戦端【scene7】
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「敵軍、まっすぐにこちらへ向かっています。残りの距離はあと1里ほど」
見張りが大声で報告している。メネア近くの坂の上で、5番隊から8番隊まで『勇者の団』4百名と、王国軍メネア駐留隊の6百名を合わせた千名が、防御柵を前にして身構えていた。勇者の団だけで防衛する、というのはランブル将軍をはめるためのウソ情報だった。勇者の団はメネア駐留の王国軍と協力体制をとり、メネアの防衛作戦を行なう。メネア城塞まで敵を引きこむと一気に攻略される恐れがあるため、段階的に防衛線を敷いて敵の攻撃に備えるのだ。敵側はこちらの奇襲や奇策を経験して用心深く進軍している。今回は同じ手が通じるようには見えない。少なくとも、敵を翻弄するには別の策を用意するしかない。
レトはルッチやガイナスに挟まれる形で槍を手にしていた。剣は腰の鞘に収まっている。今回は攻め手を防ぐために、守備隊での編成に加えられていた。横一列の態勢から、槍で敵の侵攻を防ぐというものだ。もし、敵に斬り込まれたら、槍を捨てて剣で戦うことになる。
「ここからでも敵の姿が見えるようになった……」
ルッチがレトに話しかけた。
「2万の軍勢ともなると、さすがに壮観だな」
魔侯軍は整った隊列で進軍している。敵はかなり統制がとれているようだ。
「この事態は僕が招いたのかもしれません」
レトは苦しそうな表情でつぶやいた。
「何だ、あのことをまだ気にしているのか」
『あのこと』とは、メネアを襲撃した屍霊を、レトが魔侯軍の仕業だと断定したことだ。後に、それが誤りであることを、レト自身が確かめることになったのだ。
「あの後、勇者は独自に屍霊を敵陣に送り込み、打撃を与えたということでした。あれは、メネアに襲撃した屍霊に対する報復でしょう。そうであれば、僕の不用意な発言が勇者に不名誉な作戦を行なわせたことになります」
「それって考えすぎじゃない?」
ガイナスは敵を油断なく見つめながらつぶやいた。
「だって、勇者って、アナタのこと嫌っているでしょ。そんな勇者が、アナタの発言に耳を傾けたとは思えないもの」
「嫌っているって……。でも、まぁ、そうだな。お前の言ったことに、いちいち気を回したりはしていないはずだぜ」
ルッチはガイナスの意見に賛成した。ルッチの発言に、レトは顔をしかめる。
「……僕は勇者に嫌われているんですか? いえ、そうだとしても、僕の意見が影響を与えたのではないのですか? 僕は幹部の方にあの話をしたのですから」
「うーん、そうだっけ。でも、お前の気の回し過ぎだと思うけどなぁ」
ルッチは首をかしげてみせた。
「そろそろ、のんきな会話は慎んだほうがいいわよ」
ガイナスが口を挟んだ。
「間もなく来るわ!」
レトとルッチは口をつぐんで槍を構え直した。ここからの戦いは、これまで以上の過酷さが予想されているのだ。何せ、敵戦力は勇者の団と王国軍とを合わせた約3千をはるかに凌駕する7倍近い2万の大軍。単純な戦力差でも圧倒的な不利にあり、さらに敵側にはハイクラスの司令官がいると聞く。さすがの熟練冒険者でさえ相手にしたことのない敵だ。誰もが緊張した面持ちになるのも無理はない。
敵の行進は一糸乱れぬほど整ったものだった。大軍には狭い道を大して苦労せずに通っている。
「敵の司令官を褒めるべきね」
ガイナスは静かな口調でつぶやいた。
「ゴブリンはともかく、他人の言うことを聞くのが苦手なオークでさえ整列して行進している。司令官の指揮能力は高いとみるべきよ。この間のはもっと雑だった。だからこそ、50騎ほどの奇襲で崩壊した。今度は、ちょっとの奇襲じゃ動揺しないと思うわ」
「敵を褒めてどうする?」
ルッチは口の端をゆがめた。仮面で表情は見えないが、しかめ面をしているらしい。
「敵の行軍に変化! 敵陣形、左右に展開!」
見張りが大声で報告する。敵軍は道の両側に広がりだした。道の両側はごつごつした岩が転がっていて、歩行が不自由になる。しかし、軍を左右に展開することで、敵は間違いなく王国軍側を包囲殲滅するつもりだ。数にゆとりがなければ、足場の悪い地形に踏み込んでまで軍を展開するのは危険だ。しかし、今回は圧倒的な戦力差がある。敵はそれを承知して、このような力押しで迫るのだ。
「敵の距離、5百メルテ!」
見張りの声は緊張で震えていた。ルッチが『壮観』と評したが、大軍がじりじりと迫ってくるさまは、かなりの圧力を感じる。
ひゅっと音をさせて、敵側から1本の矢が飛んできた。その矢先には布が巻かれ、火が点けられていた。矢は待ち構える王国軍側のはるか手前に落下する。しかし、矢が地面に着いたとたん、ごおっと音を立てて地面から炎が立ち昇った。炎が立ち昇ったのは一瞬で、あたりは灰色の煙に覆われた。煙はすぐに晴れたが、あたりには火薬の匂いが残ったままだった。
「読まれていたな。俺たちの正面に火薬がばら撒いてあることは」
ルッチは意外でもないというふうにつぶやいた。
「あのあたりの道だけ火薬で黒ずんでいましたからね。怪しまれて当然ですし、相手もこちらが火薬を使った策で対抗するのは承知しているのでしょう」
レトも冷静な声で返した。
続いて、ひゅうっと風を切る音が聞こえた。レトたちの上空から、敵へ向かって黒い塊が飛んでいったが、そこへ敵から矢がいっせいに放たれた。それらは矢先に火がついていた。いくつかの矢が命中すると、その塊は黒い煙を上げて爆発した。それは手投げ爆弾だった。
「こちらも読まれていたか。やつらがなかなか矢を射かけないのは、こちらの爆弾を射落とすために待ち構えているからだ。本当に冷静だな、あいつら」
ルッチは口の端を歪めてつぶやいた。敵への称賛は、そのままこちらの苦戦を意味する。敵が浮足立つことなく迫ってくるのは、それだけでも圧力だった。
「残り、4百メルテ!」
見張りが絶叫する。レトは手にする槍を握り直した。手の汗で槍が滑りそうになったのだ。
「まだ駆け出してこないわね、敵さん」
ガイナスのつぶやきには意外そうな響きが含まれていた。てっきり、オークなど血気の盛んな者が抜け駆けして飛び出してくるのだろうと予想していたのだ。そして、そのような敵を迎撃するのが彼らの役割だった。見込みが外れて、ガイナスは槍で自分の肩をトントンと叩いた。
「そろそろ、互いの矢の射程内だぜ。いっせいに射かけられる矢に気をつけろよ」
ルッチがレトに声をかけると、彼らの背後からざぁっという音とともに、無数の矢が放たれた。背後の弓隊が先制で矢を射かけたのだ。
敵の最前列はすばやく反応した。鋼鉄の盾を前面に掲げて、矢を受け止めたのだ。いくらかは敵を仕留めたようだが、放った矢の数の割には倒した敵の数は少なかった。敵側の防御は固く、こちらの攻撃はあまり効果を上げていないようだった。
「チッ!」
ルッチは舌打ちした。
「でも……」
レトは正面を見据えながらつぶやいた。「敵がここまで戦略的に攻めて来るなんて、まるで想像できませんでしたね……」
ルッチはうなずいた。「そうだな。まるで予想してなかったな。敵がここまで『人間的』な行動をするなんてな……。ただし」
ルッチはそこで言葉を切った。そして、口を舐めて湿らせると、再び口を開いた。
「勇者には『お見通し』だったみたいだがな」
レトたちが守りについている道の両側に広がる岩場から、いっせいに魔法使いたちが姿を現わした。手にした杖を天にかざすと、それぞれの得意魔法を放ちだした。炎や雷の嵐は、岩場を進軍している敵に襲いかかった。初めて敵側から動揺したような叫び声があがった。
「展開する敵を、引きつけてから魔法で叩く。敵はいっせいに襲いかからず、防御態勢を維持したまま進軍してくる……。こうも、勇者の予想通りに動くと思わなかったよ」
ルッチは迫りくる敵を目にしながらつぶやいた。
……リオンは間違いなく天才型の戦士だ。自ら剣を手にして戦うだけでなく、戦略や戦術の組み立ても見事だ。どうも、相手の腹の内を読むのに長けているらしい。レトのあらゆる状況を分析する能力もすごいが、心理戦で発揮するリオンの洞察力の高さも強力だ。ふたりの能力が噛み合えば、千人足らずでも王国最強の兵団になるだろう……。
ルッチはレトにちらりと視線を送った。レトは間もなく激突する敵に備えて、槍を構えている。
……こいつはまったく自覚がないな。前線で武器を手に戦うより、後方で味方のために知恵を使うほうが有益だってことに。……そして、俺は……。
ルッチは槍を相手に向けて身構えた。
……俺の真価は、ここではっきりする!
ルッチは槍を握る手に力を込めた。
……もし、ここで討ち死にすることがあれば、俺はしょせん、ここまでの男だったってことだ。ここでは血筋なんてものに何の値打ちもない。生き残る資質のあるものだけが生き残る。そういう世界だ!
魔侯軍は左翼、右翼の両側から魔法使いの攻撃を受けて、明らかに動揺した。これまでじりじりと間合いを詰める戦法で前進してきたが、さすがに我慢しきれなくなった者が現れたのだ。数名のオークがそれぞれ武器を手に、隊列から飛び出してきたのだ。敵の後方からもいっせいに矢が放たれていく。
「敵も撃ってきた! 壁役! 前へ!」
ウィル・フリーマンの声が聞こえる。ウィルの指示でデュプリとオーギュストが、それぞれ盾を手に、レトたちの前に進み出た。雨のように降ってくる矢は、彼らの盾で防がれた。
「すまない、ふたりとも!」
ルッチの声に、デュプリが片目をつむってみせた。
「今回、俺たちは見せ場なしだ。ここで目立たないとな」
「これが俺たちの役割なだけだろうが」オーギュストが顔をしかめた。
敵味方双方から無数の矢が行き交う戦場で、ぽつりぽつりと倒れていく者が現れた。互いが壁役の盾で防いでいるものの、それでもいくらかは矢で倒れる者もいるのだ。
抜け駆けして飛び出したオークたちは、柵を踏み倒すことができずに、柵の前で群がっていた。そこをレトたちが槍を突き出して、1体ずつ確実に仕留めていった。オークの返り血を浴び、レトだけでなく、ルッチやガイナスも血まみれだった。
「柵が倒れそうだ!」
ルッチが叫ぶ。そろそろ撤退を考えなければならないのだ。
「まだダメだ! 両翼の魔法使いたちが撤退できていない!」
どこからか叫び返す声が聞こえる。どこかで戦うカイルのようだ。
「魔法使いたちを先に下がらせるんだ! こちらが先に撤退すると、彼らが敵に包囲されてしまうんだ!」
今度はウィルの声が聞こえる。
……簡単には撤退できないだろうな……。
ルッチは槍を突き出しながら思った。魔法使いたちが戦っているのは足場の悪い岩場だ。すばやい移動を妨げる地形だから、勢い込んで攻めてくる敵相手に有利だが、一転、逃げる場合には不利な地形となる。
左翼の魔法使いを指揮していたエリスがしんがりを務めて、魔法使いたちを引き揚げさせていた。かたわらではウィルが剣を手に周囲を警戒している。
「彼女で最後です!」
ひとりの魔法使いが後方へ走り去ると、エリスはウィルに声をかけた。ウィルはうなずくと「あなたも急いで」とだけ言った。エリスはうなずくと、さきほどの魔法使いの後を追って走り去った。
「左翼の撤退は完了したぞ!」
ウィルが大声で知らせた。
「右翼はまだです!」
右翼側から返事が聞こえた。5番隊隊長のハリスの声だ。彼の金髪は敵の返り血や土埃にまみれて黒く汚れていた。5番隊が守る柵はすでに壊れていて、押し寄せる魔侯軍たちを抑えるのでいっぱいだった。そのせいで、右翼の魔法使いは味方の支援が受けられず、なかなか撤退が進まないのだ。
「早くしねぇと、左翼から敵に回り込まれるぞ!」
ケイナンが歯をむき出しにして怒鳴った。彼の槍はすでに折れてしまい、彼本来の武器である戦斧で戦っていた。
「わかってます!」
ハリスはそう答えるだけが精いっぱいだった。目の前には数体のオークが迫っていたからだ。
「こちらに構わず撤退してください!」
岩場からひとりの大声が聞こえた。右翼を守る王国軍の魔法使いだ。
「我々はこの道以外を通って撤退します! そのほうが被害は少ない!」
――被害は少ない……。
この言葉には、仲間の何人かは助からないであろうという覚悟が滲み出ていた。
ハリスは歯を食いしばると、一気にオークたちを斬り伏せた。急いで岩場に顔を向けると、
「わかりました! 我々も後退します。どうぞ、ご無事で!」と叫んだ。
「そちらこそ!」
岩場の魔法使いは、大声で返すと姿を消した。ちらりと見えた魔法使いの姿は、まだ年若い青年のようだった。
「全軍、後退! 敵を牽制しながら、坂の上の第二防御柵まで下がるんだ。負傷者は要塞まで運び込め!」
6番隊隊長のグエン・マクドナルドが号令を出した。彼は今回の第一防衛戦線の代表指揮官だった。
「さぁ、下がるわよ!」
号令を聞いてガイナスがレトの肩を叩いた。レトたちが守る柵は、今も敵の侵入を拒んでいた。カイル班は目の前の柵を守り抜いたのだ。
「ルッチさん、後退です!」
レトはかたわらで戦っているはずのルッチに声をかけた。しかし、レトの隣にルッチの姿はなかった。
「ルッチさん?」
土埃で視界が悪いなか、レトは奥に目をこらした。
ルッチはレトたちより少し離れた柵の前にいた。そこをよじ登ろうとしていたゴブリンを槍で突き刺しているところだった。
「ルッチさん! 下がりましょう!」
ルッチはレトの大声で、自分ひとりだけがその柵を守っていることに気づいた。周りは負傷して膝を突いている者や倒れている者ばかりで、まともに戦える者の姿が無い。
「後退命令が出たのよ!」
ガイナスの声で、ルッチは事態を把握した。
「わかった! みんな、後退するぞ!」
ルッチは周囲の者たちに声をかけた。そのとき一瞬だが、目を柵からそらした。
ひゅっと何かが飛んで来る音が聞こえ、ルッチはとっさに槍を盾に身構えた。目の前には大きな石が飛んできていた。
石は槍に命中し、槍を砕いた。石はそのままルッチの顔面に激突した。ルッチの顔がのけぞる。仮面が受け止めたとは言え、その衝撃はかなりのものだった。
「ルッチさん!」レトが絶叫した。
ルッチは意識が遠くなるのを感じながら倒れていった。柵の向こうで、1体のオークが石を持ち上げてわめいている様子が見えた。
……『あれ』の攻撃を受けたのか……。
ああ、俺はここで終わる。ルッチはそう思いながら地面に倒れた。意識を失う寸前の、ほんの一瞬、彼は2か月ほど前のことを思い出していた。『ルッチ』になる前の自分のことを……。




