前線で【scene11】
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「ルッチさん、ルッチさん……」
怒号が飛び交う喧噪のなか、遠くから呼びかけられる声が聞こえた。
ルチウス――ルッチは、うっすらと目を開けた。そこへレトの顔がのぞき込む。
「良かった、意識を取り戻しました」
レトは背後を振り返って、ガイナスに話しかけた。ガイナスもぐいっと顔を近づけて、ルッチの視界に入ってきた。
「あぁら、ルッチちゃん。やっとお目覚めね。まだ目が覚めないようなら、アタシの熱―い口づけで起こしてあげようと思ったのに」
「目が覚めて良かった」
ルッチは心からそう思いながら身体を起こした。
周りは横たわった団員や兵士たちでごった返している。皆、それぞれ負傷しているようだ。
「ここは……?」
ルッチはあたりを見渡しながらつぶやいた。
「防衛線の内側です。僕たち前線で戦った者は、みんなここまで引いたのです」
「内側……。メネアに戻ったのか?」
「いいえ。メネアの手前です。重傷者を優先に要塞に運び込んでいますので、ルッチさんは順番待ちです」
ルッチは顔を押さえた。額には包帯が巻かれているようだ。仮面が無い。
「……仮面は?」
「ここにあります。すみません、勝手に外しました。仮面の下から血が流れていましたので」
レトは仮面を取り出して見せた。銀の仮面は一部ひしゃげているものの、全体的には形を留めていた。
「見た目より頑丈な仮面でした。おかげで顔面を砕かれずにすみました」
ルッチは仮面を受け取ると、それをしげしげと見つめた。ゲールの言った通り、これは戦場でも通用するものだった。彼の説明はウソではなかったのだ。
ルッチはそれを顔に当ててみた。包帯が邪魔でうまく被れない。
「しばらくは仮面無しで我慢してください。幸い傷は深くなかったので、手当てした者が顔に傷は残らないと言っていましたよ」
ルッチは苦笑した。
「俺、本当は顔が傷だらけのはずなんだがな」
「そんなのウソだと思っていましたよ」
レトはこともなげに言った。ガイナスはレトの言葉にうんうんとうなずいた。
「二目と見られないほど顔に傷を負ったと言うわりには、身体には傷ひとつ付いていないんだもの。ウソだと思うわよね」
「……俺の裸を見たのか」
「あなただって行水ぐらいするじゃない」
本当に油断ならないと思った。
「後退の際、倒れて動けなくなったルッチさんをここまで運んでくれたのはガイナスさんです。柵を乗り越えて襲いかかってきた敵を一瞬で蹴散らしてくれましたし、ガイナスさんがルッチさんを救ってくれたんです」
ルッチはガイナスの顔を見つめた。ガイナスはにやっと笑ってみせた。「貸しにしてあげるわよ」
「クソっ!」
ルッチはぷいと横を向いた。
「仮面が防いでくれたとは言え、頭部に攻撃を受けたのです。ルッチさんはしばらく安静にしてください。僕たちは前線に戻ります」
レトは立ち上がりながら言った。
「お、おい、待て……」
ルッチは慌てて立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らず尻もちをついてしまった。頭の一部がクラクラして、身体がうまく動いてくれない。
「脳震盪を起こしているのよ、アナタ。今は大人しくしてなさい」
ガイナスはルッチの肩に手を置いて立ち上がった。
「お前たちだけで前線に戻るのか?」
「ほかのカイル班のみんなが踏ん張っています。僕たちは早く戻らなければなりません」
「作戦の終了まであと少しなの。もうひと頑張りってところね」
ふたりはルッチに背中を向けた。彼らの向かう先には大きな人だかりが見える。そこで味方が敵と激突しているのだ。
「参謀はメネアの城壁から戦場全体を見渡しておられます。ルッチさんにまで目は向きませんよ」
レトはルッチの心配を見抜いたように言った。
「それに、包帯は余分目に巻いておいたからね」
ガイナスが後を引き継ぐように付け加えた。
「すまない……、気を遣わせて……」ルッチはうなだれるようにしてつぶやいた。
「行ってきます、ルッチさん」
レトたちは前線に戻っていった。
ルッチはふたりを見送りながら自分の拳を振り上げた。そして、その拳を地面に叩きつけながら「クソっ!」と再び毒づいた。彼は今の状況を心の底から悔しがっていた。
「戦況はどうです?」
ザバダックは背後からの声に振り返った。背後に立っていたのはケインだった。
「圧倒的不利な状況でよく守っている。『勇者の団』は個々の能力が高いから予想通りだが、王国軍の兵士も動きがいいようだ。さすがに、この戦いで手を抜くわけにはいかんからな」
ザバダックの声の響きには余裕すら感じられた。
……圧倒的不利なのに、ずいぶんと余裕だな、このオッサン。
ケインはザバダックの隣に立った。城壁からは、坂の上に殺到する魔侯軍の様子が見える。対する王国軍および『勇者の団』は、柵や土塁を前にして敵の進軍を阻んでいた。敵が射かける矢を防ぎながら、槍で敵兵を押し戻すのだ。矢を盾で防ぐ壁役との連携がうまく機能しているおかげで、味方の損耗は少ない。攻撃ではなく、守りに徹しているからだ。
「無謀な作戦だと思わないのですか、参謀は?」
ケインの問いかけに、ザバダックは自分のあごひげを撫でた。
「無茶だということは認めるがね。しかし、これを発案したのは団長自らだ。そして、彼はこの作戦で勝てると確信しているようだった。君だって、彼が確信を持って話していることは信じているんだろう?」
ケインはうなずいたが、それは仕方なくという様子に見えた。
「違うのかね?」
「……いえ、あいつが自信を持って言うことに間違いはありません。ですが、あいつ自身の安全を保証してはいないのです。この作戦で、あいつにもしものことがあるかもしれない。そんな危険だけは消えないんです」
「だからこそ、俺も無茶だと言った」
ザバダックは視線を再び城壁の外に向けた。
「彼は真の勇者だ。俺はそう思っている。君自身が言ったように、彼は自分の安全を顧みることなく戦いの中心に飛び込んでいく。何の見返りを求めることもなくだ。俺だって、彼の無事を祈らずにはいられないよ」
「それは、俺もです」
それからふたりの男は、無言で戦場を見つめた。
魔侯軍は狭く急な坂道を大勢の犠牲を出しながらも前進し続けていた。坂のところどころに立てられた柵はすでに地面に倒され、踏みしだかれていた。王国軍の兵士たちが守る土塁を乗り越える者も増えてきた。王国軍は坂の上で守るのを断念せざるを得なくなった。
「後退! 次の土塁まで下がれ!」
指揮官の声に、兵士たちはぞろぞろと後退していった。敵の数を減らしながら要塞まで後退する。作戦の内容は大まかに先述の通りだが、敵も防備を固めて攻めてくるので、効果は大きいとは言えなかった。前線で戦う者は、いずれも疲労の色を隠せないほどになっていた。
オークの一団が土塁を乗り越え、後退する兵士たちの背後に襲いかかってきた。しんがりにいる兵士が泣くような悲鳴をあげた。その悲鳴をあげた兵士めがけてオークたちが押し寄せてくる。
「よく踏ん張ってくれた」
兵士を押しやるようにして、白銀の鎧の剣士が立ちはだかった。金色に流れる髪。その下からは切れ長の美しい瞳がのぞく。リオンがしんがりの兵士をかばうように進み出てきたのだ。
「あ、あなたは!」
しんがりの兵士は驚きの声をあげた。
「早く後退するんだ」
リオンは剣を抜きながら言った。オークたちはすでに目前まで迫っている。
リオンの剣が白い軌道をいくつも描いた。何が起きたのか、それを理解できた者はこの場にひとりもいなかった。すぐそばで見ていたしんがりの兵士ですらわからなかったのである。
リオンの目の前に群がっていたオークたちがいくつもの肉塊に切断されて、地面に転がり落ちた。リオンはすっと前進すると、再び剣を閃かせる。オークたちは、さらにバラバラにされた屍を地面に転がした。
「す、凄い……」兵士は震える声でつぶやいた。そして、我に返るとリオンに背を向けて後退位置まで走り出した。獲物を取り逃がして、オークたちから唸り声が漏れた。
「悪いな。ここから先に行かせるわけにいかないんだ」
リオンは剣にまとわりついたオークの血脂を振り払った。
「体勢が整うまでの時間稼ぎをさせてもらうよ」
リオンの登場にたじろぎながらも、オークたちはそれぞれの武器を構えて近づいてきた。リオンの口もとから皮肉な笑みが浮かぶ。「退かないか、やっぱり……」
リオンは剣を構えると、一気に間合いを詰めようとした。そのとき、オークたちの群れから燃え盛る炎の弾が、リオンめがけて飛んできた。リオンはとっさにその炎を剣で打ち払った。「何っ!」予想外の攻撃にリオンから驚きの声が漏れた。
……オークが魔法を放っただと? そんなことが出来るオークなんているのか?
リオンは数歩後ずさって剣を構え直した。
オークの群れから、1頭のオークが進み出てきた。中ぶりのそれほど強そうには見えないオークだ。
「よぉ、リオンって言ったか。お前とここで会えるなんてな」
リオンは目の前のオークを見つめながら、記憶をたぐっていた。おそらくチリンスの丘で戦ったオークのひとりだろう。あまりオークの顔に注意を払っていなかったせいで、まったく思い出すことが出来ない。そもそも覚えようとしていなかった。
「誰だ、って顔をしてるな。わからなくて当然だ。この間はオークの姿じゃなかったからな」
リオンの表情が困惑で曇った。
……この間はオークの姿じゃなかった……?
「不意をついて殺してやってもいいんだがな。俺をコケにしてくれた礼も兼ねて教えてやるとするか」
オークはそう言うと、手にした武器を地面に投げ捨てた。オークの輪郭がみるみるほっそりとしていく。その姿はまるでひとの姿になろうとしていた。
「まさか……、それが、貴様の正体か……」
リオンの表情が険しいものに変わった。リオンを援護するため、カイル班がリオンの背後に駆けつけた。レトが変形していくオークを目の当たりにして驚愕の表情を浮かべた。
「な、何です? これは……」
「バカ! 来るんじゃない!」
リオンは振り返らずに叫んだ。「お前たちにハイクラスの相手は無理だ!」
「ハイクラスですって?」
レトは変貌を終えたオークを見つめた。それはすでにオークではなく、完全にひとの姿をしていた。リオンほどではないが金色に輝く髪をしており、背の高い若い男だ。黒いマントを羽織り、腰に剣を差している。一見すると、どこかの冒険者のようである。
「ハイクラスは人間に姿が似ている……」レトは呆然とした表情でつぶやいた。眼前の光景を正しく認識するために、口に出すことで情報を整理しているようだ。若い男は変身を終えると、1歩前に踏み出した。
「お前を殺しに、わざわざ出向いてやったぜ」
若い男は口の両端を釣り上げて不気味な笑みを浮かべた。リオンは相手の顔を睨みつけた。
「ガニメデス!」




