ルチウス(その3)【scene10】
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どの国でも、大きな盛り場は夜が更けても活気にあふれているものだ。トランボ王国でも例外でなく、城下の酒場は、大勢の人びとで溢れかえっていた。誰もが、今日の締めくくりとして、酒で盛り上がろうとしている。誰もが大声で笑い、肩を叩き合い、そして杯を交わし合う。ただそれだけの繰り返しだが、彼らは飽きることなく、その時間を楽しんでいた。店から少し離れた建物の陰から、店の様子をうかがっているふたりの男以外は。
ふたりの男は、トランボ王国の城から、ある男を尾行している者だった。店にはルチウスがいるのだ。
「あはは、兄ちゃん、飲んでいるか!」
ひとりの酔っぱらいが、ルチウスの肩を叩いてきた。ここ数日、店を通っている間に親しくなった男だ。ゲールだという。姓なのか名なのかはわからない。
「やぁ、ゲール。先にやっているよ」
ルチウスはグラスをあげて応えた。ゲールはルチウスの隣にどっかりと座った。ゲールは、隣に座っているのが一国の王子であると知らないのだ。
「いやぁ、あんたと飲んでると楽しいんだ。今日も一緒にやっていいだろ?」
「楽しい? そう言ってくれるのは嬉しいが、どうせ何杯かおごって欲しいだけだろ?」
「はっはっは! お見通しか!」
ゲールは腹を揺すらせながら大口を開けて笑った。年齢は50歳を過ぎたあたりか。顔の輪郭も体型もあいまいと言えるぐらいに丸くなっていた。特に腹のあたりは酒を詰めた革袋のようだ。
「ゲール、あんたにはこれをやるよ」
ルチウスは懐から酒瓶をひとつ取りだして渡した。ゲールは、ややとろんとした目で受け取ったが、酒瓶のラベルを見て顔つきが変わった。
「『天使のしずく』! これは『天使のしずく』じゃねぇか!」
酒好きの彼であれば、これがどれほど高級なのか充分に知っている。彼の収入では、とても手に入れられないものだ。何せ、彼の3か月分の収入と同額なのだから。
「ほ、ほ、本当にくれるのか? う、ウソじゃないだろうな?」
酔いのせいだけでなく、興奮でうまく呂律が回らない。
「ウソじゃないさ。中身も本物さ。実はさ、これもあるんだ」
ルチウスはさらに別の瓶も取り出してみせた。ゲールの目がみるみる丸くなる。
「そ、そ、それは『神々の賛歌』! ほ、本当か、おい。これは貴族でもなかなか手に入れられない逸品だって聞いているぞ!」
それに、価格は俺の年収と同額だ。ゲールは心の中でつぶやいた。こんな若者が、どうやってこれを手に入れられたと言うのだ?
「飲んでみたいか?」
ルチウスが瓶をぶらぶらさせながら尋ねた。
ゲールはルチウスに手を伸ばしかけた。「そ、そりゃあ……」
「だが、ダメだ。これは、すぐには飲ませられない」
ルチウスは瓶をふところに戻してしまった。
「な、なんだよ、そりゃあ。見せるだけかよ……」
ゲールはがっかりした声を出したが、急に真顔になった。「すぐには飲ませられない……?」
ルチウスはにやりと笑った。こいつ、酔っぱらいにしては、頭の回転がいいじゃないか。
「ああ、こちらの逸品は、俺の頼みごとを聞いてくれた時のお礼にやるよ」
ゲールは手にしている『天使のしずく』に視線を向けた。
「つまり……、これは、手付けってことか……」
「察しがいいな。それは前払いってやつだ。そして、残りがこいつってわけさ」
ルチウスは再び『神々の賛歌』の瓶をふところからのぞかせた。
「ど、どんなことを頼みたいって言うんだ?」
ゲールはおどおどしながら尋ねた。こんな気前のいい話には絶対ウラがある。それもとんでもないウラが。しかし、酒への誘惑は抗いがたいものだった。ゲールは話だけでも聞いておこうと考えたのだ。
「まぁ、そんなに構えるなよ」
ルチウスはゲールの肩に自分の腕を回した。
「頼みたいのは、ほんのちょっとしたことさ……」
翌朝、ルチウスが王立大学の構内を歩いていると、廊下の角から、「殿下。ルチウス殿下……」と声が聞こえる。角から顔をのぞかせているのはアルデだ。
ルチウスはすばやく左右に視線を巡らせ、足早にアルデに近づいた。
「どうだ?」
ルチウスは簡潔に尋ねた。アルデはこくこくとうなずく。
「いっさいの滞りなく。今朝、ゲールという男にも会いました。殿下、あんな下賤の者も仲間にお加えなさるので?」
「いいか。君のために言っておく」
ルチウスはアルデに顔を近づけて囁くように言った。たしかに、ゲールは一般市民だが、「下賤」扱いするつもりはない。ただ、自分の本当の考えを話すより、アルデにとって理解しやすい話で納得させるほうがやりやすい。
「この件は、君が関与していることが知られてはいけないんだ。君はこの間、俺に漏らしてはいけない話を漏らしていないし、今度の一件にも無関係だ。君の今後に悪影響を及ぼさないためには、どうしなければならないか、君ならわかるよね?」
アルデは、ルチウスに魔族侵攻の件を漏らした事実を伏せてもらうために、今回の計画の片棒を担がされているのだった。監視の目がついているルチウスより、アルデのほうが自由に動ける。ルチウスに対して後ろめたい思いをしているアルデは、ルチウスにとって好都合な人物だった。
「な、なるほど……。不都合な話は、その下賤の者が引っ被ってくれる……ということですね?」
本当は、そんなことをするつもりはないが、そう思わせたほうが、この男は言うことを聞くだろう。ルチウスはアルデにうなずいてみせた。
「それで君は安全だ」
アルデは安心したように深い息を吐いた。
「では、手配を急いでくれ。俺のほうも、もうすぐ計画を実行に移すつもりだ」
「か、かしこまりました」
アルデは慌ててお辞儀をした。ルチウスはその場を立ち去った。
ルチウスはその日も午前様で城に戻ってきた。ここ数日はずっとその調子だ。城内の者たちは、国のことを知った王子が、やけ酒で憂さを晴らしていると思ったようだった。ルチウスのだらけたように見える行動に、誰も苦言を呈することはなかった。トランボ国王もルチウスに対しては無言を貫いていた。
ルチウスは酔いで重くなった頭をふらふらさせながら闇の中でベッドを探して潜り込んだ。しかし、彼はすぐに起き上がった。バルコニーから見慣れた影が立っていたからだ。
「部屋に入らないのか?」
ルチウスに促されて、影は部屋に入ってきた。「酔ってないの?」
「少しはね。でも、まともな会話ができないほどではないよ」
ルチウスの優しい声に、影は遠慮がちながらもベッドに近づいた。「もうすぐ出て行くの?」
ルチウスは影に目を向けた。暗がりのために表情はわからないが、アーニャの声に寂しさの情が感じられたからだ。ルチウスは影に向かってうなずいてみせた。
「ああ、もうすぐだ」
「そう」
「まぁ、こんなことしでかして、さらに死ぬことにでもなれば、俺は本当に馬鹿野郎だよな。そうなったら、せいぜい嗤ってくれ」
「しないわよ、そんな趣味の悪い」
今度はすねたような声が返ってくる。そして、すぐに尋ねる声が聞こえた。
「死ぬって、どこへ行く気なの?」
「戦場に行く」
「どうやって?」
「実は、王都でね、義勇兵を募ることになっているそうだ。俺はその義勇兵団に入って、一兵士として戦うのさ」
ルチウスは正直に答えた。アーニャはこのことを周りに話したりはしないと信じていた。
「一兵士としてって、それでいいの? 一番危険なことをさせられたりするかもしれないのよ」
「戦場で死ぬのは、強いだの、弱いだの、ましてや王族だの一般民だのは関係ない。死ぬ者は死ぬべくして死ぬ。それだけさ。もし、俺が戦死することがあれば、俺はしょせんそこまでの男だったということだ。君は俺を見極めると言った。俺は俺なりのやり方でおれ自身を見極めるよ。王の血を引くにふさわしい男なのかどうかってね」
「そんな理由のために戦うの?」
「もちろん、理由は別にある。でもね、今のままでは俺は自分を許せない。俺は父上から、王族とは民を守る盾として存在するのだと教えられて育ってきた。もし、盾として力を振るうのだとすれば、今がそのときさ。それなのに、俺はギデオンフェルの誰よりも安全なところで守られている。それで何が王族だってことだよ。俺は自分の誇りと、使命のためにも戦うんだ」
「そう……」
つぶやくアーニャの声は小さかった。
「何だよ。君だって、安全なところで、ただ守られている俺なんてくだらないと思うだろ? それこそ、未来の夫としては落第だろう?」
「私の言ったことで命を懸ける気なの?」
ルチウスは首を振った。「君に何も言われなくたって、俺は命を懸けているさ。俺はそういう男だよ」
影が揺れ動いた。アーニャはきびすを返して、バルコニーへと戻ったのだ。無言で扉を開くと振り返った。
「簡単に死なないことね。つまらない死に方をしたら、本当にバカみたいだから」
セリフだけはアーニャらしいが、声が震えていた。まるで泣いているようだ。
「元気で」ルチウスは影に向かって微笑んだ。
明くる朝、ルチウスの元に故郷であるギデオンフェル王国から手紙が届いた。送り主は王妃である。彼はさっそく封を切り、中の手紙を読んだ。手紙には相変わらずのことしか書かれていなかった。つまり、父である国王も王妃も健やかで元気であること、国は平穏であること、勉学に励んでほしいこと、そして、長い手紙を返してほしいとのことだった。魔侯の侵攻に関することも、父の病状に関することもまったく記されていなかった。王妃もまた、ルチウスを心配させまいと真実を伏せていたのだ。予想通りであるが、彼にはそれで十分だった。必要なのは、王妃から届いたこの封筒、王妃が自分あてに手紙を届けたという事実を、トランボ国王が把握していることだったから。
ルチウスは王妃からの手紙を自分が普段使う机の引き出しの奥に仕舞った。替わりに一枚の手紙を取り出す。入念に母の筆跡を真似たものだ。彼はそれを先ほどの封筒に入れた。それから、真面目くさった表情でトランボ国王の謁見の間へ向かった。
ルチウスを迎え入れたトランボ国王は、ルチウスが差し出す封筒を見て表情を曇らせた。ルチウスの表情からも、良くない報せがもたらされたと想像されたのだ。
手紙を広げる国王の前で、ルチウスは周囲に聞こえるように説明した。母からの手紙には、父である国王の病状が思わしくないこと、そのことを父が思い悩んでいること、ついては、1日だけでも良いから国へ帰って、父を励ましてほしい旨が記されているのだと。
「王妃殿下が……?」
これまでルチウスには国王の病状を伏せるよう頼まれていたトランボ国王は、やや戸惑ったような表情を浮かべた。
「手紙にありますように、母上はわたくしを心配させまいと父の病気の件は伏せていたと詫びております。すでにわたくしが知ってしまったことはご存知なかったのでしょう。それと、わたくしは母の気性をよく承知しています。あの母がわざわざ帰国を頼むなど、尋常ではございません。わたくしは手紙にある通り、1日だけでも我が国に戻りたいと思うのです。すでに、わたくしを護衛する者を貴国付近の街まで派遣しているとあります。お忍びで帰国せよということでしょう。わたくしも民を動揺させることはしたくありません。密かに国へ戻り、父を見舞ってから再び貴国へ戻ろうと考えています」
「陛下の病状について詳細は……」
トランボ国王は手紙の文面を検めたが、詳細に触れる部分はなかった。これでは直接国に戻って確かめるしかないだろう。国王はうなずいた。
「承知した。合流予定の街まで、当方でお送りさせていただこう。お国へは1日と言わず、国王陛下がご安心なされるまでおられると良かろう。我が国は、いつでも殿下のお戻りをお待ちするとしよう」
「お気遣い賜り、まことにありがとうございます」
ルチウスは深々とお辞儀した。正直なところ、トランボ国王の人柄に付け入る真似は心苦しかった。彼は国王の顔をまともに見ることができなかったのだ。
「陛下あてには、朕からの書簡もお預けしよう。朕だけでなく、我が妃も陛下の快癒を心からお祈りしていることお伝え申し上げたい」
「陛下の深いお気遣いには、ただただ感謝しかございません」
ルチウスは額から汗が滲み出るのを感じていた。やばい。さっさと逃げ出さないと、自分の表情でウソがバレる。ルチウスは顔を上げないように気をつけながら、そろそろと謁見の間を退出しようとした。
「殿下?」
トランボ国王は、ルチウスの様子に怪訝な表情で声をかけた。
「……お、おそらく、みっともない顔をしていると思います。顔を上げずにいること、お許し申し上げたい……」
王族が周囲に対し、心配の表情を見せまいと努めているのだろう。トランボ国王は善意に解釈した。「出発のご準備をなさると良い」
「恐れ入ります」ルチウスはその場から逃げるように退出した。
お忍びで帰国するだけあって、ルチウスはいたって軽装だった。わずかばかりの荷物で、彼を乗せた馬一頭だけですべて事足りていた。
「この程度でよろしいのですか?」
トランボ国王の命令で同行していた衛士のひとりがルチウスに尋ねた。王族の、しかも次期国王となる人物としては、あまりに荷物が少なすぎる。
「必要最低限だけを用意しているからね。すぐに貴国へ戻るつもりでもあるし」
ルチウスの答えに、衛士はうなずいた。彼は、ここしばらくの間、ルチウスを監視していた者だった。彼は、王子がひょっとすると、二度とトランボ王国に戻らないのではないかという疑念を抱いていたが、その答えで完全に払しょくされた。
待ち合わせの街に到着すると、待ち構えていたように数名の男がルチウスに近寄ってきた。
「お待ち申し上げておりました」
ひとりの男が深々と頭を下げる。ルチウスは男にうなずいてみせた。
「ロッドじゃないか。俺を迎えに来てくれたのはお前か。さっそく国へ戻るぞ」
ロッドと呼ばれた男は、これまでルチウスを護衛していた衛士に頭を下げた。
「殿下の護衛、まことにありがとうございます。ここより先は、我々でお守り申し上げます」
衛士はロッドにうなずいた。「殿下をよろしくお願い申し上げる」
トランボ王国の衛士たちは、引継ぎを終えて城へ帰っていった。ルチウスはロッドたちと衛士の姿が見えなくなるまで見送っていた。衛士の姿が消えると、ルチウスはようやくロッドに振り返った。
「さすが舞台俳優だな。見事な演技だったぜ、ゲール」
ゲールは襟を緩めると、深い息を吐いた。「いやぁ、緊張したぜ。でも、けっこう面白かったぜ」
「楽しんでもらえたら何よりだ。こういうことは楽しくやらなくっちゃな」
「違いねぇ。……おおっと、これを忘れちゃいけなかった」
ゲールは手にしていた鞄に手を突っ込むと、銀色に輝く仮面を取り出した。
「ご注文の品だ。貴族の仮面舞踏会で使われるものでも、けっこう頑丈で、戦場でも使えるっていう逸品だぜ」
「そいつはいい」
ルチウスは仮面を受け取った。さっそく仮面を被ると、満足げな笑みを浮かべた。「どうだ、似合うか?」
ゲールはにやりとした。「そっちでもイケてるぜ」
ルチウスは愉快そうな笑い声をあげた。笑い止むと、懐から酒瓶を取り出してゲールに差し出した。
「約束の報酬だぜ」
ゲールは満面の笑みでそれを受け取った。「ありがてぇ」
「それと、これは仮面の代金だ」
ルチウスは小さな革袋をゲールに投げて寄越した。受け取ったゲールの表情が変わった。小さいわりに、ずしりと重かったのだ。ゲールは革袋から硬貨を一枚取り出した。それはまばゆく金色に輝いていた。
「こ、これは金貨! この袋の中、全部か?」
慌てて中をあらためる。周りで様子を見ていた仲間たちも駆け寄って来た。
「ぜ、全部、金貨だ。いったい、いくら入ってるんだ?」
ゲールの声が震えている。ルチウスは再び馬に乗ると手綱を握った。
「代金とお礼込みだ。みんなで分け合うと良い。ケンカせずにな」
ルチウスは馬を進ませた。ゲールが慌てて後を追う。
「い、いいのか? こんなにもらっちまって……」
「構わないさ。持っていても仕方がないんだ」
そう、戦場に大金を持ち歩いても意味がないのだ。金貨を手にした周囲の者たちは歓声をあげている。
「あ、あんた、どこに向かうか分からねぇが、元気でな」
ゲールが手を振りながら言うと、ルチウスは笑顔でうなずいた。
「そっちも元気でな」
ルチウスは馬を走らせた。腰に差している剣がずしりとした重みを伝えている。この剣は、伯父にあたるキュリアス・フェアベーンが所持していたものだった。武闘派で知られるキュリアスらしい実戦的な剣で、名匠が多く働くテニスン工房で鍛えられた業物である。戦場へ持っていくのに、これ以上のものはない。
王都に着けば、この馬は売ってしまおう。その代金があれば、義勇兵団に入るまでの数日の生活費にはなるだろう。父に会うことはしない。母が手紙で詳細を知らせないのは、「大丈夫です、心配しないで」と言っているように思えるのだ。父のことは母に任せよう。もし、自分が本当に戦死することになれば、王国を継ぐのは従兄弟のカリナスになるだろう。あいつはクソ野郎だが、周りが王国を支えてくれるだろう。それに自分が死ぬほどの戦いであれば、王国が攻め滅ぼされ、継ぐべき国そのものが無くなることもありうるのだ。国を失ってもなお、王族として生きるほどバカバカしい話はない。そんなバカな役回りはあいつにくれてやる。ただし、自分はこの戦いに勝って、自分の国を守り切ったうえで王となるつもりだが。
不思議だ。気持ちが高揚する。このときのルチウスは、自分が戦死する危険など、ほとんど感じていなかった。心の大部分を占めていたのは、恐怖心ではなく、これから迎え撃つ敵に対する怒りでもなく、わくわくするような気持ちだった。未知の世界へ足を踏み出す冒険者と同じような気持ちだったのである。事実、彼は真の冒険に踏み込んだのだ。
「さぁ、仮面の剣士、ルッチの登場だぜ!」
ルチウスは自分を奮い立たせるように大声で叫んだ。




