誰も本音は語らない【scene13】
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ギデオンフェル王国の王都メリヴェールは、魔侯の侵攻にさらされながらも平穏を保っていた。人びとに恐怖の陰はなく、むしろ王都は戦争景気で活気に溢れていた。王国軍と魔侯との戦いは王都から離れた地で行なわれており、人びとに戦争の深刻さは感じられなかったのだ。情報統制が行われているわけではないが、宰相は積極的に戦況を伝えることも行なわなかった。そのせいか、王都にはどことなくのんびりしたような緊張感のない空気が漂っているのである。
その空気はディクスン城においても同様だった。巡回する兵士たちの表情に深刻なものはない。ただ粛々と任務に就いているだけである。
そんな城内で、宰相の『甥』ライアン・リシュリューは自分の執務室で多くの書類に目を通しているところだった。彼の様子も戦争時のような緊迫した様子はない。もっとも、常に冷静な彼には、戦争状態も通常と変わらないことなのかもしれない。
「どうだ?」
ふいにリシュリューは顔を上げてつぶやいた。いつの間にか、彼の背後には小さな黒い影がうずくまっていたのだ。それは黒装束に身を包んだ暗黒処刑人だった。
「ガニメデス様はメネアの攻略に失敗しました。メネアに送り込んだ緑龍が敗北し、軍から逃亡したのです」
「ほう、緑龍が敗れたか」
「一方、工作隊はドドナへ潜入し、『名もなき陵墓』の破壊に成功しました。アルタイル様の目的がひとつ果たされたことになります」
「そうか。ドドナの兵も守り切れなかったか……」リシュリューはつぶやいたが、残念に思う口ぶりではなかった。
「ただし、工作隊は王国軍によって全滅しました。工作隊は自分たちの命と引き換えに陵墓を破壊したのであります」
「工作隊はお前と同じ暗黒処刑人で構成されていたな?」
「は。左様でございます」暗黒処刑人は頭を下げて答えた。
「王国軍もなかなか手強いではないか。カルパ中将がそこまで優秀とは知らなかった」
「中将はこちらに戻っているところです。間もなく到着するでしょう」
リシュリューは不快そうな表情になった。
「中将が戻っている? 誰の判断で動いている? ……いや、カルパ中将の軍閥がらみか。相変わらずくだらないことで軍を動かすものだ」
リシュリューは吐き捨てるようにつぶやくと、暗黒処刑人に顔を向けた。
「では、工作隊をやったのは誰だ?」
暗黒処刑人は顔を上げた。「ヒルディー・ウィザーズ少佐が率いる部隊です」
「王妃殿下の姪か……」
リシュリューの口の端に笑みが浮かんだ。
「バルバトス王を討った者の子孫はなかなかに頑張る。侮れないものだな……。いや、私の立場なら、頼もしいと言うべきか」
「それと、ご指示された件でございますが……」
暗黒処刑人は遠慮がちに声をかけた。リシュリューは手を挙げて制すると目を閉じた。研ぎ澄まされた感覚で周囲の気配を探っていく。宰相であるヘンリー・リシュリューはここより遠く離れた謁見の間で、同盟国であるトランボ王国の使者と面会中だ。宰相に、ここの話を盗み聞きできる特殊な能力はない。
「いいぞ。話せ」
リシュリューはうなずきながら促した。
「宰相の使いがアルタイル様の使いと接触していました。宰相の使いもアルタイル様の使いも我らが眷属です」
「同じ人材を使うか……。まぁ、当然か」
リシュリューはひとりごちた。
「それで、接触した内容についてはつかめたか?」
「具体的には……。ですが、宰相の使いは、そのままガニメデス様の陣に入りました。緑龍が出発したのはその直後でした」
「メネア攻撃前に、宰相の使いがアルタイル様側と接触していたのか?」
「左様で」
「つまり、宰相は陵墓攻撃を事前に知りうる立場にあったわけだ」
リシュリューは両手を頭の後ろに組んだ。「ご苦労だった。引き続いて監視を頼む」
暗黒処刑人は音もなく姿を消した。部屋にはリシュリューがひとり残った。
「ずいぶんとあからさまに動くようになりましたね、ポラリス」
リシュリューは顔を傾けて、壁の一角を見つめた。その壁を突き抜けた先には謁見の間がある。
「あなたの行動はすべて陛下に筒抜けですよ」
リシュリューはひとりつぶやくと、再び書類を手に取った。
「王子の行方について、そちらでも手がかりはないのですな?」
ギデオンフェル王国宰相、ヘンリー・リシュリューは抑揚のない調子で話していた。何の感情もうかがえない、いたって落ち着いた声だった。宰相は玉座のかたわらに立って、使者と会談していた。
「我が国でも精鋭に調査を行なわせているのですが、何の成果がございません。この度のこと、誠に申し訳なく……」
トランボ王国の使者は汗を流しながら詫びている。ギデオンフェル王国のルチウス王子が失踪して、1か月以上が経過していた。王子の勝手な行動とは言え、むざむざ行方不明にさせてしまったのだ。トランボ王国側はかなり責任を感じていた。
「貴国には多大な協力に支援も頂いている。この一件はあくまでルチウス王子の身勝手な振る舞いが招いたこと。そちらが責任を感じることなどございませんぞ」
宰相は使者を労わるように声をかけた。しかし、使者はいかにも恐縮したように、ハンカチーフで額の汗をぬぐっている。王子の捜索は宰相からの要請を受けて行なっているものだ。手掛かりを得られずに日ばかりが過ぎていることを宰相が気にしないはずがなく、先ほどの話はあくまで社交辞令なのだと使者は理解していた。それに、宰相は決して笑顔など、打ち解けた表情を見せたことがない。『鉄面皮』という表現が、これほど似つかわしい人物を使者はほかに知らなかった。宰相は老年にありながら背が高く、玉座のように数段高い位置から見下ろされると、かなり迫力がある。彼でなくとも緊張感と圧迫感に苛まれるだろう。
「使者殿、いかがなされた?」
「い、いえ。宰相閣下はそうおっしゃっていただくが、我々の力不足は否定できないところでございます。盟約に偽りないところ、必ずやお見せ申し上げます」
使者は頭を下げると、そそくさと退出していった。使者の後ろ姿を見つめながら、宰相は何の感情も見せずに見送った。しかし、もし、耳ざとい者が近くにいれば、小さく鼻を鳴らしたことに気がついただろう。
「決して王子の行方など見つけられまいよ、決して、な」
宰相は小さくつぶやいた。
メネアの要塞では、死傷者の確認と処置が終わり、ひとまずの平穏を取り戻していた。司令部前の広場には、誰が招集をかけたわけではないが、勇者の団の団員たちが集まっていた。彼らを前にして、ケインも神妙な表情だ。
「俺に話があるのか?」
リオンが姿を見せて尋ねた。団員たちはいっせいにリオンに視線を集める。
「団長、聞かせてくれ。これからどうするつもりなのかを」
ダイダロンが大声で話しかけた。
「どうするつもり?」
リオンは不思議そうに周りを見回す。ケインがリオンのそばに近づいた。
「みんなは魔侯が目的を果たしたことを知っている。さっき、ドドナからの早馬で、ドドナの陵墓も破壊されたことを聞いたんだ。それで、みんなこの先のことを不安に感じているんだよ」
ケインの質問を、リオンは無表情に聞いていた。リオンの表情が見える者は不安に襲われた。リオンがまったく関心を持っていないように感じたのである。
「そうか、みんな次に何をするべきか見失ってしまったんだね」
リオンの声は淡々としたものだった。
「団長。これは……もしかしたらの話なんだが、俺たちの家族はまだ生きている可能性があるんだ。魔侯の目的はわからねぇが、占領した街や村から人間を拉致して森に連れ去っているかもしれないんだ。もし、これからの方針が決まっていないのであれば……」
ダイダロンが話を続けようとするのを、リオンは手を挙げて制した。ダイダロンは口をつぐんだ。
「もし、何を差し置いても家族を探したい者がいれば、団を抜けてもらって構わない。『勇者の団』は王国軍とは違う。ここで抜けても脱走扱いにはならない」
「おい、リオン!」
リオンはケインに向けても手を挙げて制した。
「ただ、これだけは理解してほしい。ひとりの力なんて、たかが知れている。俺だって、この戦いでひとり戦うことの困難さを思い知っているところだ。単独行動で何かが成し遂げられるとはとうてい思えない。それが、たったひとりの家族を救い出すことだとしても」
ダイダロンは完全に沈黙した。ただ、握りしめられた両手の拳がぶるぶると震えている。
「魔侯軍が拉致した人びとをミュルクヴィズの森に連れ去ったのではないかという話は聞いている。もし、その考えが正しいのであれば、拉致された人びとを解放するのは俺たちの役目だ。間違いない」
歓声が起こった。リオンの言葉で団員の士気が上がったのだ。
「森へ向かうには、チリンスの丘を陣取っている魔侯軍を撃退しなければならない。これまでの戦いで、数を減らしているとはいえ、それでも2万5千の戦力はあるはずだ。丘を押さえている兵力がどれぐらいか把握していないが、最悪、それだけの敵を相手にするだろう。みんな、数を聞いてどう思った? 怖くなったか?」
「バカにするな。俺たちは冒険者だ。危険と隣り合わせで生きてきたんだ。そんなのメじゃねぇよ」
誰かが胸を叩いて答える。周囲からも同調する声が聞こえる。リオンは力強くうなずいた。
「そうか。なら、行こう。チリンスの丘を突破し、ミュルクヴィズの森へ。森の奥に隠れている魔侯を討ちに。そして、みんなの家族を救い出そう!」
リオンが、さっと拳を突き上げると、周囲からひときわ大きな歓声があがり、多くの拳が天にむけて突き上げられた。
司令部の窓から、ハミルトン少佐がリオンたちの様子を見つめていた。「ちっ」小さく舌打ちすると苦々しい表情を浮かべる。しかし、背後に部下が立っているのに気がつくと、少佐は慌てたように表情を変えた。
「何も言うな。何も!」
部下は黙って敬礼した。
外ではリオンの演説が続いている。
「おそらく、メネアの駐留部隊は出撃の許可が下りないから、ともに出撃することはない。つまり、俺たちだけで敵の撃退を行なわなければならない。戦力的には圧倒的に不利だが、勝てない戦いではない。勝機はきっとある。それをつかめば俺たちは勝てる。俺たちはすでに何度か寡兵で勝利をあげている。次もきっと勝てる!」
団員たちは目を輝かせて拳をあげる。誰もが自分たちの勝利を疑っていなかった。
「こういうことでは、やっぱりサマになるなぁ」
ルッチは腕を組みながらつぶやいた。中には、ルッチのように拳をあげていない者も混じっていた。
「アナタ、意外と冷めているのねぇ」
ルッチのすぐ隣でガイナスが話しかけた。ガイナスも冷静な表情で、周りのように拳をあげることをしていなかった。
「冷めているわけじゃないさ。ただ、こういう煽り立てることには用心しているのさ」
ルッチは仮面を少し押さえながら答えた。
「勇者と戦うのに異存はないが、あんなふうに煽られると、駒として利用されるんじゃないかって警戒心が湧いてくるんだ」
「あら、気が合うのねぇ。アタシも同じことを感じていたわ。アタシの場合、緑龍と戦っていたときに、勇者の態度に疑問を持ったのよ」
ルッチはガイナスの顔を見上げた。「あのとき?」
「勇者は体調が万全でなかったと言っても、すぐに姿を現わすことはできたはずだわ。それをレトちゃんが斬られる寸前まで待機していた。まるで、レトちゃんが殺されても構わないというふうにね。それまで緑龍の戦い方をじっくりと見物して、クセを見極めてから姿を現わした。味方の犠牲を一顧だにしない冷徹さ……、あるいは非情さと言ったらいいのかしら。彼には、そんなところがある。軍隊の指揮官としては優秀な資質だと思うけど、人びとの希望になる勇者の資質としてはどうかしらね」
ガイナスの話で、ルッチはレトのことが気になった。ルッチはあたりを見渡したが、レトの姿を見つけることはできなかった。




