少年時代1【scene7】
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ギデオンフェル王国の南端に近い位置に『カーペンタル村』という、職人たちが住む村がある。職人たちは主に建設や建築に関わる資材などを造っていた。特に有名なのがレンガである。『カーペンタル村』の赤レンガは、大きさや重さが均一、色合いのムラもほとんどない質の高いものだった。レンガは『カーペンタル村』以外でも製造されているが、よそのものは安価であるが、質もそれなりだったのである。『カーペンタル村』と並ぶほどの職人の村は、アウレリア山のふもとにある『アウレリア村』ぐらいである。あちらでは王国御用達の白レンガの製造で名が知られている。
『カーペンタル村』は小さい村である。人口は百名ほど。ほとんどが職人か、その家族である。村の中心に小さな教会が建っていて、そこに神父がひとり住んでいるぐらいだった。医者や教師などの知的な職種の者は住んでいない。
村の住民たちは職人気質の者が多い。素朴だが粗暴で、品のない冗談を言い合っては笑っている者ばかりだった。この村では酒以外の娯楽がなく、品のない冗談は彼らにとっての数少ない娯楽でもあった。
そんなわけで、村の中を歩いている少年の頭上を下品な冗談が飛び交っているのは、この村の日常であった。少年は6才ほどであったが、栄養不足らしく年齢以上に体が小さかった。表情には子供らしい明るさや無邪気さも見られなかった。
「おい、レト! 今日はどこ行くんだ? また、教会か?」
下ネタの冗談でひとしきり笑っていた男がレトに声をかけた。恰幅のいい男で、形のいい口ひげを生やしていた。レトの父親と同じレンガ職人のカップである。
レトはカップに顔を向けると、無言でうなずいた。
「変わったガキだな。ウチのチビと遊ぶより、本を読むほうが好きだって言うんだからな。あのレオの息子とは思えねぇな」
「レオさんだって、変わり者じゃないですか」
カップの下で働いている弟子が苦笑しながら言った。レオは気難しい性格で知られ、誰とも口をきこうとしない人物だった。
「違いねぇ」
カップは腰に手を当てて言うと、大口を開けて笑い出した。レトは再びお辞儀をすると、無言でその場を立ち去った。カップはレトを引き留めることもなく、見送ることもしなかった。村の人びとはレトに気さくに声をかけたりはするが、それほど気にかけているわけでもない。しょせん他人なのだから。
レトは教会の前に立つと、力をこめて扉を押した。6才の少年にとって教会の扉は重い。近所の子供たちが教会に行きたがらないのは、厳めしい雰囲気が苦手であることと、この重い扉にあった。力を込めないと開けられない扉は、子供たちにとって面倒な存在だったのである。レトだけが、その面倒を押してまで教会へ通うのには理由があった。
「やぁ、レト君。よく来たね」
教会の神父がしわくちゃの顔をほころばせてレトを迎え入れた。礼拝を行なう日以外では、レトだけが神父の客だった。
「こんにちは、神父さま」
レトは丁寧にお辞儀すると、教会の壁に並べられた本棚に向かった。知識人のいない村では、ここだけが本のある場所だった。
「今日は何が目当てかね?」
「勇者伝の続きを……」
「ああ、あれね。わかった。取ってあげよう」
神父は嬉しそうな声をあげると本棚へ歩み寄り、上の段から1冊の本を取り出した。レトが背伸びしても届きにくい位置にあったのだ。
「はい。『勇者ラファールの伝説』だよ」
神父は古びた革表紙の本をレトに手渡した。
「ありがとうございます」
レトは少しはにかんだような笑顔を見せた。神父はこのレトの笑顔が好きだった。ふだんは表情を見せないレトが、この瞬間だけ、わずかに笑顔を見せるのだ。教会は薄暗いところなので、あまりよくは見えないが、神父の目はレトに新しいあざができているのを見逃さなかった。レトのあごの下と左腕には青いあざが浮かんでいたのだ。神父は表情を変えないように気をつけながら、レトの頭に手を置いた。
「今日はあちらの席が明るいから、あそこで読むといいよ」
レトはかすかにうなずくと、神父の示した席に歩いていく。少しよじ登るように席に座ると、両脚をぶらぶらさせながら本のページをめくり始めた。
神父は小さな目が夢中で文字を追っているのを、感慨深く眺めていた。村の識字率は高いとは言えない。村人の多くは、自分の名前と数字が書けるのがせいぜいである。さすがにそれぐらいは書けないと物を売ったり買ったりできないからである。村で読み書きができると言えるのは村長とその家族、そのほか10人いるかどうかである。レトはその数少ないひとりだった。
レトの父、レオは教会に足を運ぶことはない。仕事以外での人付き合いをしない男だった。そのせいで、最初はレトも教会に姿を見せることはなかった。神父はレオに小さな息子がいることすら知らなかった。レオはずっと独り身だと思っていたからだ。実際は、神父が赴任する前には妻がいたようだが、レトが生まれたころには姿を消していた。レオの性格に嫌気がさして逃げ出したらしい。それが村でまことしやかに囁かれている話だ。だが本当のところは誰も知らない。
レトのことは、礼拝日にレトが窓からこちらをのぞき込んでいた。神父がそのことに気がついたことで存在を知ったのだった。幼い少年は、特定の日だけ村人が教会に集まることを不思議に思い、教会をのぞきこんだのだった。
神父は少年を招き入れ、いろいろ事情を尋ねた。そこで神父は、父親がレオであること、教会には一度も連れて行ってもらっていないことを知った。レトは洗礼も受けていなかった。
神父はレオの元を訪れ、レトに洗礼を受けさせること、礼拝日に教会に来させることを話した。レオは不機嫌に顔を左右に振るばかりだった。レオは無神論者だったのだ。そこで神父は、文字の読み書きだけでも学ばせることは許してやってほしいと申し出た。自分の名前が書けない、あるいは数字が読めないでは、職人として一人前になることは難しいだろうからと説明したのだ。さすがに、その点ではレオも折れた。こうしてレトは礼拝日の午後だけ、仕事の手伝いから解放されて、教会に通うことになったのだ。レトは物心ついたときから父親の仕事を手伝わされていた。小さく、腕力もない身体で、重い粘土を運んだり、こねる作業に従事していたのだ。「苦しい」「痛い」「辛い」……。これらの語いを持たなかった少年が、自分の感情を表現するすべすら知らずに、大人でもつらい仕事に従事していたことを神父は知った。
レトは非常に大人しい少年だった。無口で感情の変化に乏しく、神父はレトの気持ちを読み取ることは困難だった。しかし、神父は間もなく、レトが好奇心旺盛で知識欲の強い子供だとわかった。文字の読み書きを教え始めると、レトは夢中になって文字を覚え始め、すぐに自分の名前が書けるようになった。あとは数字の読み書きさえ覚えれば、神父は役割を果たしたと言えるのだが、レトの旺盛な知識欲は留まることを知らなかった。大人でも使い方の難しい慣用句や単語も貪欲に吸収し、1年もしないうちに通常の読み書きができるようになっていた。計算も得意で、伝票に書かれた数字が合っているのか判別できた。おかげで、大の大人が6才のレトに伝票の数字が合っているのか尋ねるという奇妙な光景が見られるようになったのだ。
読み書きができるようになっても、レトは教会に通うことをやめなかった。教会には千冊を超える蔵書があり、レトの興味はそれらの本に向かったからだ。レオも教会に通うことを禁じようとはしなかった。礼拝日は仕事を休む日であり、レオもその日は誰にも煩わされることなく眠りたいからだった。それに、レトの目的は信仰を深めることではなく、ただ読書するだけだったからである。宗教が絡まなければ、レオはある程度、レトの自由にさせていた。レオは当たり前の父親として息子に接しているようだが、それでもレトは身体中にあざをこさえて教会に現れることがあった。神父は問題だとは思ったが、それ以上の干渉はしなかった。この王国では、子どもの虐待に関する法律は存在しないからである。そして、レオ自身が子供に対する行為を虐待だと認識していないことも理由にある。この世界では、子供に暴力を振るう親は程度の差はあれ珍しくない。神父も今以上にもめごとを起こしたくないと考えていたからだ。それに、レトが父親の暴力に遭っても、けろりとした表情で教会に現れる。これが続いている間、神父はこの親子の問題に踏み込もうとは考えなかった。レトが次々と教会の蔵書を読破していくのを、目を細くして見守るだけである。
レトは小さい手を動かしてページをめくり続けている。完全に本の世界へ没頭しているようだ。神父は少年の邪魔にならないよう、そっと席を外した。
レトは静かに読書を続けていた。わずか6才の少年にとって、この時間が至福のときだった。父親からは怒鳴られることも殴られることもない。重い粘土を、身体中を痛めながら運ぶこともない。硬い粘土をほぐすために握力の感覚を失うまでこねることもしなくて良い。礼拝日はレトにとって、そんな日だったのだ。ただし、これは毎週与えられる休暇ではない。今、型から外したレンガを乾かしているときなのだ。充分に乾かしたレンガは窯で焼いて完成する。そのときは火加減の調整や、薪を追加するなど、つきっきりで窯の面倒を見なければならない。そのときは礼拝日の、この時間も失ってしまう。
手元が暗くなってきたことに気がついて、レトは顔を上げた。日がだいぶ傾いて、教会の中は薄暗くなっていた。窓からわずかに入る日の光が入らなくなったのだ。レトは本を閉じると、本棚の前に歩いていった。
「帰るのかね?」神父が気づいて話しかけた。レトは黙ってうなずいた。
「わかった。本は私が戻しておこう。その本を渡してくれないかね?」
神父はレトから本を受け取ると、再びレトの手の届かない位置に本を戻した。次に来たとき、目当ての本を取ってもらうよう声をかけさせるために。
レトはお辞儀をすると、教会を出て行った。村は夕焼けで赤く染まっていた。あたりはひと気も減って物寂しい雰囲気だが、レトは何とも感じていないような素の表情で、自分の足元を見ながら歩いていた。実際に、レトは寂しさを感じていなかった。そんな感覚はすでにマヒしていたと表現するほうが正確だったかもしれない。これまでのレトに孤独以外の人生はなかったのだ。
足元に大きな影法師が伸びてきたので、レトは顔を上げた。正面から、少年を肩車しているひとりの兵士がこちらに向かって歩いていた。
「こんにちは、レイモンドさん」レトは挨拶した。
兵士は足元のレトに気がつくと、「よっ」と肩車している少年を降ろした。少年は不満そうだが、大人しく地面に降りた。
「キップはレイモンドさんと遊んでいたのかい?」レトは少年にも声をかけた。
「村の入り口から、ここまで乗せてもらったんだ」キップは自慢するように胸を張った。キップはカップの息子で、レトと同じようにレンガ焼きの見習いをしていた。父親のカップに似て、少しぽっちゃりとした少年である。レトとはほぼ同い年で、親同士の仕事が同じということもあり、一緒にいることは多い。ただ、レトがあまり付き合いの良いほうではないので、一緒に遊ぶということはあまりなかった。
「夕方まで、村の外で稽古していたんだってさ」
キップが説明すると、兵士は剣を持ち上げてみせた。「これが仕事だからね」
レイモンドは村長の依頼で王国から派遣された駐屯兵だ。大きな街や村では、警護の兵が常駐している。街の規模と兵士の数は比例していて、大きな街であれば1個師団級のものになるが、小さなところでは兵士のひとりもいないところが多い。そんなところは町や村からお金を出して、冒険者を雇ったり、王国に駐屯兵の依頼をしたりするのである。盗賊が多く出没するこのご時世に、治安の問題は重要事項であった。『カーペンタル村』は王国から駐屯兵の派遣を頼んでいた。もっとも安いからである。こうしたところに派遣される兵士は経験の少ない若手が送られることが多い。派遣された兵士は、そこで1年から2年駐留し、再び本隊に帰還するのである。レイモンドは半年前に、前任者から引き継いで村にやって来た。村の誰よりも大きな身体をしているが、顔は少年のように若々しい。性格も温厚で、いつもニコニコとした笑顔だった。レイモンドの仕事は、もちろん村に魔獣や盗賊の類が近づいていないか見回ることである。しかし、レトが物心ついて以来、村に魔獣が現れたことはなかった。盗賊に襲われたこともない。いたって平和な村だった。いつの間にか、レイモンドは見回りついでに村の子供たちの遊び相手をするようになっていた。言うまでもないが、子供の遊び相手をするのがレイモンドの仕事ではない。レイモンドは村の外で剣の素振りをするなど、腕をさびつかせない努力をしていたのである。
「いつも思っていたのですけど、レイモンドさんの剣って大きいんですね」
レトはレイモンドの腰に目をやっていた。レトの背丈では、レイモンドの剣は目の前にぶら下がっているのだ。
「王国兵士専用の剣さ」
レイモンドはスラリと剣を抜き放った。剣は夕日を浴びて、赤く輝いていた。
「かっけぇ!」キップが剣を見上げて叫んだ。レトも吸い寄せられるように剣を見つめている。
「僕にも振るうことができるのでしょうか?」
レトは思わず口走った。キップが馬鹿にするように「できるわけないだろ」と言いながら、レトの肩をこづいた。
「今の君には無理さ」
レイモンドは剣を肩に載せて笑った。大きな口だ。
「何だ、君は兵士にでもなりたいのか?」
そのときのレトは、そんな考えを持っていなかったので首を左右に振った。
「そうだな。君はレオさんの息子さんだもんな。君は早く一人前のレンガ職人になる。それが、『君のしなければならないこと』だからな」
レイモンドは大きな手を挙げて挨拶すると、そのまま歩き去った。村のはずれに酒場がある。レイモンドはそこに向かっているのだろう。
レトはキップと並んでレイモンドを見送った。兵士の背中を見つめる二人の少年のうち、ひとりは憧憬のまなざしだったが、残るひとりは違った光を宿していた。
「僕のしなければならないこと……」レトは小さくつぶやいた。




