ルチウス(その1)【scene8】
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木剣同士が激しい音を立ててぶつかった。真剣であれば火花が散っていただろう。
ギデオンフェル王国の第一王位継承権者、ルチウス王子は木剣を握り直して、大きく息を吐いた。すらりとした長身の若者で、切れ長の目元が涼しい美男子である。父親であるダリウス四世は凡庸な顔立ち、小太りな体形で知られる。世間から注目を浴びるルチウスの美しい容姿は、母である王妃譲りであることは誰もが認めるところだ。
「いやぁ、なかなかな腕前でいらっしゃるな」
ルチウスと剣術の相手をしているのは、かなり年配で大柄な男である。トランボ王国の親衛隊隊長、アメデである。ルチウスは留学先であるトランボ王国で、剣の練習をしていたのだった。
「こっちが王子だからって、ずいぶんおべっかを言うじゃないか」
ルチウスは顔をしかめた。相手が年を取って、さらに太っているから甘く見ていた。このアメデという男、親衛隊の隊長を務めるだけあって、剣の腕前が飛び抜けている。ルチウスは剣術を基礎から叩き込まれていたので、アメデの実力がどれほどのものかを量れたのだ。隙は見つけられないし、「崩し」を狙って攻撃を仕掛けても簡単にいなされてしまう。ルチウスの狙いは完全に読まれていたようだ。こうも攻撃を完全に封じられて、「なかなかな腕前」はないものだ。
「このアメデ。剣術において、世辞は一切申しませんぞ。殿下の腕前は親衛隊の精鋭と引けを取らないものであること間違いないと申し上げられます」
「隊長殿は、剣だけでなく、世辞も名人級だ」
ルチウスは剣を下ろすと、頭を下げた。部屋の片隅のベンチへと歩み寄り、布を手に取ると汗を拭った。それを見て、アメデも剣の構えを解いた。
「アメデを甘く見てるからよ。トランボ王国の親衛隊長なんて、ヘボに任せられるわけないじゃない」
ベンチから少し離れたソファに、ひとりの少女が腰かけていた。グリーンの瞳に長いまつげ。ほっそりとした体つきの小柄な少女だ。年齢は14から15歳あたりだろうか。くるくると巻いた髪を頭の両脇から垂らしているが、そのひとつに指をかけて、もてあそびながらふたりの試合を見ていたのだ。トランボ王国のアーニャ王女である。一国の王女ではあるが、先ほどの口ぶりから、ずいぶんとくだけた性格のようだ。
「確かに見誤っていたな。相手の実力を見極めるのも、腕前のひとつって言うから、俺はまだまだ足りないってことなんだな。よくわかったよ」
ルチウスはアーニャ王女に苦笑いしてみせた。
「でも、王子のくせに、どうして、そこまで剣術に熱心なの? 何か一大事が起きても、あなたが戦うわけじゃないでしょ?」
アーニャ王女の質問に、ルチウスの表情から笑みが消えた。
「……王子のくせに、じゃないよ。王子だから、だよ。王族は民を守るために存在しているんだ。たとえば、再び魔王が攻め込んだとき、民を守れるのはほかでもない。王なんだよ。俺だって、王族のひとりだからね。民を守る責任がある。責任ある者が剣ひとつ扱えないでどうするって話さ」
「そんな考え、聞いたことがないわ」
「トランボ王国では違うかもしれない。いや、違うな。もし、君が王子として生まれていたなら、きっと、同じことを学んでいただろうさ。君は王女としての振る舞いや生き方を教えられているんだ。俺と同じじゃないのさ」
アーニャ王女はむくれたように頬杖をついた。「そりゃあ、淑女としての振る舞いっての、散々教えられてきたけど……」
「……姫様。はしたのうございます……」
アメデは額にうっすら汗を浮かべた。日頃のアーニャ王女の振る舞いについて、王妃からは厳しく指導するよう言い渡されているのだ。しかし、百戦錬磨の親衛隊長でも、王女のお転婆ぶりには手を焼いているのだ。
「何かさぁ、気に入らないのよねぇ。そりゃあ、『淑女のたしなみ』ってのが大事だってわかるけどぉ、それを一生懸命に身につけて、それでどうするの?って感じ。何か芸を仕込まれて大道芸人に売り渡される前の魔獣みたいな気がするわ」
「……たしかに君は魔獣だな」
この半年余り、ルチウスはアーニャ王女と毎日のように顔を合わせている。さすがに王女がどのような気性なのか充分に理解していた。
「……噛みつくわよ」アーニャ王女はカッと口を開いてみせた。
「……ですから、姫様。はしたないと……」アメデは困り顔でたしなめる。
「魔獣って言ったけど、『淑女のたしなみ』を身につけさせられるのは私だけじゃないわよ。同じ女学校に通う子も同じ。彼女たちのことも数に入れれば、魔獣は言い過ぎね。そうね、私たちは良妻賢母になるための教育というものを施されて、『一人前』となって『出荷』されるのだわ。出荷先は貴族や大富豪、そして有力商人といったところね。私たちはお人形のようなものだわ」
「……また、姫様はそういうことを……」
アメデはずっと困り顔だ。ルチウスはアメデの顔を見ながら、『苦労するな、このひとは』と心の中でつぶやいた。
話が王族の責任から離れてしまったが、ルチウスはそれでいいと考えた。アーニャ王女はこのまま天真爛漫で良い。王族の責任なんてものは、魔国と接している自分の国だけが考えていればいいのだ。
「いい運動になった。隊長、また時間を作ってくれ」
ルチウスはアメデに手を振ると部屋を出て行った。アメデは深々とお辞儀した。
「また来てねぇ」
少し間延びした声で、アーニャ王女は手を振った。
ルチウス王子は城の長い廊下を歩いていると、廊下の脇からイアン王子が顔を見せた。
「やぁ、ルチウス」
「やぁ、イアン」
ふたりの王子は互いに挨拶をかわした。イアン王子はトランボ国王のおいに当たる。国王の弟の王子なのだ。次期国王はその王弟が継ぎ、そのままイアン王子に継承される見込みである。ルチウスとイアンは同い年で、今回のルチウス王子の留学に当たっては、イアンは学友でもある。
「伯母上にお会いしたかい?」
イアンがルチウスに尋ねた。
「王妃殿下に? いいや。今朝はまだお会いしていない」
ルチウスはかぶりを振った。「ただ、その娘には呼び出されたがね」
「アーニャにかい? 君はよっぽど気に入られたみたいだねぇ」
イアンはにこやかな笑顔を見せた。イアンはルチウスほど美形ではないものの、品が良く、落ち着いた雰囲気の青年である。人懐っこい顔立ちは、誰にでも好かれるだろう。
「あれでお気に入りかね。いつも、からかわれている気がする。今朝もアメデ隊長と稽古するところだったんだが、お姫様の部屋ですることになった。隊長にしごかれる様子を面白がって見ていたよ」
「君に関心がある証拠だよ。あの子は興味のないことには、まったく近づこうともしないからね」
イアンの答えに、ルチウスは肩をすくめた。「そうなのかね?」
ふたりは並んで歩き始めた。
「ところで、王妃殿下にお会いしたかと尋ねたが、王妃殿下は俺に用がおありなのか?」
「いいや。ただ、1日に1度は君の顔を見ないと気が済まないようだね。今朝、ご挨拶にうかがうと、挨拶もそこそこに君のことを尋ねられたよ」
「そうか……。学校にはまだ時間がある。王妃殿下の部屋を訪ねるとするよ」
「ああ、それじゃ、学校で」
ふたりは次の角で別れた。ふたりが学ぶ王立大学は城のすぐ近くにある。政治学や経済学においては、トランボ王立大学は屈指の名門と評判だ。
ルチウスは王妃の部屋を訪ねると、扉の前で数名の侍女がうやうやしく頭を下げた。ひとりが扉を開け、ルチウスの来訪を告げると、ルチウスはそのまま中へ通された。
「王妃殿下。おはようございます」
ルチウスは王妃の前に立つと、うやうやしくお辞儀した。
「おはよう、ルチウス殿下」
トランボ王国王妃イーディスは、その聡明さで国民から人気が高い。舞台女優のような美貌も評判だった。年齢は40歳半ばを過ぎているはずだが、その美貌に衰えは感じられなかった。
……母上も美人だが、若々しさではトランボ王妃が上だな。
ルチウスは冷静に心の中で思った。
「今朝はアーニャに呼び出されたそうで。あの子の我がままに付き合ってくれて、感謝していますわ」
「……お耳の早いことで……」
アーニャ王女の部屋にいたのは、ついさっきのことだ。それなのに、もう王妃には報告が届いていたらしい。
「それは、そうですわ。私はあの子の母親なのですもの」
王妃は朗らかな笑い声をあげた。しかし、ふいに笑い止むと、少し伏し目がちでつぶやいた。
「まぁ……、私が母親をしている、と言うより、母親をさせてもらっている、と言うところなのですけどね……」
そのときのルチウスには、王妃の発言が意味するところが何かわからなかった。この言葉の奥にある意味を知るのは、これよりずっと後のことである。
「……それよりも、あなたが来て以来、アーニャがずっと楽しそうですの。私に万が一のことがあった場合、あなたにならあの子のことをお任せできますわ」
「お任せだなんて……、王妃殿下は、どこかお身体に心配がおありなのですか?」
ルチウスは嫌な予感がして尋ねた。王妃は自分の健康状態に問題があって、自分に後事を託す話がしたかったのではないのか。
王妃は口をつぐむと、一瞬、素の表情でルチウスを見つめた。
「実はわたくし……」
王妃は重い口を開くように話し始めた。ルチウスに緊張が走る。
「まーったく、病気ひとつございませんの。健やかに過ごさせていただいていますわ!」
王妃はそう言うと、ホホホホと快活な笑い声をあげた。ルチウスは顔をしかめる。
……この母娘は……。揃って、俺で遊びやがる……。
「……そ、そうですか。それは何よりです。では、わたくしはこれで失礼いたします」
ルチウスは王妃にお辞儀すると、退出しようと扉へ歩いていった。その背中に向かって、王妃が声をかけた。
「ルチウス殿下」
ルチウスは立ち止まって振り返った。
「娘のこと、よろしくお願いしますわ」
王妃の表情からは笑みが消え、真剣そのものの表情だった。ルチウスは王妃の変化に驚き、しばらくその場で立ち尽くしていた……。
大学の敷地内は緑が豊かである。樹齢の高い樹々が校舎を覆い隠し、大学の外から見れば自然公園ぐらいにしか見えないだろう。ルチウスは、この学校が気に入っていた。この落ち着いた環境は学問する場にふさわしい。王子は何ごとも母国が一番と考えるが、学校に関しては他国のほうが優れた学校が多いと認めざるを得なかった。ギデオンフェル王国は魔法については多くの名門校を有しているが、それ以外の教育には熱心であるとは言い難いのである。
ルチウスは先を急ぐように早足で歩いていた。学友のイアン王子は先に講義室に向かっているはずだからだ。卒業に必要な単位はすでに修めている。残り半年は気に入った講義だけを受けるだけで良い。これから聴きに行く講義はイアンのお薦めのものだった。
樹々からは小鳥のさえずりが聞こえる。いくつかの木陰では、別の講義を終えた学生たちが思い思いに腰を下ろして、仲間たちと語り合ったり、読書にふけっていたりしていた。優しい木漏れ日のおかげで、この辺りは居心地の良いところなのだ。学生たちはルチウスが歩いているのに気づいているようだが、特に注意を払う様子もなく、それぞれの時間を過ごしている。そういうところもルチウスが気に入った点でもあった。彼は自分が王族であることで特別視されることを良しとしなかったのである。ほかの学生たちと同じ扱いであることが嬉しいのだ。もちろん、すべてがそういうわけではなく、ルチウスが王子であることを思い出させる者は存在するのだが。
「ご機嫌麗しく、殿下」
マーレ侯爵の子息、アルデがお辞儀してあいさつした。ルチウスは顔をしかめた。彼にはルチウスを特別扱いしないよう何度も頼んでいるが、いっこうに改める様子がないのだ。
「やぁ、アルデ……」
ルチウスは失礼にならないよう、軽く手を上げて応えた。正直な話、あまり関わり合いになりたくなかった。
しかし、アルデのほうはそうでないと見えて、ルチウスの前に進み出てきた。ルチウスは不快な表情を見せないように努めながら立ち止まった。
「このたびは、大変なことで。心よりお慰め申し上げます」
アルデは再び頭を下げた。話を早く打ち切りたかったルチウスは、反射的に「ありがとう、それじゃ」と言いかけて口をつぐんだ。
「……大変なこと?」
ルチウスの反応に意外なものを感じたのか、アルデは当惑した表情を見せた。
「ええっと……。殿下は……、お聞きでは……ないのですか……?」
まずいと思ったらしい。アルデは再び頭を下げると、その場を立ち去ろうとした。ルチウスはその肩をつかんで、自分のほうに引き戻した。ルチウスが思いのほか腕力があるので、アルデは驚いた表情で振り返った。やや怯えの部分も見てとれる。
ルチウスはアルデの目の前に自分の顔を近づけた。
「さぁ、何が大変なのか、聞かせてもらおうかな、ア・ル・デ、君!」
トランボ国王は謁見の間で大臣からの報告を聞いているところだった。隣には王妃も腰を下ろして話を聞いている。
そこへ慌ただしい足音が響き渡り、ルチウスが飛び込んできた。端正な顔を紅潮させて、口の端は怒りで歪んでいる。周囲は押し止めようとしているが、他国の王子に手をかけるわけにもいかず、結局そのまま謁見の間の中央まで踏み込まれてしまった。
「おお、ルチウス殿下。どうかしたかね、血相を変えて」
トランボ国王は静かに語りかけた。ルチウスの乱暴な登場に、顔色ひとつ変える様子が無い。
「陛下、あいさつ抜きでお話しさせていただく」
国王の前に立ったルチウスは両手を握りしめていた。その拳はぶるぶると震えている。
「我が母国に、魔族の軍勢が侵攻しているとは事実なのですか?」
ルチウスの両目は怒りで燃えていた。




