのおかげで生き残ることができた』って、めちゃくちゃ褒めてたよ!」

 木葉も嬉しそうに頷く。

 仲間たちからの惜しみない賞賛。しかし、私はそれをどこか遠いことのように聞きながら、目の前に置かれた「未知の物体」を凝視していた。


 白い陶器の器に盛られた、山盛りの生クリームとチョコレート。鮮やかな赤いベリーが散りばめられた、美しくも妖艶なタルト。

 地獄の修行時代、ゾシモスからは泥水と干し肉、そして魔獣の生血しか与えられてこなかった。聖王国に行った時も、師匠は私にパフェを一口も食べさせてくれなかった。

 私にとって、これほど「甘美な彩り」を持つ食べ物は人生で初めてだった。


 「……これが、スイーツ」

 「そうだよ! チョコレートパフェとベリーのタルト。女の子はね、こういう甘いものを食べると元気が出るんだから!」


 木葉に促されるまま、私はフォークを手に取り、タルトの端を小さく切り取って口に運んだ。


 「っ――」


 脳天を突き抜けるような、強烈な衝撃だった。

 カカオの濃厚な苦味を包み込む、暴力的とも言える砂糖の甘み。それを追いかけるように、ベリーの瑞々しい酸味が舌の上ではじける。美味い。美味すぎる。これは本当に、この世の食べ物なのだろうか。


 「……っ!」

 その瞬間、私の身体の「スイッチ」が入った。


 カチャカチャカチャカチャッ!!


 「えっ」

 木葉の短い悲鳴のような声が響く。

私の表情は無表情のままだ。視線もタルトから一切動かない。しかし、フォークを持 つ右手だけが、先ほどライアが熱弁していたサソリ戦の時以上の、恐るべき神速と正確さで空間を切り裂き始めた。


 パクッ、モグモグ、ゴクン。パクッ、モグモグ、ゴクン。


 一瞬だった。本当に、まばたきをするような一瞬の間に、大皿に乗っていたベリーのタルトが、まるで最初から存在していなかったかのように消滅した。

 私のフォークは止まらない。間髪入れずに、隣にそびえ立つチョコレートパフェの山へと突き立てられる。白いクリームの山が、ブラックホールに吸い込まれるように私の口内へと消えていく。


 「ちょ、ちょっと、レイチェルちゃん!?」

 木葉が椅子から立ち上がりかけるほど目を見開いている。

 「な、何あの速度……!? エルフの動体視力でも、フォークの軌道が残像にしか見えなかったわよ……!」

 セシリアがハーブティーを飲むのをやめ、ライアにいたっては口に肉を咥えたまま固まっていた。


 最後の一口を綺麗に飲み込み、パフェのグラスが完全に空になる。

 私はふぅ、と小さく息を吐き、口元をナプキンで拭ってから、初めて木葉たちに視線を戻した。

 「……ごちそうさま。とても、美味しかった」


 静まり返るテラス席。数秒の沈黙の後、木葉がふっと表情を緩め、お母さんのような温かい微笑みを浮かべた。

 「ふふっ……! そんなに気に入ってくれたなら、頑張って選んだ甲斐があったよ。店員さーん! この子に、お代わりのチョコレートケーキとプリンをください!」

 「……え、いいの?」

 「もちろん! 今日はレイチェルちゃんのお祝いなんだから、お腹いっぱい食べなきゃダメだよ」


 「……ありがとう、木葉」

 私は心からの言葉を口にする。運ばれてきた新しいケーキを、今度は少しだけ速度を落として、大切に味わうことにした。


 「本当に、相変わらず底が知れないわね、あなたは」

 セシリアがクスリと笑いながら、新しく淹れ直されたお茶をゆっくりと口にする。

 「ガハハ! 食べる速度も一級品だな! アタシも負けてらんねえぞ!」

 ライアも再び肉を頬張り始め、テラス席にはいつもの、賑やかで温かい空気が戻ってきた。


 吹き抜ける風は心地よく、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。

 これから始まるクラスの再編、そしていつか対峙しなければならない仇敵ヴァラガスの影。私の首筋に刻まれた紋様は、確かに冷たく脈打っている。


 けれど、今だけは。

 この温かい平穏の光の中で、私は仲間たちと共に、ただ静かに甘いケーキを口に運んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ