ルチウス(その2)【scene9】
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ルチウスの発言に、トランボ国王はすぐに答えようとしなかった。やれやれと言うように首を振り、かたわらの王妃に視線を向けたぐらいである。王妃は夫の顔にうなずいてみせると、ルチウスに声をかけた。
「殿下は、その話をどこで耳にされましたか?」
ルチウスは王妃に険しい視線を向けた。
「それは誰でも良いでしょう。それに、今はわたくしがお尋ねしているのです」
「事実だよ」
トランボ国王が口を挟んだ。報告の途中である大臣が「陛下!」と声をあげたが、国王は手を上げて大臣がそれ以上発言しようとするのを抑えた。
「事実……」
ルチウスは周囲を見回した。
「ここに居る者は全員知っているのですか? ひとり残らず?」
謁見の間には多くの近侍や衛兵が立っていたが、ルチウスに見られると、全員がうつむいたり目を閉じたりして、ルチウスと目を合わすのを避けた。彼らの態度で、ルチウスは状況を把握した。
「つまり……、俺だけが知らないってことか……。いや、知らされなかったということか!」
ルチウスは再び玉座に向き直った。トランボ国王は先ほどと同じ姿勢で、ルチウスを静かに見下ろしている。
「陛下。どうしてなのですか? 母国の一大事を、なぜ、わたくしにお知らせくださらなかったのか。国からは誰もわたくしを呼び戻そうとしなかったのですか?」
「殿下のためだよ」
トランボ国王は当然のように答えた。ルチウスは眉にしわを寄せた。「わたくしのため、ですと?」
トランボ国王はうなずいた。
「現在、殿下の母国は大変な状況になっている……」
国王は、そこでギデオンフェル王国の現状を簡単に説明した。2か月ほど前に突如、魔族の軍勢が攻め込んできたこと。それを主導しているのは魔侯アルタイルであること。魔侯軍が侵攻してひと月ほどで、アングリア、ポラトリス、セルネド、以上3つの都市が占領されたこと。国王はこれらの話を、いっさいの感情を交えずに淡々と語って聞かせた。国王の説明は簡潔にして明瞭だった。始めは興奮状態だったルチウスも、冷静な口調に少しは落ち着いてきたらしい。紅潮していた顔が、元の顔色に戻っているようだった。しかし、険しい表情は変わらなかった。国王の話を聞き終えると、ルチウスはくるりと向きを変えた。
「殿下、どこへ行かれる?」
トランボ国王はルチウスの背中に話しかけた。
「むろん、国へ帰ります。国の一大事に、ここでのんびり学業などやってはおれませんので」
トランボ国王はすっと手を上げて命じた。
「王子を行かせるな。取り押さえて構わぬ」
お許しが出て、周囲の者はいっせいにルチウスに飛びかかった。ルチウスは怒声をあげながら抵抗しようとしたが、あっという間に床に押さえつけられてしまった。
「こ、国王! いったい、何を!」
ルチウスは再び顔を真っ赤にして叫んだ。
「頭を冷やしてください、殿下」
トランボ国王はあくまで冷静だった。
「貴国にとっては幸いだったのです。王位継承者の殿下が国を離れて、我が国におられるということは。おかげで、貴国の兵は殿下の身を案ずることなく戦いに集中できるのです。それなのに、殿下が国に戻られてしまうと、兵士たちは気を配るべき者が増えてしまいますぞ。兵士の重荷になること、殿下も望んではおられますまい?」
ルチウスは言葉を出すことができなくなった。
「そのことは貴国の宰相、リシュリュー殿も同じ考えをお持ちのようだ。送られた書簡には、殿下を引き続き留学が続けられるよう配慮してほしいこと、魔侯の侵攻については伏せておくことを要請された。我が方としても異存は無いので、これまで殿下には何もお知らせしなかったのだ」
「しかし、わたくしはあの国の王族だ! 自国の危機を知らぬなど許されないでしょう! わたくしには国民に対する義務がある!」
「そんな法はございますまい。王族として使命を持つのはご立派な心掛けと存ずる。しかし、今、殿下が戻られて何となさるつもりか? 仮に戻られたとしても、貴国の宰相は殿下を改めて我が方に送り返されるはずだ。こことて絶対の安全ではないが、少なくとも当面の間は魔侯の脅威とは無縁であろう。殿下には、かの戦が終わった後、国の復興に向けてのお役目があるはずです。そのときが来るまで、ここに滞在するのが上策なのです」
ルチウスはまったく反論できなかった。身の安全を合理的に計れば、ここでトランボ王国の庇護を受けるのが得策であるのは間違いない。しかし、そんなことを彼は望んでいなかった。望むのは、ギデオンフェル王国の王族としての使命を果たすこと。その一点だけだ。しかし、このように大勢で押さえつけられた状態では、それを叶えるのは不可能だ。ルチウスはすっかり大人しくなった。
「ご理解いただけましたかな?」
トランボ国王の問いかけに、ルチウスは力なくうなずいた。
「たしかに、これまで事実を伏せていたこと、まことに申し訳ないことであった。しかし、これも殿下を気遣うあまりのこと。決して悪く受け取らないでもらいたい。この件を秘密にするよう周囲に命じたのは朕だ。もし責めるのであれば、朕ひとりだけにしてもらいたい」
「国王陛下のお気遣いには感謝申し上げます。それに陛下を責めようなど、全く思いもしないことでございます。ただ、ひとつ教えていただきたい。我が父、ダリウス四世は何も申しておりませんのですか? 父は穏健ではありますが、王族の責任ということを日頃から口にしておりました。そんな父が、わたくしに国に戻れとも戻るなとも申さないというのは考えられません。わたくしの元には、今日まで何の報せも届いていないのです」
トランボ国王は両目を閉じた。国王の表情が初めて曇った。その様子を見て、ルチウスは真剣な眼差しを向けた。「父に……、父に、何かあったのですか?」
「いやいや、深刻な話ではない」
トランボ国王は両手をひらひらと振って否定した。
「……ただ、このたびの一件で心労が重なったのであろう。殿下のお父上は病で臥せっておられるとのことだ。命に差し迫った危険はないが、絶対安静であるそうだ。現在は王妃殿下がつきっきりで看病されておられる。公務のいっさいは宰相のリシュリュー殿が取り仕切っておられるのだ」
宰相が……だと……?
はいつくばった姿勢のまま、ルチウスは考えた。宰相は先代から宰相を務める男だ。年齢は70歳を過ぎているはずだが、衰えるどころかますます老練で油断できない。宰相にどこまでの野心があるのか不明だが、宰相が国政のいっさいを握ったとなれば、自分が帰国してもどうにもできないだろう。それこそ、トランボ国王が話した通り、すぐにトランボ王国へ送り返されることは間違いない。国のために戦うことなど決して叶わぬ望みなのだ。
「放してくれないか。暴れたりなどしない」
ルチウスが大人しい声で言うと、トランボ国王は無言でうなずいた。ルチウスは解放された。ルチウスはその場で座り込んだまま、呆然とした表情でうつむいた。
「殿下の国の一大事、お伝えしなかったのは申し訳ないと思う。不快な思いをされたことだろう。ただ、これだけは信じて欲しい。我々は皆、殿下のことを大切に想っている。殿下の心を乱したくない一心からしたことなのだ」
トランボ国王の言葉に、ルチウスは弱々しく手を上げて応えた。
「もちろん、信じております。皆様が、どれほどわたくしにお気を遣っておられるかも……」
「お判りいただいて良かった。しかし、殿下。このことをお知りになった以上、外出には我が従者をつけさせていただきますぞ。殿下を信用しないわけではございませぬが、万が一のことを考えればやむを得ない対応であること、どうかご理解いただきたい」
……まぁ、当然の対応だよな……。
ルチウスはトランボ国王の言葉に腹も立たなかった。しかし、これまで居心地の良かったこの場所が、急に息苦しい場所に変質してしまったのは悲しかった。彼は大学を卒業しても、しばらくはこの国に留まっても良いとさえ考えていたのだ。
「充分に理解しております。ただ、外出はこれまで通り自由なのですね?」
ルチウスは念を押した。トランボ国王はうなずいた。「むろんです。ただ、国外には出られませぬぞ」
ルチウスはゆっくりと立ち上がると、国王と王妃に向かって深々とお辞儀をした。そして向きを変えると、静かに謁見の間から退出した。
ルチウスはこの日、住まわせてもらっている部屋に閉じこもった。ベッドに横たわり、ただ天蓋を見つめて一日を過ごした。
扉をコツコツ叩く音が聞こえ、イアンが顔をのぞかせた。
「やぁ、入っていいか?」
ルチウスは「ああ」とだけ答えた。返事をするのもおっくうなようだ。
イアンは部屋に入ると、ルチウスが横たわるベッドまで椅子を持って近づいた。そして椅子に座ると、身をかがめてルチウスに話しかけた。
「今日は結局、講義に来なかったんだな。今日の講義も面白かったんだぜ」
ルチウスは目だけをイアンに向けた。「君も知っていたんだよな?」
イアンは、ふぅと小さなため息をつくとうなずいた。「ああ、知っていたよ」
ルチウスは視線を天蓋に戻した。「君とは親友だと思っていた」
「それは僕もさ、ルチウス」
その言葉を聞いて、ルチウスはガバッと勢いよく身を起こした。「だったら、なぜ……!」その先は言葉にならない。
「僕だって心苦しかったさ。正直、君に真実を知られてホッとしている。ただ、伯父上の気持ちもわかるんだ。僕たちは君が大好きなんだ。そんな君を、母国とは言え、戦乱の地へ帰したくはないと考えるのはいけないことかい?」
「だからって秘密にまですることはない!」
「悪かったよ、謝る。君の性格を考えればこうするしかなかったんだが」
「俺の性格? 君は俺のどこまでを知っていると言えるんだ?」
イアンはルチウスの険のある言葉にも微笑みを絶やさなかった。
「君とは2年あまり、一緒に学んだ。ともに遊んだ。2年は短い時間だが、君という男を知るのに短い時間ではない」
「俺が国に帰るのはお見通しだってことか」
「そうだ」
ふたりはそこでしばらく沈黙した。長い沈黙に耐えられなくなったのか、イアンは静かに立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとした。
「イアン」ルチウスが声をかけた。イアンは立ち止まって、顔だけ振り返った。
「何だい?」
「アーニャも知っていたのか?」
イアンはかぶりを振った。「いいや、今日までは知らなかったよ」
ルチウスはため息をついて、ベッドに横たわった。「今日までは、か……」
「あの子にはなじられたよ。なぜ、君に教えなかったのかって。君の味方ではないのかってね」
ルチウスは思わず苦笑いした。この国で本当の味方はアーニャだけなのかもしれない。
「まぁ、彼女も、君が無謀に国に飛んで帰るのは賛成じゃないようだったがね。そのこと、ゆっくり考えてくれたまえ。何が、君にとっての最適解なのかを……」
イアンは部屋を出て行った。ルチウスは横になったまま目を閉じた。
どれだけ時間が経ったのだろうか。気がつくと部屋の中は真っ暗だった。気づかないうちに夜になったようだ。目を閉じるだけでなく、しばらく眠ってもいたようだ。
ルチウスは身を起こしかけてギクリとした。ベッドのかたわらで、夕方にイアンが運んできた椅子に誰かが座ってこちらを見ていたのだ。部屋の中はかなり暗かったが、わずかな明かりで輪郭だけが見えていた。ルチウスの動きに、その輪郭が左右に揺れた。
「起きた?」その声はアーニャ王女のものだった。
ルチウスは起き上がると、アーニャの影に向かって声をかけた。
「いつから居た? それより、どこから入った?」
アーニャはほっそりとした腕を伸ばして指さした。「バルコニーから。知らなかったの? ここ、私の部屋とバルコニーでつながってるんだよ」
「……知らなかった」
「ふて寝は終わり?」
相変わらずのアーニャの言葉に、ルチウスは思わず笑みがこぼれた。「ふて寝とはひどいな」
「ふて寝じゃないならいいわ。思っていたよりは落ち込んでなさそうね」
「……ひょっとして、俺を慰めに来たのかい?」
暗闇の中で、アーニャが横を向いた気配がした。「まさか」
「じゃ、何をしにここへ……」
「私はあなたを見極めに来たの」
「俺を?」
「私の夫となるかもしれない殿方がどれほどの男か、自分の目で確かめるのは当然のことじゃなくて?」
ルチウスは呆れた。夫となる……? 君はこないだ15歳になったばかりだろ。
「ああー! 今、バカにした顔をした!」
ルチウスは驚いた。この姫君は夜目でも利くと言うのか?
「いいや、そんな顔してないって!」
「してたって!」
これでは堂々巡りだ。ルチウスは先に折れた。「……すまなかった」
「……で、どうするの? ギデオンフェル王国、次期国王候補の王子様?」
アーニャらしい直接的な質問だ。ルチウスは闇の中で真顔になって尋ねた。
「答える前にひとつ聞きたい。君は俺の味方か?」
一瞬、間が空いた。やがて、アーニャが身じろぎする音が聞こえた。
「あなたの味方ではないわ。ちなみに、私は誰の味方でもないわ」
「ほう」
「さっき言ったばかりじゃない。私はあなたを見極めに来たって。私の眼鏡にかなわない殿方だと判断したら、容赦なく見捨てますわ」
「ほう」ルチウスは同じ声を出したが、心境には変化があった。これまではあまり意識していなかったが、彼はアーニャを気に入りだしていた。一国の王女にしては「肝」が据わっている。どんなにお上品で家柄が良くても、くだらない女を妃にしたくない。王族の立場上、望まぬ婚姻は「さだめ」とも言えるものだが、アーニャ王女とであれば政略上の婚姻でも悪くないと思い始めてきたのだ。
「参考に聞いてみたいが、君のお眼鏡にかなうのは、どんな男なんだい?」
「参考になりませんわ。別にどんな殿方でも構いませんの。私が気に入るか、どうか、ですわ。そうねぇ、ただ、これだけは言えますわね。いつまでも暗がりでいじけているような殿方は、どれほど身分の高い方であっても願い下げってことですわ」
ルチウスは思わず笑いだした。心の底から愉快だった。この娘は最高だ。この俺を焚きつけようとしている!
「ハハハ……。どうやら、俺は君のお眼鏡にかなうために、ひと踏ん張りする必要があるようだな。しかも、君の父上の肝を冷やすほどの……」
「でも、それができるほどの殿方でなければ、私の夫なんて務まりませんわ」
アーニャはさらりと答えた。ルチウスの肚は完全に決まった。本当はどうするべきか決まっていたのだが、最後の踏ん切りがつかなかったのだ。まさか、彼の背中を押したのが、わずか15歳の姫君だとは! ルチウスはそれが痛快だった。
「姫。君には感謝するよ。そして、先に謝る。今後、君の父上は、君を俺と娶せようとする考えを捨てるかもしれない。俺は、君の父上を怒らせることをしでかそうとしている」
「謝る必要はありませんわ」
アーニャの声が別の方角から聞こえてきた。見ると、バルコニーの扉が開いて、ひとりの少女の影が半身を外に出したまま、こちらを向いていた。
「私は、あなたがあなたらしく行動しさえすれば、それでいいの。ただ、それだけなんだから……」
バルコニーから少女の影が消えた。ひとり残されたルチウスであるが、顔つきは活き活きとして輝いていた。これまで心の中に広がっていた黒い霧は完全に消え去った。
「さて、肚も決まったことだし、おっぱじめるとするか……」
ルチウスはベッドから脚を降ろした。




