刻まれた顎
見覚えのない、白い天井だった。
鼻を突くツンとした消毒液の匂いと、微かに漂うお香のような甘い魔力の残滓。
「……う、あ」
かすれた声を出した瞬間、全身に鋭い痛みが走る。魔力回路が一度焼き切れたかのように内側が熱く、そして重い。
「あ、目が覚めた!? 動いちゃダメだよ、レイチェルちゃん!」
視界に飛び込んできたのは、涙目で私の顔を覗き込む金髪の少女――ルームメイトであり、聖女の勇者候補でもある山本木葉だった。その手からは、今も温かい治癒の光が放たれ、私の胸元へと注がれている。
「私……生きて、いるの?」
「うん……! あの後、レオンハルト君たちがレイチェルちゃんをここまで運んできてくれたの。魔力欠乏と過剰に魔力を使った影響で、丸二日も眠ったままだったんだから」
木葉は本当に心配していたようで、ボロボロと大粒の涙をこぼした。聖女としての高い素質を持つ彼女が、二日間も付きっきりで魔力を注ぎ続けてくれたのだろう。そうでなければ、私の身体は内側から崩壊していたはずだ。
「それにしても……本当に無茶苦茶だよ」
部屋の奥、影に溶け込むように佇んでいた人影が、硬質な声を響かせた。
白衣を乱暴に羽織り、紫煙を燻らせる女性。この学園の特別医療教官であり、カルミナの同僚でもある魔導医師、バネッサだった。
「ジャイアントメタルスコーピオンを『素手』で粉砕した鬼人族の小娘、か。運ばれてきたときは魔力核がひび割れて呪いが逆流してた。普通の人間なら、一秒と持たずに肉体が融解しているレベルさね」
バネッサは琥珀色の瞳で、値踏みするように私を凝視する。
「あんたの身体、何が起きてる? ただの鬼人族の血じゃない。その、首のやつさ」
「首……?」
木葉が気まずそうに視線を落とし、小さな手鏡を私に差し出してきた。
「……鏡、見てみて。私の回復魔術でも、それだけはどうしても消せなくて」
受け取った鏡を、自分の首筋に向ける。
「っ――」
息が止まった。
そこには、サソリ戦の最後に放った「深紅の炎」がそのままこびりついたかのような、鮮烈な赤の紋様が刻まれていた。
まるで、後ろから不気味な巨大な獣が、私の首を牙で噛みちぎろうと顎を開いているかのようなデザイン。
指先で触れると、皮膚の奥でドクドクと、私の心臓とは全く違う歪なテンポで脈打っているのが分かった。
「呪い……いや、進化の兆候だね」
バネッサが煙草の灰を落としながら、冷酷に告げる。
「サソリの魔力核を汚染したあんたの『濁った魔力』が、肉体に定着したんだ。私の力で強制的に分離してもいいが、ゾシモスから止められていてな。あんたはあの戦いで、完全に人間としての領域を一歩踏み出した。これ以上その力を解放すれば、次は本当に戻れなくなるよ」
人間を、辞める。
鏡に映る深紅の顎を見つめながら、私は静かに拳を握りしめた。
(……構わない。あの男を殺せるなら、化け物にでも何にでもなってやる)
「あ、あの! バネッサ先生、もうそのくらいにしてください!」
緊迫した空気を破るように、木葉が慌てて間に割って入った。
「レイチェルちゃんは私を、みんなを助けてくれたんです! 化け物なんかじゃありません! ……ほら、レイチェルちゃん、お腹空いてるでしょ? セシリアちゃんもライアちゃんも、外でずっと待ってるんだから!」
「チッ……お優しい聖女様だこと。まぁいいさ、一応退院の許可は出してやる。ただし、今回の戦闘訓練でどのクラスも死にすぎた。近々、クラスの大規模な『再編』がある。それまでは授業も休みだ。せいぜい、いつ死んでもいいよう後悔しないようにしときな」
バネッサの言葉を背に、私は木葉に引っ張られるようにして医務室を後にした。




