表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ragnarok of braves ~こちらメリヴェール王立探偵事務所 another story~  作者: 恵良陸引


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/235

少年時代2【scene8】

8


 ある日のことである。レトは村の外に薪拾いに出かけていた。まもなくレンガを窯で焼くことになる。レトは薪割りができないので、付け火に使う小さな薪を集めているのだ。かたわらにはキップも薪を担いで歩いている。付け火の薪を集めるのは、このように身体の小さな子供の仕事であった。

 「おい、レト……。あまり早く歩くなよ。ボクから離れるなよ……」

 キップが心細そうに話しかけている。普段はわんぱくなキップが、今日は怯えた表情だ。それには訳がある。村からそれほど遠くない別の村で、村人のひとりがギガントベアに襲われたのだ。ギガントベアは通常の熊よりもひと回り身体が大きく、獰猛な魔獣である。通常の熊は、ひとを恐れて自ら近づくことはしない。しかし、ギガントベアはわざわざ人間を狙って襲ってくるのだ。人間を獲物と見ていない熊との決定的な違いである。そう、彼らは人間を獲物のひとつとして認識しているのだ。

 そんな魔獣が村の近くに現れたのだ。キップでなくても不安に思うものである。本来、子供たちだけで村の外に出るのは危険だと思うが、レンガを焼くことを延期するわけにはいかない。レンガの生産は村の生命線である。自ら収入のすべを失うわけにいかないのだ。

 普段であれば、レイモンドに警護をお願いしたいところであるが、レイモンドは村長の警護で村を離れていた。村長はレンガの取引で、ギガントベアが現れた村の近くを通らなければならなかった。危険性の高さや優先順位で考えれば、レイモンドの対応はやむを得ないことだろう。

 もともとギガントベアが生息しているミュルクヴィズの森は、村からはるか東の先にあった。そこから『カーペンタル村』までは、いくつもの町や村が点在している。ギガントベアのことを脅威には感じても、「まさか、この村までは現れまい」と考える村人は多かった。ここに至るまでの途中の街や村で、どこかの冒険者に討伐されるだろう。多くの村人は、そう高をくくっていたのだ。レトの父親レオやカップも同じ考えで、薪拾いが中止になることはなかった。村人たちもレトたちに「道中は気をつけるんだよ」と形ばかりの気遣いを見せるだけで、子供たちを村の外へ送り出したのだ。

 レトとキップは手早く薪を拾い集めた。背中に背負っている籠がいっぱいになれば村に帰れる。彼らはその一心で、互いに話しかけることもなく仕事に集中した。

 ようやくふたりの籠が薪でいっぱいになるころ、レトはキップが蒼ざめた表情で森の奥をまっすぐ見つめているのに気がついた。つられるように正面を向いたレトは息を飲んだ。

 森の奥、数十メルテ先に一頭の熊がこちらを見ていた。熊はかなり大きく、両側の木が小さく見えた。頭には縦状に白い模様が見える。ギガントベアの特徴だ。口からは泡のようなよだれが溢れて、ぽたりぽたりと地面に落ちている。あの様子を見る限り、ギガントベアがふたりを獲物として認識していることは間違いなかった。

 「キップ」

 レトはギガントベアから視線をそらさないように気をつけながらキップに話しかけた。

 「僕が合図をするから、脇の森に駆け込むんだ。木の間隔が狭いから、簡単に追っては来られないよ……」

 キップからの返事はなかった。

 「キップ?」

 レトはキップを振り返った。しかし、キップはすでにレトを置いて逃げ出しているところだった。森の道を一気に駆け抜けようとしている。

 「ダメだ、キップ!」

 レトは叫んだが、キップは止まらない。レトは背後の物音に気がついた。ギガントベアが行動を開始して、レトに向かって走り出しているのだ。レトは夢中で森の中へ飛び込んだ。

 茂みの中へ潜り込み、頭を押さえて地面に伏せる。ギガントベアは地響きを立ててレトのすぐそばを駆け抜けた。足音がどんどん小さくなっていく。

 レトはがたがた震える身体を、自分の両手で抱きかかえながら立ち上がった。口の中が妙に粘っている。レトは人生で初めて、本物の恐怖を味わったのだ。

 レトは茂みから森の道をのぞいてみた。レトの表情が恐怖で引きつったものから絶望的なものへと変わる。

 「キップ……」レトは思わずつぶやいた。

 レトの視線の先、数十メルテ先にギガントベアが何かを組み敷いていた。その『何か』は血みどろで、かたわらにはひしゃげた籠が落ちていた。ギガントベアの硬い爪は、少年の身体を簡単に引き裂いたのだ。

 ギガントベアは噛みついていたキップを離すと、首だけ曲げてレトに顔を向けた。口の周りが血で真っ赤に染まっている。レトと目が合うと、ゆっくりと身体をこちらに向け始めた。

――来る!

 レトが予感した瞬間、ギガントベアは走り出した。キップの身体はぴくりとも動かない。ギガントベアはその確信があるからこそ、次にレトを狙っているのだ。レトは再び茂みに身体を引っ込めた。

 森の奥へ進めば、村からは離れることになる。しかし、広い森の道ではすぐ追いつかれてしまう。熊は足の早い動物で、人間の足では敵わない。それが6才の少年の足と、熊を超越したギガントベアの足ならなおさらだ。レトに選択の余地はない。レトは森の奥へと駆け出した。

 ギガントベアは一瞬動きを止めて、森の中をのぞきこんだ。レトの姿は森の木々にさえぎられて、ちらちらとしか見えない。そして、その姿は確実に小さくなっている。

 ギガントベアは大きく咆哮をあげると森に飛び込んだ。行く手をさえぎる木をなぎ倒しながらレトの後を追っている。ギガントベアの巨体は、森の木をいとも簡単にへし折った。それでも、ギガントベアの足を遅くするのには役立った。レトとの距離はすぐに縮まらないからだ。

 レトは走りながら籠を捨てた。少しでも身体を軽く、少しでも早く走るために。ギガントベアの足は、レトの籠を粉々に踏み砕いた。

 「もう、近くまで来ている!」

 レトは振り返らずに直感した。振り返らなかったのは、そうすると自分の速度が落ちるとわかっているからだ。もし、追いつかれれば、レトは助からない。レトは口から何かが飛び出るのではないかという圧迫感に苛まれながら、ひたすら走り続けた。長い距離を全速力で走ったことはないが、今は死ぬまで走り続けられると思った。

 突然、目の前が明るくなり、レトは森の外に飛び出していた。「しまった!」思わず言葉が口を突いて出てしまう。レトは森の反対側に出てしまったのだ。そこは平原ではなく、かつては森だったところが、病気などで木々が朽ち果てた一帯だった。腐った木が地面に倒れ伏していて、レトの足に絡みついてくる。先へ進むことが難しい。

 「こんな、こんなことって……」

 レトは焦りながら、絡んでくる木の残骸を振り払おうとした。背後からは咆哮が聞こえ、ギガントベアが森から現れた。ギガントベアは腐った木々を難なく踏みしだいて、レトに迫ってくる。ギガントベアは、もうレトのすぐそばまで迫っていた。後ろ足で立ち上がると、レトの前で仁王立ちになった。レトには巨人が立ちはだかっているように見えた。前足が大きく振り上げられる。それが振り下ろされれば、レトの身体はズタズタに引き裂かれることだろう。

 このときレトが採った行動は、レト自身にも理由が説明できない。レトはとっさにギガントベアの股間めがけて走り出したのである。レトの背中でギガントベアの前足が空を切る。レトはギガントベアの股の間をくぐり抜けると、そのまま森の中へ駆け込んだ。ギガントベアにとっても意表をつかれたようだ。少しの間、何があったのかと、その場でぐるぐる回りながらあたりを見渡していた。やがて、森の奥を走る足音に気づくや、大きな唸り声をあげて、再び後を追い始めた。

 レトはギガントベアが通ったところは避けて、ジグザグに方向を変えながら、狭いところを選んで走った。少しでもギガントベアから距離を取るためである。ギガントベアは行く手をさえぎる森の木々に苛立った唸り声をあげながら、レトの後を追い続けている。あきらめそうな気配はない。

……どうする? どうやって、どうやって、あいつに勝つ?

 レトの頭の中はぐるぐると激しく回転していた。後に、レトにとって不思議だと思ったのは、レト自身が決して諦めることがなかったことだ。どんな窮地にあっても、レトは死を覚悟したことはなかったのだ。どうにかして助かりたい。レトの頭の中はそれひとつだった。助かりたい。では、どうやって助かる? ギガントベアと戦って勝つことだ。そして、奥歯を噛みしめながら、自分の非力さを悔しがるのだ。

……ダメだ。まったく浮かばない。あいつに勝てる方法なんて見つからない。

 状況は絶望的だった。しかし、レトはあきらめることなく走り続けた。それこそが唯一の対策であるかのように。その先に解決策が存在しないとわかっているのだが。

 レトは再び森を抜けた。今度は村へと続く道のある側だ。この道を一気に駆け下りれば、その先に村がある。レトは首を振った。ダメだ。距離があり過ぎる。平坦な道に出れば、ギガントベアはたちまち追いつくだろう。万が一、村まで逃げることができても、村に魔獣を引き入れることになるのだ。自分が助かっても村人に犠牲を出してしまう。

 レトは道の先に視線を向けた。村のある方角だ。そして、そこにはキップが横たわっているはずだ。レトはそこでキップの遺体のそばに馬車が停まっていることに気がついた。

 「あれは……」

 そのとき、森からギガントベアが森の木を弾き飛ばしながら姿を現わした。レトは両手で木の破片から身をかばった。ギガントベアは今度こそ逃がすまいと、両足を振り上げて襲いかかってきた。

 ガキン!

 気がつくと、レトの前には大きな男が立ちはだかって、巨大な盾でギガントベアの攻撃を防いでいた。ギガントベアは唸り声をあげた。

 「よう、坊主。よく頑張ったな」

 聞きなれた優しい声がレトの耳に届いた。レトは思わず叫んでいた。

 「レイモンドさん!」

 立ちはだかっていたのはレイモンドだった。レイモンドは村長とともに馬車で村へ戻っていたのだが、途中の森の道でキップの遺体を見つけたのだ。村長を馬車に残し、レイモンドが辺りの警戒をしているところへレトが飛び出してきたのだった。村長は馬車の中で震えていた。木々が破壊される音が聞こえて顔だけ外へ出したが、ギガントベアの姿を見ると再び馬車の奥へ隠れて頭を抱えた。

 レイモンドは身体の大きい男ではあるが、ギガントベアに較べればはるかに小さい。それでも、ギガントベアの攻撃に膝を屈することもなく、しっかりと盾で受け止めていた。想像以上の力だ。

 「魔獣と言っても熊だからな」

 レイモンドはぐいぐいと押し返しながら言った。いつもと勝手の違う相手にギガントベアは戸惑ったようだ。険しい表情が緩んで、大きく息を吐いている。レイモンドは自分の何倍も重量のある相手を確実に押していた。ギガントベアは棒立ちでよろよろと後ずさりを始めている。

 「熊ってのは獲物に襲いかかるとき、身をもたれさせて押しつぶそうとするんだ。身体や体重そのものが武器なのさ。自分の体重で身動きできないところを噛みついて仕留めるというのが、熊の狩りの仕方だよ。それさえわかれば対処はできる。例えば棒立ちにさせて、力が出にくいようにするとかな」

 レイモンドはレトに解説するように言いながら、ついにギガントベアを押し倒した。ギガントベアはごろりと地面に横たわったが、すぐさま起き上がり、再び後ろ足で立ち上がった。

 「胸がガラ空きだぜ」

 レイモンドは剣を突き出しながらつぶやいた。レイモンドの剣はギガントベアの胸を刺し貫いた。ギガントベアは大きく咆哮をあげた。左右の前足を交互に振り回しながら、レイモンドに打ち付けてくる。レイモンドはそれらをすべて盾で防いだ。

 「さすが魔獣だな。心臓を刺しても、すぐには死なねぇや」

 レイモンドは盾をギガントベアに立てかけると、盾を踏み台に空へ飛び上がった。剣を下に向けて持ち替えると、その切っ先をギガントベアの脳天に突き立てた。レイモンドは自分の体重をかけて、ずぶずぶと剣を深く突き刺した。ギガントベアは大きく咆哮したが、その目に光が失われるとゆっくりと地面に倒れ込んだ。地面に長々と横たわったギガントベアはまったく身動きしない。完全に息絶えたようだった。レイモンドはギガントベアから剣を抜くと、大きく剣を一振りし、まとわりついた血脂を振り払って鞘に納めた。その一連の動きには無駄と思えるところがなく、レトはその背中に目を奪われた。父親の背中を見て育ってきたが、それとはまるで違う男の背中だった。レトは思わず自分の胸のあたりの服を握りしめていた。胸の奥にある何かを鷲づかみされた気分だった。これまで感じたことのない感情に激しく心を揺すぶられて、息が苦しくなった。

 「終わったな」レイモンドはギガントベアを見下ろしてつぶやいた。レトもようやく自分が助かったことを実感した。

 レトは急にへなへなと地面にくずおれた。ぺたんと腰を地面についたきり、立ち上がることができない。すべてが終わったと認識できたとたん、身体中の力が抜けてしまったのだった。

 呆然とギガントベアの死体に目を向けているレトの頭に、レイモンドが大きく、温かい手を載せてきた。

 「よく頑張った。よく生き延びてくれた」

 レトはレイモンドを見上げながら、何か礼を言われているみたいだと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ